第14話 製薬。

 ピピピっと電子音が鳴り響く。ひどく頭が痛い。

 俺は目を開けて、カプセルから這い出る。

 カプセルはガラス面が壊れており、内容液がぴちゃぴちゃと重力を求めてこぼれ落ちている。

「なにがあったんだ? 保」

「大変なことになった。実験体のスキアが逃げ出した」

「そんな!」

 驚きの声が室内に響き渡る。

 俺は夢の中で会ったあのスキアが、このコロニーをうろついているのか。

「お主はいますぐスキアを倒してくれ」

「理彩たちは?」

 このままじゃ生きていけない彼女たち。経験上、少しの間なら離れていても問題ないらしいが。

「すまん! 彼女らを助けるすべはない。このままじゃ死ぬ」

「――っ!! じゃあ、俺がそばにいる。こいつらを治すまでは」

「阿呆なことを言うな! 半間くんならスキアを倒せる。ここの住民を見殺しにするつもりか!」

 齢80になった新井を思い浮かべる。きっと他にもたくさんの人が住んでいる。そして平和な日常を過ごしている。

 だからなんだというんだ。俺にとっては夢の世界がすべてだ。現実は残酷すぎる。

「5万人の命がかかっているんだぞ! それでも見捨てるというのか!」

「保博士。それを言うなら、サイコ粒子の量産とかを行っていましたよね? それを使うのはどうです?」

 サイコ粒子があれば人の精神を回復できる。だから量産に取りかかったのだろう。

「あ、あれは……」

 今まで歯切れの良い声をあげていた保の言葉が曇る。

「どうして、黙っているのですか?」

 俺は眉根を寄せて、ぐっと拳を固める。

「……すまん。サイコ粒子の量産はまだ、できていない」

「なぜです! 俺から出ているサイコ粒子を増やせるンでしょう?」

 保の陰りを見て、苛立ちが増す。

 この男は何を考えているのか。サイコ粒子の増産は無理? この前までは意気揚々と、得意げに話していたのに。

「すまん。わしのミスじゃ。サイコ粒子の量産にはあと3年かかる。それでも急ピッチなのじゃ」

「3年?」

 具体的な数値がでてきたのに、引っかかりを覚えオウム返しをしてしまう。

「そうじゃ。受精卵が子供になるまで」

「……まさか、量産って……」

 いやだ。それ以上は聴きたくない。

「そうじゃ、お主のクローンじゃ」

 俺がコールドスリープに入るたびに細胞の一部を削り取られ、クローンの核にしていたのだ。

 めまいがする。

 バカな。俺のクローンを造り、そしてサイコ粒子を増やす、と。

「問題は同じような体験をさせ、サイコ粒子の成長を促す必要がある。そのための3年じゃ」

「思考を加速して、ですか?」

「もちろんじゃ」

 鷹揚おうよううなずかれた。

 それだけの確信があるらしい。

「じゃあ、どうすれば……」

「これはトロッコ問題じゃ。たった三人の女性を救うか、それとも人類を救うか。選べ少年」

 俺の背中をバシッと叩く保。

「両方は無理ですか?」

「無理じゃな。半間くんが二人いないかぎり」

 俺が二人になれるわけがない。

 待てよ?

「保博士」

「なんじゃ?」

 怪訝な顔をする保。

「スペシャルDNAがあると特別なサイコ粒子が生まれるんですよね?」

「ああ。そうじゃ。だが、スペシャルDNAを持つ者なんて……。あ!」

「そうです。俺のクローン、その素体の遺伝子を活性化させれば」

 遺伝子というのはいつも活性化されているわけじゃない。必要なときに、必要な分だけ活性化され体内の機能を維持しているのだ。

 でなければ、人間は唾液や胃酸などでドロドロに溶けてしまう。遺伝子を制御するシステムがあるのだ。

 だが、サイコ粒子が作用するスペシャルDNAとやらを活性化させれば、本来の俺でもスキアに対抗できる力になる。

「なるほど。わしも痛恨のミスじゃ。今すぐコロニーの半間博人に連絡を!」

 電話を終えると、さてと、と呟く保。

「それまでにDNA活性化の薬でも作るかのう」

「作るんですか? これから?」

「そうじゃ、提案してきたのはそっちじゃろうて」

 あきれた声で応じる保。

 しかし新薬を開発するには莫大な時間と労力、それに金が必要になるはずだ。その財源はどうこなしているのか。

「これを使う」

 保が持ったのは綿棒だ。

「え。これで作れるのですか?」

「まあ、じっとしておれ」

 保が俺の口に綿棒を刺してくる。

「な、なにをするんですか? いきなり」

「ほほほ。君の細胞を手に入れた。これで薬が作れるのじゃ」

 そういう理由があっても、勝手に綿棒を突っ込むのはひどい気がする。せめて一声かけてほしい。

 隣の部屋にこもったと思うと、今度はしわがれたご老人が廊下を歩いているのが分かる。

「もしかして、半間博人、さんですか?」

「おお! これがワシのクローンか。初めてみた。確かに若い頃の俺にそっくりだ」

「こうして対面できて嬉しいです」

 ペコリと頭を下げ、謝辞を述べる。

「まあ気にするな。それより保さんは?」

「隣の研究室ですよ。新薬の開発です」

 俺は隣の部屋を指さす。

 ちょうど、保がプレパラートの上に何かを載せていた。

「今からか……。少し話しでもしようか?」

「は、はい」

 緊張のあまり言葉が詰まってしまった。

 これが本当の俺か。なんだか疲れが見えるな。

 杖をつき、身体が縮んでいる。慌てて出てきたのか、靴下は左右で違う。

「俺はね。この世界が好きなんだよ。何げないお店のパン、さび付いたお店のお酒。どれをとっても幸せだ」

 本当の俺はそんなことを言うのか。

「でも、俺は嫌いです。俺がカプセルに入っている間に、のうのうと生活するなんて!」

「憎いかい? 俺らが」

 そう言われ、改めて半間(真)に向き合う。

 その目は未だに輝きを残している。未来を見据えた優しい目だ。

 見つめていると、なぜか目の端から雫が落ちる。

「どうしたね? 俺らを憎んでいるんじゃないのか?」

「分かりません。でも、俺が憎んだのは少なくともあなたではない」

 憎い。

 その感情は認めたが、この人が原因ではない。そう理解した。この人に向けていい感情ではないのだ。

「〝スワンプマン〟というのを知っているかい?」

「はい。男が突然、雷に打たれて死ぬ。そして再び雷が近くに落ちて泥と化学反応を起こし、男と同一の人物ができる――でしたよね?」

 うんうん、と頷く半間。

「その生まれた男は本当に死んだ男だったのだろうか?」

「それは……考えたこともありません」

 知ってはいても深く考えたことはない。それにしても意味があるのか? この会話に。

「でも死んだ男は〝死〟の記憶を持っているので、生まれてきた男も死ななければおかしいです、よね?」

「ほう。面白い考えだね。死を経験しているからこそ、精神的ダメージがあり、ショックで死ぬ、と」

 俺のおぼつかない説明を埋めてくれるあたり、地頭がいいのかもしれない。

 って、これじゃ自画自賛しているようなものじゃないか。だって俺は半間さんのクローンなんだから。

 しかし遺伝とはどこまでするのか? 頭脳や考え方も? 筋力は遺伝できない。となると、頭脳も鍛えなければ遺伝しないのではないだろうか?

 それにしても、将来は俺もこんな風になるのか。

「なんだい。物珍しい者を見るようで」

「あ。いえ。すみません。俺がクローンだと思うと、どうしても信じられなくて」

「そうだろう。そうだろう。俺も最初は信じなかったしな。しかし、こうして外気に触れて大丈夫なのか?」

 気遣う姿勢を見せる半間。

「まあ、大丈夫みたいです」

「それは良かった」

 にかっと笑った半間。銀歯の目立つ笑みだ。

『できた!』

 大きな声が隣の部屋まで響く。

 どうやらスペシャルDNAを活性化させる薬ができあがったらしい。

 これで一安心だ。

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