第2話 五分前デート。
ごぼごぼと泡立つ。
「被検体F56。術後の経過観察中、意識が戻りつつあるようです」
「なに!? 急いで電磁パルスの出力をあげよ」
ここは水中の中? 息が……できる? なぜだ。手を動かすとケーブルのようなものが一緒に動く。
「覚醒! 非常事態! ルネスタ注入! いやもっと強力な睡眠薬を!」
誰かが叫んでいる。耳鳴りがする。吐き気がする。自分はどうなっている。
「注入完了。サイコ粒子及び脳の活性化、鎮圧」
ああ。これは夢の中の話なのだ。俺はまた五分前の世界に戻っていくのだ。
まぶたを閉じ、再び開けると隣に理彩がいた。
「ちょっと。授業中よ。起きなさい」
耳打ちをしてくる。
「ああ。悪い」
目を覚ますと、俺は黒板に目を向ける。因数分解の授業のようだ。これでも記憶の中に何度も登場してきた問題だ。
「半間! そんなに寝ていて、そんなに授業がつまらないか!」
怒りの声を上げる
「いえ。ちょっと疲れが出てしまって」
「じゃあ、この問題を解いてみろ」
当てつけに黒板の数式を示す先口先生。
「ええと。2x^2+3xですかね」
すらすらと解いて見せると青筋を立てる先口先生。
「せ、正解だ……!」
苦し紛れに応える先生。
気力を失った先生は魂でも抜かれたかのような顔で黒板に向き合う。
前の記憶がなければ解けなかっただろう。
しかし、なんだ。この違和感は。
「明日は晴れるといいね」
理彩が空を見上げて呟く。
明日はいよいよデートの日だ。理彩の考えや気持ちを知る大事な日になるだろう。
「大丈夫だよ、天気予報によると曇りのち晴れだから」
「そっか。そうだね」
恥じらうように頬を掻く理彩。
しかし、デートか。
昔の記憶を持っていなかったら、一喜一憂していたところだが、今回はそうはいかない。
前にこっぴどくフラれているのだ、俺は。それも理彩に。
なまじ昔の記憶があるせいで、俺は
「今日、一緒に帰ろ?」
「ああ。かまわないが……」
ためらいつつも、肯定する。
これを
余計なことを考えてしまった。
彼女たちがどう思うのではなく、俺がどう思っているのかが重要なはずだ。ラブコメの主人公はいつも迷う。そして決断できないでいる。そこんところ、俺はしっかりしている。大丈夫だ。問題ない。
そう心に誓い、俺は下駄箱へ向かう。もちろん理彩も一緒だ。
「
「バイトも休みだし、勉強かな」
「もう、真面目だな~。博人は」
「でもこれくらいしか取り柄がないし……」
それに昼間見た光景も気がかりだ。
勉強といっても学校の授業ではない。大学で扱うような研究テーマ、論文を読むのだ。そして情報番組を見て過ごす。それが俺の日課になっている。
しかし、今日はやけに静かだ。いつもなら玲奈や葵がやってくるのに。
「何を考えていたの? 半間くん」
「そうそう、こんな感じで。って! ええ!?」
俺はいつの間にか隣に並んでいる玲奈に驚きの声をあげる。
その横には葵もいる。
「二人っきりになんてさせませんよ! 理彩先輩」
「そうね。二人きりは許せないわ、理彩っち」
葵がすごい形相でこちらを睨む。
冷や汗を垂らし、目をパチパチさせる理彩。
「ご、ごめん。でもわたし、もう我慢できないから!」
そう言って理彩は俺の手を引き、走り出す。
「ちょっと待った!」
俺は引っ張られながら、家路につくのだった。
次の日。
昨日のことが嘘のようにまぶしい天気に恵まれていた。
「いい天気だ。しかし……」
デートとなるとやはり緊張する。
これまで何度も経験してきた、その記憶があるが、何度も失敗している。
一、他の女の子の話はしない。
二、会話を弾ませる。
三、お金に関する振る舞い。
四、無理に関係を進めようとしない。
とこれが禁則事項だ。デートでやっちゃいけないことだ。
頭の中で何度も言い聞かせ、銀行から下ろしたばかりのお金を財布に突っ込む。
会話に関しては、話題を手帳に書きとめ、いくつかは記憶もした。
あとはやってみるだけのこと。
緊張の面持ちで玄関を出る。
朝シャン、ひげを剃るのを忘れずに飛び出した俺は、駅前までチャリで走り抜けた。
駅前のワンチャンス公の像が飾ってある駅で待つことにする。
暇つぶしにアプリゲームをちょこちょことやってみる。凝り性なので、すでにプレイ時間は100時間を超えている。
「よっ。やっているね」
理彩がやってきたが、その格好に驚きを隠せない。
Tシャツにデニムというボーイッシュなコーデできたのだ。
「なんか、俺よりも男っぽいな」
「うっさい。わたしにはこっちの方が似合うんだよ」
「ホント、そうだね」
俺は褒めたつもりで首肯する。
だが、理彩は少し不機嫌な顔を見せる。
「いや、理彩らしくていいんじゃないか?」
会話を弾ませるためにも褒めておこう。
「むぅ。そう言うなら、いいけど……」
でもデートくらいは女の子らしい服装できて欲しかったな。
「で。どこに行きたいんだ?」
「水族館!」
「いいね。そのチョイス好きだよ」
「でしょう? わたしだって女の子なんだから」
そう言うなら、格好から入るべきだったのでは? と疑問に思うが口にはしない。
真夏の炎天下で、俺と理彩は電車を乗り継ぐこと1時間。疲労感を覚える。
やっとのことで水族館に着く。
外は熱いが、中はひんやりしている。
「今日は日差しが強いね」
「まあ、7月だしな。そろそろ夏休みだし」
「楽しみだな~。夏祭り」
「そうだね。夏祭り、みんなで行きたいよね」
「みんな? それって玲奈ちゃんや葵ちゃんのこと?」
「そうそう、って」
しまった! 他の女の子の話をしてしまった。これで好感度は下がるだろう。
「なによ。博人の言いたいことは大抵分かっちゃうんだからね」
まったくもう、と怒る理彩。
「すまん! 俺としたことが……」
この間、ネットで見たイケメン労働法にも、記載されていたというのに。
しかし、少し怒っただけですぐに
「もう、しょうがないな。今日は笑って過ごすって決めたんだから」
「そ、そうか。なら昨日の理彩に感謝だな」
「今のわたしに感謝しなさいよ」
「ははは。違いない」
俺が笑っていられるのも、理彩のお陰だ。
今日は笑って過ごす、か。理彩の心持ちに感謝しつつ、水族館内に入る。
清涼とした雰囲気に、薄ら闇の中を泳ぐ魚たち。
ギンギラギンに光を反射する銀色の鱗。
きらめくサバに、とげとげしいカサゴ、ゆったりと泳ぐエイ。
どれも見ていて綺麗だと思う。
「綺麗だね。おいしそう」
水族館でその感想はどうなんだ? と思いながら、俺は時間を見る。
そろそろ昼時だ。少し早いが混み出すよりはいいだろう。
「そろそろ食事にしないか?」
「いいね。食堂はどこだっけ?」
「こっちだ」
俺は指を指して案内する。
食事をするために二階から降りる。
一階にある大きなスペース。その横に食券が売られている。
「ここが食堂かー。広いし、明るい感じだね」
「そうだな。建てられたのも3年くらい前だしな」
「新しいもんね。ここ」
そう言って俺は牛タンカレーを、理彩は
「わぁああ。うまそう!」
理彩は割り箸を割り、さっそく鯛茶漬けに口をつける。
「俺も。いただきます」
牛タンカレーを頬張る。
うまい! 水族館の食堂と、侮っていた。
ちゃんとした料理がでてくるものだから、俺も感心した。
うまいメシがあり、目の前に可愛い女の子が座っている。こんな幸せがあっていいのか。
ザザザッ。
耳鳴りがする。激痛が頭を揺り動かす。
この世界は五分前に作られた。
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