第9話

 キーンコーンカーンコーン……。


 昼休みが終わり、午後の授業が開始される鐘の音が鳴り響く。各教室へ向かう為に解散する事になったのだが……教室に戻るなり、明らかに不機嫌な人物が目立っていた。


 「むぅ……」


 授業に参加している。だがしかし、その雰囲気は非常に空気が悪い。見た目は女子生徒よりも女子らしく、殆どの生徒がその存在を男だと認識していない。だがしかし、そんな空にも言われたくない言葉がある。

 それが「自分を偽ってる」というような言葉だ。男子が女装している形であるのは事実なのだが、それでもそう言われるのは堪らなく嫌なのだろう。


 『お、おい、何か空ちゃんの機嫌悪くね?』

 『珍しいよな?何かあったのか?』

 『きっとあれだろ?新城の奴に何かあったんだろ?』


 コソコソとクラスメイトが話しているが、全く反応する様子はない。空は頬杖をしたまま、ノートをペン先で叩いて黒板を睨み付けている。ムスッとした表情を浮かべている空を見て、教室全体の視線がチクチク刺さる。


 「……はぁ」

 

 大きな溜息を吐いた空を見たクラスメイトは、一斉に俺へと視線を向け始めた。


 『新城あんた、空っちに何言ったのさ!?』

 『俺達の天使が落ち込んでるじゃねぇか!!一体何をしやがった!?』

 『あれか?ついにヤったのか?無理矢理に剥ぎ取ったんじゃねぇだろうな!?』

 『うわー、マジぃ?それだったら、マジできしょいわ』


 何やら勝手な事を言っているが、俺は手を出すような事はしていない。だがしかし、のではなくというのであればその通りだ。

 

 「……はぁ(どうすっかなぁ)」


 中学の時は少しキレただけで終わったけれど、あの時はただの口論の末に俺が謝って終わった。しかし、今は廊下で謝っても許してもらえていないのだ。正直に言って、お手上げ状態である。

 それでも家は隣だし、今まで何するも一緒だったからな。自然に事が収まるのを期待して待つべきだろう。変に声を掛けて刺激したら、それこそ面倒になるだけだ。そんな事を考えながら、俺は黒板に書かれた内容をノートに写した。


 ◇◇◇


 ――性別を偽ってる。


 何度も聞いて来たその言葉は、あたしを暗闇へと引きずり込もうとする。例えるのなら水の底。沈めば沈んでいく程、あたしの気持ちが黒い何かに包まれていく感覚がある。

 正直に言って、あたしは……蕪木空という存在が男である事を嫌っている。もし自分が女の子だったのなら、どれほど気が楽だったのかと考えてしまう程に。


 幼かった頃の話だ。まだあたしが女の子を演じる前、仲良くなったばかりのさっくんと遊ぶ約束をした日の事である。


 『こっちで遊ぼうぜー!』

 『あぁ!!』


 遊ぶ時間よりも少し早く公園に着いて、あたしはまだ来てないさっくんを待つ事にした。目の前には他の子が遊んでいて、それを眺めながらブランコに座っていた。

 当時のあたしは人見知りな部分もあって、なかなか同年代の子の輪に入るみたいな事が出来ない人間だった。引っ込み思案で、女々しくて、話す声を小さいような気弱な少年だった。

 今思い出せば、なんとも恥ずかしい思い出だろうと思ってしまう。出来れば封印しておきたい記憶だが、それでも封印したくない記憶でもあるから複雑だ。

 

 「……あ」


 足元に転がって来たボールがぶつかり、目の前の子が蹴ってくれと頼んでくる。しかし、その頃のあたしは運動神経は良くなかった。だから蹴ったボールは、あらぬ方向へ飛んでしまった。

 それを謝りつつ、急いでボールを取りに行こうとした。しかし、蹴飛ばしてしまった事を簡単に許すはずもないのだ。


 『おいおまえ、なにしてんだよ!』

 「え、えっと……」

 『ジャマしやがって、ボールが変なとこに行ったじゃねぇか!』

 「ご、ごめ――!」

 『どーげーざ!どーげーざ!どーげーざ!どーげーざ!』


 蹴っ飛ばしてしまったあたしが悪いのだが、それでも容赦なく責められたのは辛かった。土下座なんて言いながら、嘲笑う同年代の子達の声。

 当時のあたしには、泣き出したくなる程に苦しいものだった。やがて急かすように言う子が現れ、あたしを小突いたり、押したりして、強制しようとした時だった。あたしは怖くて、心が折れそうになった瞬間である。


 「――何やってんだよ、おまえら!」

 『っ!?』


 責められてるあたしと責める子の間に割り込んだのは、遊ぶ約束をしていたさっくんだった。間に入り込んだ時に視界を埋めた背中は、とても広くて、心強く感じた。

 両手を広げ、守るように立ち塞がった姿に憧れた。その姿を見たあたしは、同じ男だって忘れて憧れながら恋をしたのだ。素直に格好良いって、感じざるを得なかった。


 「さっくん、次は何して遊ぶの?」

 「んー、そうだな。……次はかくれんぼでもするか」

 「うん!」


 それから一緒に過ごす事が増え、さっくんが好きって気持ちが他と違うって理解したのだ。その時、あたしは聞いたのだ。


 「あ?好きな女の子?」

 「う、うん」

 「そうだなぁ……やっぱり可愛い子で、それでいて一緒に居て楽しい子が良いな」


 それを聞いた時、さっくんがやっぱり女の子が好きなんだって事を理解した。そう理解したけれど、やっぱり諦める事が出来なかったあたしは動いたのだ。


 「お、お前……そ、空なのか?!」


 それが始まりであり、あたしがこの姿となった理由である。偽りでも、何でも良い。あたしがさっくんの事が好きだって、その気持ちに気付いてくれるだけで構わない。

 それに気付いて欲しくて……あたしはずっと……今まで。


 「っ!」

 

 ――キーンコーンカーンコーン……。


 最後の鐘の音が鳴り響いた時、あたしは立ち上がって真っ直ぐさっくんの席に向かった。何事かと思うクラスメイトと咄嗟の事で驚いたさっくん。

 しかし、あたしの顔を見た瞬間、さっくんはいつもの調子に戻って問い掛けるのだ。


 「何の用だ?空」


 その問いに対して、あたしはうるさい鼓動を誤魔化すようにして告げたのである。


 「デ、デートしよ、さっくん!」

 「……は!?」

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