第32話 清流。

 対話を続けて行く中で、俺は完全に疲弊していた。

 でもあと三十人で終わる。

 やっとみんな目覚めた。状況を理解し、困惑する者、嘆き哀しむ者、激高する者。様々にいたが、俺はそれでいいと思っている。

 夢の世界に戻りたいという者もいる。

 その中、俺は休憩のためにカプセル室を出た。

 自販機でココアを購入し、近くにあったベンチに腰をかける。

 ココアを飲み、一息つく。

「よいしょっと」

 そう言って隣に座る葵。

「えへへ。こうしていると夢の中を思い出します。あたしたち付き合っているんですよね?」

「「なっ!」」

 俺の声と理彩の声が重なる。

「ど、どう言うこと? 博人!」

「い、いや。俺は葵が死なないよう、付き合っただけだ。なにもやましいことはしてない!」

 喉がカラカラになる。額に脂汗が浮かぶ。

 浮気がバレた人の気持ちが今なら分かる。

 だが、夢の中では理彩と付き合っていた経験も、それこそ玲奈と付き合っていた時間もある。

 どうすればいいんだ?

 葵とも付き合う形になってしまった。

 これでは誰にでも節操がないと思われてもしかたない。

「い、いやあれは治療のためにな……」

「治療ですか……」「治療ね……」

 ショックを受ける葵と、疑いの目を向ける理彩。

 しかたなかった。でもそれは恋心をもてあそんでいい理由にはならないことも知っている。

「分かった。そういうことにしてあげる。でもわたしには博人が必要だ。それ以外の人は考えられない」

 え。これは告白だろうか。

「え、ええ……!」

 葵が驚きの声を上げる。

「俺は、まだ応えられない。すまん」

「ええっ!」

 さらに驚く葵。

、ね……。いいよ、分かった」

 諦めた様子もなく不適に笑う理彩。

 と、廊下を走る音が響き渡る。

「何事だ?」

 俺が声を上げると、目の前にパワードスーツを着た人々が現れる。

「ギリトーゼだ! 貴様らを確保する!」

「まだ生きていたのか……」

 奴らは捕まったと保から聞いていたが、その残党がこうして残っていたらしい。

「そいつらはいい。あのスワンプマン計画の子供たちだ。手厚く保護せよ」

「あの哀れな子供たちか。分かった」

 仲間内で会話を終えるとこちらに向き直る。

「失礼した。君たちを保護させてもらう」

 パン。

 発砲音が鳴り響く。

「お主らはカプセル室へ。わしがなんとかする」

「保!」

 俺が振り返ると、そこにはサブマシンガンを構えた保がいた。

「もう地球は取り戻した。二人だけ地球に向かっておくれ。テラフォーミングを任せた」

 保はそう言い終えるとギリトーゼの連中に真っ直ぐに突っ込んでいく。サブマシンガンをならしながら。

「……分かった」

 それが覚悟というものか。なら俺たちに止める権利はない。

「いいのか? 保博士は捕まったら……」

 理彩は心配そうに顔を覗いてくる。

「ああ。あいつにも闘う理由があるらしい」

「あたし、あの地球に行けるのですか?」

「それはあとだ」

 地球に行けるのは二人だけ。

 なら、俺は辞退して他の二人に任せることもできる。

 だがこれはチャンスかもしれない。

 そう思い駆け出す。

 カプセル室へ。

 そこに待っている、まだ寝たきりの人々を解放し、地球へ向かう。

 テラフォーミング。地球を人の住める土地に変える。

 そのために何十年の時を費やしたのか分からない。それが今の体勢を作っているのなら。

 もう研究の必要はない。

 ラプラスの悪魔も、ここまで予測するのは不可能だった。

 未来は変えられる。それが分かっただけでも大きな成果と言えるのではないか?

 少なくとも保はそう思っている。

 人の意思を形作るサイコ粒子。その発見と応用は保の歴史そのもの。

 本来人を守るための技術は、悪用されてはいけない。政府高官による非民主的実験。

 これをギリトーゼは悪としている。

 本当に悪なのか?

 分からない。俺は政治的な感性や道徳的概念を理解していない節がある。

 それでも、俺は生きている。コピー品としてではなく、一人の人間として。

 カプセル室に戻ると、玲奈がコンピュータの前に座っている。

「来たわね。カプセル班と銃撃班に分かれて」

「え。どいう意味だよ、玲奈」

 目を伏せる玲奈。

 そして無言で手にするサブマシンガン二丁。片方は玲奈が、じゃあもう一丁は?

 俺はゴクリと喉を鳴らし、緊張で乾いた喉をぬらす。

 以前、銃撃戦の中に放り込まれた。その経験がここに生きているのかもしれない。

「俺が行く。理彩と葵はカプセルの中の人を助けてやってくれ」

「え。でも……」

「闘うの?」

 理彩は引き留めようと、葵は哀しそうに言う。

「いいんだ。俺よりも適任者はいない。責任は俺がとる。だから行け」

 思いを乗せて言った言葉。それを聴いた二人は心して作業に映る。

「いいんだな? 玲奈」

「今更よ。私の相棒はあんただけ。戦友なんだから」

「そうだな。そうだったな」

 サブマシンガンを手にすると、そのセーフティを外す。

「行くぞ。保を助ける」

「分かっているわ。私もご助力するわ」

 カプセル室を出ると、保と別れた自販機の前へ向かう。ここからはさほど遠くない。

 保が生きていることを望んで俺たちは前へ進む。

 自販機が見えてくると、そこには真っ赤な血を流している保の姿が見えてくる。

「保! しっかりしろ!」

 近づくと、保は俺の袖をつかむ。

「そう長くはもたん。コード192」

「何?」

 いきなり、暗号を言う保。

「コード192じゃ。急げ」

 曲がり角にはたくさんの人が血を流して倒れている。その奥からさらにパワードスーツを着た人たちがやってくる。数は二十ほど。

 保のつかんでいた手が落ちる。その手はすでに冷たい。

 俺は192という言葉を覚え、サブマシンガンに手をかける。

「うぁあああぁっぁぁぁぁぁぁっぁ!」

 叫び、引き金を引く。

 発射される弾薬。

 立ち上る粉塵。

 排莢が宙を舞い、硝煙をたなびかせる。

 反動で肩が持っていかれそうになるが、引き金を引くのを止めない。

 すかさず玲奈が狙撃を試みる。

 俺の取り逃した獲物が次々と倒れていく。

 やっぱり、俺の相棒は玲奈しかいないのかもしれない。

 次々と倒れていく中、俺はまた一歩前進する。

「待て! 撃つな! おれはお前たちを保護しにきた!」

 曲がり角に隠れた男がそう叫ぶ。

 保護? 冗談じゃない。俺は俺の意思でここにいる。誰かに命令されたわけじゃない。

 俺自身、ここにいるのが当たり前と思っていた。

 保と一緒に研究を進めても良かった。保は俺の話を聴いてくれた。一番の理解者だったかもしれない。

 俺が三人を助けたいと思ったとき、一番に助けてくれたのは保だった。そして彼女らをリアルに返したいと願った時もいち早く察し、行動に移してくれた。

 それだけ、人の想いに敏感だったのだ。それを――!

 怒りのまま銃を乱射すると、弾切れになったのかサブマシンガンが火を噴くことはなくなった。

「ようやく話せそうだな。おれは赤城あかぎ清流せいりゅう。ギリトーゼのリーダーだ。保護する目的できた」

「それだけか?」

 俺は思いっきり声のトーンを落とし、威嚇する。

「ここは違法な実験場だ。封鎖せねばなるまい」

「もう遅い。封鎖は決まっている」

 俺はなおも低い声でうなる。

 保がいない以上、もうこの研究棟は終わりだ。彼一人によって支えられていたのだから。

「俺たちは地球へ向かう。テラフォーミングの開始だ。残党であるスキアも、ここのサイコ粒子砲で一掃される」

 手を上げて出てくる清流。

「それはホントか?」

「ああ。玲奈!」

 俺の後ろに隠していた玲奈が前に出る。

 と、玲奈は清流めがけて発砲する。

「お、おれは……お前を助けに」

 ごふっと粘度の高い液体を口から吐く。

 赤く染まった液体は床をぬらす。

「ギリトーゼ、お前らはやりすぎた」

 コロニーに開いた大穴を思い出しながら、清流が死ぬのを待った。

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