23話 覚醒




アリスはいつものようにお仕事に精を出していると、ひそひそ話が聞こえます。大きな耳を欹てると、自分の陰口でないことにほっとしつつ、色恋沙汰なら無視しようとしましたが、「殺して」「死体」など、とても物騒な単語が飛び出てきます。まあ、アリスが今片付けようとしているのが死体なわけなのですが。

「なんの話をしているの?」

ひとりが「げっ」と顔で語ります。もう一人は難しい顔。

「あーまあ、こんなとこで死体触ってるんだもんな、別に遠慮する必要はねえか。アリスは知ってるか?最近身体密売人がこの国にもきてるって噂。」

「しんたい、みつばいにん?」

アリスの初めて聞いた言葉です。

「体を売るのさ。変な意味じゃなくて、そのまんまの意味。自分のじゃなくて、高く売れそうなやつを殺さず、そのまま手や足をちょんぎるんだよ。」

隣で話していた男の人が真っ青な顔で身震いしていました。アリスはその手の話は平気でした。

「なんでそんなことをするの?」

「さあな。生きたままってことに何か意味があるんだろうが、理解しようとも思わんさ。」

肩を竦めて、深いため息を吐く。

「じ、実質殺人鬼だからね!当然、この国も含め世界中のほとんどの国が法律で禁止している!早く捕まえてくれないかなぁ!死刑だよ死刑!」

もう一人の男は声まで震えていた。

「国が目ぇ光らせて探しまくってるがまだ見つからなくてな。奴らは綺麗な体・・・大人になるまでの少女か、がたいのある男を狙う。後者はうまくいかないことが多いから、もっぱら前者だな。」

「アリスちゃんも十分気をつけてね!夜は絶対ひとりで外歩いちゃダメだよ!」

「こりゃ帰る時、誰か一緒の方がいいんじゃねえか?」

二人はそれぞれの持ち場に戻ります。アリスは真っ黒焦げの死体を足先から見つめながら、内なる悪魔に話しかけます。

「ねえ、悪魔さん?なんで体が必要なの?しかも生きたまま。死体ならここにたくさんあるからいくらでも分けてあげられるのに。」

「彼の言った通り、生きたままに意味があるのよ。この世界で現在どんな魔術が存在するのか知らないけど、それに用いるためなら納得いくわ。」

彼女もまた悪魔ですから、心情的な感想が一切出てきません。

「でも、気をつけなくちゃね。貴方なんか、かっこうの餌食よ。」

確かに、自分もいつ襲われるかと思うと他人事ではありません。夜は特に気をつける必要があります。しかし、アリスは油断していました。昼間なら目につくだろうし、アリスにはたった今心配してくれている心強い存在がいるから大丈夫、だろうと。



帰り道、同僚の言葉を反芻しながら、周りの音に神経を集中させ、なるべく足音を消して歩きます。ああ、遠回りをすれば街を通って帰ることもできますが、それでもやはり森の奥に住んでるという以上、人気のない道を通るのは避けられません。願わくば、何事もないように。

「助けて!!」

遠くから叫び声が聞こえます。一抹の不安がよぎります。ここは引き返して、様子を見るしかありません。そろり、そろりと近付いて。やっと姿が見える所まで進めました。自分より少し年下の女の子が、鉄の円柱頭に布を纏ったごつい男の人達に囲まれています。

「こんなところで助けを呼んで、誰が来るもんか。」

男のうちの一人に腹部を蹴られた女の子なあっけなくその場に倒れ、胃のあたりを押さえて蹲っています。もうこれで、逃れられない絶望に助けを呼ぶ気力すら起こらないでしょう。

「うわっ、痛そう。」

他人事とはいえ、アリスもいい気分はしません。すると、今朝お仕事中の世間話が頭に蘇りました。

「もしかして、あいつらが今朝聞いた・・・。」

「身体密売人」。明確な情報を知っているわけではありません。あんなことを聞かされては、嫌な想像ばかりしてしまうものです。

「逃げるわよアリス。」

悪魔が呼びかけます。もしかの彼女に実態があれば、今すぐにでも手を引いて逃げるでしょう。

「嫌ぁっ!離して!」

腕を掴まれ、持ち上げられて、彼女の声と顔で抵抗しているのは伝わるのですが、男の腕はびくともしません。

「薬持ってきてんだろ、早く飲ませろ。」

「へいへい。」

賢いアリスはすぐに察しました。奴らのいう薬は自分達にとって都合の良い事象だけを促す。薬とは名ばかりの毒。女の子を眠らせるなりして、連れ去るのだと察したのです。

「アリス!!」

気づいたら足が勝手に駆け出していました。まず初めに、足元に転がる手のひらいっぱいの石を男に向かってぶん投げます。重い音と、油断したのか、頭部に勢いよくぶつかった衝撃で体がぐらつきます。

「逃げて。」

たった一言、後ろで怯えている女の子に言い残して右手にはナイフ、左手には銃を構えます。女の子は、今だと言わんばかりに、すくんだ脚を立たせて、全力で走り出します。

「おい、獲物が逃げたぞ!」

男が慌てて追いかけた先に立ちはだかり銃を構えると、彼はそれを腕で払い除けようとしたら今度は腕を下げてかわし、アリスは胸を目掛けて発砲。だが、キンッと金属が勢いよくぶつかる音だけして、弾丸は彼の体を貫くことなく足元に転がり落ちました。

「何者かしらねぇが、こいつの方が上玉だな。」

布には穴が開き、わずかに覗くのは銀色の何か。彼らはなんと服の下に鎖帷子を装着していたのです。

「ボスが喜ぶぜ、へっへ。」

甲は目の部分しか空いていませんが、その目が下瞼とも上に釣り上がっていて、下卑た笑みで見下ろしているのがわかります。隙を狙ってアリスは「彼女」と交代。もう怖いものなしです。そう信じ切っていました。男は手を上げると、何もない空間から大きな斧が手のひらに落ちてきて力強く握ったそれを構えました。なんと、魔法まで使えるのは予想外。男はアリス目掛けて躊躇いなく振り下ろし、アリスは軽々と避けます。すばしっこい動きに翻弄される大男。身軽さや身体能力なら今のアリスの方が格段と上ですが、これが体力勝負となればすぐに逆転するでしょう。加えてこちらには彼らにダメージを与える術がほとんどないのです。だからといって負けは認められません。出来る限りの抗いです。ほんの僅かでも隙を生じさせられることができたなら。

「この・・・!」

ナイフを突き立てても、今度は籠手で防がれます。銃も効かない、ナイフ程度の刃も通らない。守られていない急所を狙うもよほどの手練れなのかアリスの攻撃は全て見切られて、かわされ防がれます。いくら悪魔の力を借りても、所詮、彼女の体で彼女が出来る範囲の行動しかできないのです。ここである違和感に気づきました。

「さっきから一人しか相手にしていない?他の人も見えない。」

後ろを振り返ることすらできないアリスも気づいています。複数相手ならもっと早くかたをつけられるのに、なぜしないのか。なぜいないのか。そうこうしているうちに、アリスの体力はだいぶ消費されて動きが鈍くなってきます。反対に男はピンピンしています。


足がもたついてきました。なんとか踏ん張ります。背後、空を切る音がしました。背中に鋭い風を感じます。


「・・・?」

おかしい。さっきまでいなかったのに。また突然現れた大男が現れて、彼の振り下ろした斧は、アリスの腕を斬り落としたのです。

「悪りぃ、トイレ行ってた。」

「バカかテメェは。」

完全に彼女を舐め腐った会話です。いや、実際それはどうでも良くて。地面には銃を持った左腕が自分の体から離れて落ちています。その上を、赤い滝の様に血が止めどなく溢れます。現実味のわかない光景のすぐ後に、言葉には言い表せない痛みが彼女の頭を全て支配しました。

「ーーーー・・・ッ!!」

この体で感じる痛みは悪魔だろうと関係ありません。あまりの激痛に、彼女の脳を支配できなくなります。ああ、今の状態で元に戻ろうものなら・・・しかし「彼女」が耐えれても、体が耐えれそうにありません。意識が完全に解き放たれた瞬間、大きく開けた口からは痛みを外に散らかすみたいな絶叫。

「しかもなんで先に切るんだよ。こうなるだろうがバカ。」

「脳天いこうとしたんだよ。ったく、今日は調子悪いな。」

男たちの文句、言い訳。話しているけどアリスの耳には全く聞こえません。聞こえるのは、頭の中に自分の声だけ。痛いのに、問いかける声はとても落ち着いているのです。



「痛い。

なんで私がこんな目に?

痛い、痛い、痛い。痛いのは嫌。


ああ、憎い。

理不尽に苦しめたアイツらが憎くて仕方がない。

倍以上の痛みを与えたい。

だけど痛くて動けないの。」


途中から違う声が混じります。

「邪魔だ。この痛みが邪魔だ。痛い、憎い、痛い、憎い。」


「この痛みは、憎しみ。」

「理不尽な痛みは、憎しみと同じ。」


意識が暗転します。アリスの体を借りて再び悪魔がお出まし。不思議なことに、腕を斬られたのに痛みが全くないのです。強いて言えば、断面図が熱を帯びるている様に感じます。でも全く気になりません。原因はわかっていました。他には、何かが内側からモヤモヤと湧き起こって、充満する妙な感覚。

「よし、俺が抑えとくから残りを切っちまえ。」

「あいよ。」

このままでは、アリスはもっとひどい目に遭います。ですが、どうでしょう。なんと、アリスの斬られた腕が生えたのです。

「うわぁ、なんだ!!?」

これにはさすがに男達も驚愕と戦慄を露わにします。

「バケモンかよこいつは・・・!」

そういった男は、自分が落としたはずの腕に胸を貫かれていました。鉄の鎧ごと。

「が、あ・・・。」

引き抜くのを途中でやめて、中で心臓を握り潰しました。気持ち悪い音が炸裂して、体を抜けた手は真っ赤に濡れています。

「クソッ!!」

もう一人が斧を下ろします。小柄で非力な少女相手に焦りと恐怖でいっぱいです。アリスは逃げません。真っ直ぐ見据えて、大きな鉄の板を横にぶん殴ります。拳は彼女の体からは想像もできないほど固く、男は殴られた方向に体が傾いて遠心力で回転し、もう一度水平に刃を滑らせます。勢いがさらに増した斧を、手のひらで受け止めました。アリスの体は微動だにしません。

「な・・・な・・・んッ。」

男は震えています。全身の力を出しているのに、全く動きません。それどころかミシミシと音が鳴ります。

「嘘だろ!?」

アリスは、斧そのものを真っ二つにしてしまいました。柄が綺麗に折れて、力の支えがなくなった男がバランスを崩したところを飛びかかって、馬乗りになります。

「ねえ、あなたは今まで何人襲った?」

突然と問いかけに思考が追いつきません。

「覚えてるかよんなもん!がっ!?」

悪態をついた男を容赦なく殴ります。すごく重い音とかなりの衝撃でした。

「覚えてる限りでいいの。」

声はとても冷静。もしかすると、答えたら解放してくれるのかも?と一縷の望みをかけてうろ覚えの数を答えました。

「だ、だいたい五十人ぐらいだな・・・。」

「そう。」

悪魔は微笑みました。

「じゃああと五十回殴ろっと!」

望みなんてありませんでした。だって、彼女は悪魔ですもの。



途中から原形をなくし、何を殴っているかもわからなくなりました。アリスは手についた肉片を振り払い、何事もなかったかの様にその場をさります。


「これが、憎しみ・・・。」


悪魔はつぶやきます。ほうけたように。


湧き上がる憎悪。私が確かに、膨張するこの感じ。憎しみが私を変えた。起こした。悪魔の悪魔所以たるものを解き放ち、目覚めさせた。


痛みが欲しい。


恩を仇で返して欲しい。いわれのない罪で罰して欲しい、勝手に妬み羨んでついには虐め抜いてほしい。誰かのエゴによる痛みが欲しい。特に理由のない痛みが欲しい。憎くなるほどの痛みだけが欲しい。


負の感情は悪魔に必要な力。


その痛みを全て憎悪にできたなら、力を蓄えた私は。大きくなった体は殻を突き破って外の世界にはばたけるかもしれない。いいや、あるいは・・・。


ー・・・。


数日後、通報で駆けつけたたくさんのお巡りさんが見たのは森が挟む道に倒れる、腐った、見るに耐えない者達。ひとりが茂みの裏で吐いています。

「漫画でよく見る新人の刑事かお前は。ま、こいつぁひでえけどな。」

深いため息をついて、雑に頭を掻き上げます。偉そうな彼も細目で見下ろしていました。

「こいつらは人でなしのクズ野郎共だ。しかし・・・ろくな死に方しないっつーのはまさにこういうことだな。」

職業上、むごいものからやすらかなものまで様々な死体をこの目で見てきましたが、やり方が異常なのです。ただ刺した、ただ潰したのではなく、貫いて内側で心臓が破裂しているなんて前代未聞もいいところ。

「これもひとがしたとは思えんなぁ。獣にしちゃあ、器用なんだよ。」

しゃがんで穴のあいた布をめくります。

「銃でも貫けない素材を、どうやって?・・・何か決定的な証拠があれば・・・。」

遠くまで念入りに調べていたお巡りさんが駆けつけて、手のひらの中にあるものを見せます。男達の身に付けるには不釣り合いすぎるもの。お花のブローチです。

「女の子が好みそうなアクセサリー・・・。これだ。」

大きな声でみんなを呼び集めます。

「誰かを連れ去る途中で殺されたのかもしれない。最近行方不明になった奴らの情報とこいつらの情報網を調べ尽くすぞ。拉致られそうになったところを無事逃げたとしたら、そいつが何か知っている可能性がある。」

「はっ!」

彼以外の全員が音がするほど機敏な敬礼を揃えます。

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