【ショートショート・百合】確かにそこに。

将平(或いは、夢羽)

確かにそこに。

 私は優しくない人間なんですが、皆さんは私のことをどうやら、優しい人間だと思っているようです。



 私に騙されて可哀想に、と思うけど。

 でもひょっとすると私の方が、みんなに騙されているのかもしれない。

 『私のこと優しい人間だと思っている人間』を演じてくれているのかも。

 でも、そんなものでいい。

 ふわふわと不明瞭なものに形を与えないままに、息をしていたい。時の流れに身を任せて、くだらないことに笑っていたい。


「………わたし、あんたのその顔、嫌いなのよね」


 ……ほら。

 こういうのはいけない。

 私の平穏に、亀裂が入る。床にヒビが入って、音もなく崩れていく。

 床だったはずのものは頼りないガラス製で、その先は底のない奈落。暗闇。絶望。そんな世界へ。落ちていく。丸裸の私。無防備な私。デリケートな私。


「………大丈夫。私も、貴女のこと、嫌いだから」


 落ちていく途中でしがみつく。いつも、こんな方法しか知らない。自分の自尊心を守る術は、結局、目の前の『敵』を攻撃することしか無い。

 しかし相手は、直ぐにその気丈な眉毛をハの字に下げた。


「…………わたし、あんたのこと嫌いだなんて言った……?」

「え、」


 今、言ったじゃない?……言ったでしょ?

 私はすっかり臨戦態勢に入っていた心が狼狽する。

 これではまるで私が悪者ではないか。先手を打ってきた奴が傷付いた顔をするなんてヒドイ。精神攻撃か?


「わたし、あんたのいつもの、愛想笑いしてる顔が嫌いなの。やめたら?」

「え、」


 今度こそ、冷や汗が背筋を伝う。

 ああ、やめて。暴かないで。私のことを。知らなくていい。私のことなんて。笑顔の裏なんて。知らなくていい。暴かないで…。本当はからっぽなの。何もないの。優しくないの。強くないの。明るくないの。誰のこともそんなに、興味がないの。要らないの。


「………わたし、あんたのその、愛想笑い見てるの、嫌なの」

「……じゃあ、見なきゃいいじゃん……」


 愛想笑いがバレてしまっているのなら、もう猫かぶりも誤魔化しも効かないだろう。さっきだって、感情の無い恐ろしく低い声音で告げてしまった。今更、惚けたって遅い。

 「それは無理、」と続ける彼女は、やっぱり困ったように眉毛を下げていた。やっぱり、私が彼女を虐めているのだろうか…?泣きそうに潤んだ瞳は、しかし真っ直ぐに私を映す。


「だって、好きだから」


 え、………と。

 息を吐いたまま言葉が出なかった。彼女も、それ以上何も紡がない。唇を真一文字にきつく結んで、睨むように私を見ている。涙を、溢してしまわないように。


「…………なんで、」


 脳みそがこの状況を上手く処理してくれないまま、生じた疑問をそのまま口にしていた。


「なんで、私?え、私…?」


 こくり、と頷く。

 なんで?だって、貴女は、私の笑顔が嘘偽りであることを知っているのでしょう?


「………なんでって、わかんない。けど、好きみたい…」

「……」


 私は再び絶句する。

 彼女が、彼女のフィルター越しの私に、どんな幻想や妄想を思い描いたのか知らない。でも、彼女は私が嘘偽りであると知っているのだ。


「……………好きになってくれるの?」


 気が付けば、先に涙を溢していたのは私の方だった。

 彼女は驚いて目を丸め、慌ててハンカチを探しているようだったが、左右どちらのポケットにもハンカチが見付からなかったらしい。カーディガンの袖をぐいっと伸ばして、濡れた頬に押し当ててくれた。


「………もう、好きなんだけど……」


 顔を赤らめて言う。先程とは違って、決して目が合わない。

 私は。

 胸に広がる、得体の知れない感情の名前を詳しく知らなかった。

 喜び。嬉しさ。幸せ。……なんだろう。そういう名前のものは、温かくて柔らかくて、広がっていくものなんだと思っていた。

 けれど今、まるで心臓が張り裂けるように痛い。ぎゅうと、握り潰されそうな感じもする。なんだろう、これ、なんだろう。

 私は、一目惚れだと告白された事が人生に二回程あった。それは勿論、嬉しかった。誰かには好ましく映る外見をしているのだなぁと思いつつ、好きではなかったし、その人のフィルターに合わせた自分を演じるのは大変めんどくさそうだと思って悪びれもなく振った。

 でも、何か、今は、違う。

 相手が女の子だから?ーーー違う。


「……私、きっと、貴女の期待には応えられないよ………」


 幾重もの鎧の内に隠してきた、頼り無くて心細くて臆病な、私の心。

 そう私はいつだって、人から受ける『失望』に恐れていた。何もないんです、本当に、私。

 自尊心ばかりの子供なんです。愛して欲しがりで、なのに誰のことも愛していないんです。

 断らなくちゃ。そう思った。


「……………私、楽しいこと、一つも話したり出来ないよ…?」


 あれ、おかしいな。これは、OKする流れでは…。


「いいの。傍に居てくれたら。それで、いい」

「…………」


 なんなんだ、その能天気な台詞は。

 彼女はなんて平和ボケしているのか。無欲なのか。なんで、なんで、


「……………ありがとう、」


 こんな私を、見付けてくれたのだろうか…。

 そんなことを言ってくれる人に出会えたのだろうか…。


 受け入れることは、怖い。

 だって、心の大事なところに入れてしまうと、もう、無傷ではいられないから。何かあった時、本当に私の心は奈落の奥の奥の奥の………何処までも、きっと落ちていってしまうから。

 弱い私を、どうか傷付けないで。でも、


(………期待してみても、いいのだろうか……)


 こんな私が、誰かを好きになろうとしても、いいのだろうか………。


「………いいの?」


 また、溢してしまう。頼りない声。迷子の子供みたいだ。


「寧ろ、わたしの方が…『いいの?』だよ。………いいん、だよね……?」


 彼女は笑った。まだその笑顔は、ぎこちない。不安と期待が見え隠れする。


「…………いいよ、」


 ぱっと、不安が一蹴されて目映い笑顔が咲く瞬間を見た。

 なに、その顔。私の一言で、この人はこんな顔をしてくれるの…?

 心臓が、どきりと音を立てた。


(ああ。私にも。そこに心臓があったんだ…)


 ほっとして、やっぱり、私は静かに涙を溢した。








ー完ー


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