壊れた世界の半間くん。

夕日ゆうや

第一巻 世界は壊れる。

第一章 世界五分前仮説

第1話 世界五分前仮説

 ――これはとある愛の物語ラブストーリーである。


 世界五分前仮説というのがある。

 この世界が五分前に作られたという仮説である。肉体も精神も、記憶さえも五分前に作られたという思考実験だ。

 なら、俺も五分前に作られたのだろうか?

 そうであるならこの記憶も正しいのだろう。

 俺は十五分前まで狩人をやっていた。だが十分前には医者、五分前はサーファーをやっていた。

 そして今は学生をやっている。

 この世界は破壊と再構築を繰り返している。だが、バグなのかなんなのか俺の意識は受け継がれている。そのおかげで様々な業種業界を見てきた。回りの人間よりも少し大人なのはそのせいだろう。

 しかし、今回の五分前仮説は長い。もうじき、五分を経つというのに、世界の崩壊は訪れない。

 こうして考えている間にも五分を経っていた。でも、世界は破壊されない。新しい世界を構築していない。

 つまりこの世界には意味があるのだろう。

「どうしたの、博人ひろと?」

「ん? ああ。この世界は壊れないなーって思って」

「ははは。物騒なことを言うね。わたしは壊れてほしくないな」

 この世界ではこの子・新井あらい理彩りさは俺の幼なじみということになっている。

 腰まである長い黒髪、黒い瞳、背丈は高めでモデル体型といえるだろう。お姉さん気質があるわりにしゃべりがボーイッシュなギャップがある。そこが彼女の魅力なのかもしれない。

 同じクラスで隣の家。窓を開ければすぐ隣に彼女の部屋がある。帰りの遅い俺を心配して新井家の母・千鳥ちどりさんが夕食に誘ってくれる。そんな仲だ。ちなみに千鳥さんは未亡人で、女手一つで二人の子を育てている。そんな彼女を尊敬をせざるをえない。

 だが、それも五分前につくられたもの。この感情も、過去も。

 世界が壊れるとき、必ずノイズが走る。ザザザッと。だが今は変化がない。この世界はどうなっているのだろう? 不思議な世界だ。

「ほら、移動教室だよ。準備しよ」

「ああ。分かった」

 そういえば、この世界、この学校ではプールがあるそうだ。

 知っている。

 知らないはずなのに知っている。

 この感覚はなんだ? やはり五分前にすべてが作られたのだろう。

 この十時間、俺は幾度も世界が壊れ再構築されるのを見てきた。世界が壊れるとき、頭に激痛が走る。しかし他の誰も世界が五分前に作られたと気がつかない。

 俺が異端なのか? そうなのかもしれない。

 俺しかこの世界の変容を理解できていない。記憶を引き継げない。

 更衣室に入り、学校指定の水着に着替えると、プールサイドに出る。

 と、ちょうど浅葱あさぎ玲奈れなと鉢合わせになった。淡い栗色の髪を肩口で切りそろえており、茶色のくりくりした瞳をしている。背丈は小さい。全体的に小ぶりでいわゆるロリ気質だ。言動が甘いのもまた、彼女を幼く見せている要因の一つだろう。

「ちょっと。あんまりじろじろ見ないでよ。半間はんまくん」

「わりぃ」

 この子もこの世界では仲の良い方に含まれる。

 西にしあずま公園前で猫を拾ったのが出会いだった。たまたま居合わせた彼女は、この子を飼いたいと言いだし、俺がそれを手伝った。そういった仲だ。

「で、でも見てもいいよ。半間くんなら」

 どういう意味だろう、と首をひねっていると、後ろから鋭い眼差しが突き刺さる。クラスメイトの視線だ。呪符を唱えるようにブツブツと「リア充爆発しろ」と古めかしい言葉を投げつけてくる。

「ちょっと。甘やかしちゃダメ」

 理彩がぷくっと頬を膨らませ玲奈の背中を押す。

「もう、博人もそんなに鼻の下を伸ばさないの」

「いや、伸ばしているつもりはないが……」

 どうやらみんな俺が玲奈に毒牙をかけるのじゃないか、と心配しているらしい。だが、俺にはそんな気持ちはない。この五分でなびいたなら、どれだけ軽い男なのか。記憶はあるものの、前回は玲奈がサーファー仲間で、理彩がマネージャーをしていた。

 良久らくあおいもこの世界にいるのだ。この世界では婚約者だったわけではなく、後輩になっているようだが。

 プールでは理彩も、玲奈も、水着姿をさらし、男子どもの目線を一挙に集めていた。

 そんなにいいものかね。色恋沙汰には興味ない……といえば嘘になるが、見た目だけで人を判断するものではない。

 とはいえ、この世界がまた壊れれば恋も意味をなさない。

 神のふるサイコロを止めるにはどうしたらいいのか。いっそ神など滅びてしまえばいいのに。

 プールの授業が終わると、校舎に戻る。その途中、廊下で肩がぶつかった。華奢な身体だ。

「きゃっ」

「大丈夫か?」

「はい! 大丈夫です! って、半間先輩じゃないですか」

 ぶつかった子は葵だった。

 両手で抱えているのはプリントの山。彼女の性格上、先生のぱしりに使われているところか。まあ、小悪魔なこいつのことだ。内申点目当てであろう。

 はらりと舞うプリントが数枚。俺はそれを集め、葵に渡す。

「廊下は走るなよ。葵」

「すいません。でも半間先輩も前方不注意ですよ?」

「……それもそうか。それはこちらも失礼をした」

「ふふ。先輩だけですよ。そんなに素直なのは」

「そんなもんか? 俺は単純に自分にも非があると思っただけだが」

「でも、そんな先輩も……」

「なんだ? 俺がどうかしたのか?」

「ふふ。なんでもありません。それよりプリント届けないと!」

 そう言ってプリントを整え、歩きだす。

 その後ろ姿はトラックにはねられる過去の姿と重なった。

 俺はかぶりを振り、十分前の記憶を振り払う。

 この世界で彼女は生きているのだ。今更思うところもないだろう。

 そう言い聞かせ、教室に向かう。


「しかしこの記憶も五分前のものか……」

「なに黄昏れているのさ、博人」

「感傷に浸るのも人の特権だとは思わないか? 理彩」

「そうね。でも、わたしは黄昏れている暇があったら行動するよ」

 ふっ、と鼻から息が漏れる。

「それもそうか」

 理彩は目の前の椅子に座り、む。

「今度の日曜、出かけない?」

「いいけど……」

 これがデートというのは分かっている。こちらも理彩を知っているわけじゃない。知りたいのだ。彼女の性格を。

 二人の女の子が頭に浮かぶが、これは断じて浮気ではない。知るためのデートだ。以前の世界でもそうであったのだ。三人から言い寄られる。そして一人しか選べない。そんな時間を何度も繰り返している。

 今度はこのループから抜け出せるのだろうか?

 一抹の不安を胸に、俺は授業を受ける。

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