第27話

 暁斗は身体の震えを誤魔化しながら歩いている。この世界で覚悟していたこととは言え、人を傷付けた経験は初めてのことである。それが戦闘以外の突発的な出来事で、心の準備は整っていなかった。


――命は奪ってないけど、アイツらの人生を変えてしまったんだ。


 ダリアス王は暁斗が誰かを傷付けても咎めることはない。それは、最初に話をした時にダリアス王自身が暁斗に伝えたことである。


「……アキトさん、アーシェが少し眠そうなんです。今日一日はしゃぎすぎて疲れてしまったのかも。」


 アーシェはメイアと手を繋いで歩きながら、目を擦っていた。朝早くから暁斗のトレーニングに付き合ってくれて、今日は昼寝をしていない。


「本の袋は私が持ちますから、いつもみたいにアーシェをおんぶしてあげてくれませんか?」


「えっ!?……でも……、俺は……。」


「大丈夫ですよ。アキトさんは何も変わっていません。……この世界の人を想って踏み込んでくれただけです。」


 あの時の暁斗は自分が目的を遂げるために練習するつもりはなかった。ただ、このまま放置することが出来ずに行動を起こしたに過ぎない。

 他人と深く関わる事はあまりなかった暁斗が、連れてこられただけの世界を考えて行動していたことになる。


 それでも、アーシェに触れることを暁斗が躊躇ってしまっていることをメイアは見抜いていた。


「大丈夫ですよ。」


 もう一度、メイアは優しく声をかけた。

 本が入った袋は二つあり、かなり重かったので一つだけをメイアに渡すことにした。片手が空いていればアーシェを背負うことは出来る。


「……じゃぁ、アーシェ、おいで。」


 暁斗はしゃがむとアーシェは背中にしがみついた。いつもと変わらない何気ないことが暁斗に安心感を与えてくれて、身体の震えは止まっていた。


「メイア、重くないか?」


「重くないですよ。……私には、コレがありますから。」


 暁斗が少しだけ緊張しながら声をかけるが、メイアは笑顔で手の平の精霊石を見せてくれる。


「精霊石って、そんなことまで出来るのか?……それなら、二つとも持ってもらえば良かった。」


「甘えはダメですよ。これも鍛錬の一環です。」


 暁斗にとって、今は普通に接してくれていることが有難かった。自分が別の物に変わってしまったのではないと思わせてくれることで安心感が得られている。


「ちなみに、それは何の精霊石になるんだ?」


「これは風です。」


「風?……風で荷物が軽くなるのか?」


「袋の下だけ小さな風を起こして持ち上げるのを手伝ってくれるんです。かなり難しいんですよ。」


「……それを出来てしまうメイアがすごいってことか。さりげない自慢で助かるよ。」


 楽しそうにメイアは笑っていた。入っている本の数を考えれば女の子が軽々と持てる重さではないので本当に便利な物だと感心させられる。


「でも、もっと特殊な精霊石もあって、それがあれば簡単なんですけどね。」


「貴重品ってわけだ。あらゆる事象で精霊が存在するんだ。……逆に重くする精霊石ってのも、あるのか?」


「んー?一般的な物で代用するのなら土でしょうか?」


「え!?土が大量に出てくるとか?」


「土を出すこともできますけど、出さなくても重さだけを加えることも可能です。」


「ふーん、例えば、この状態でアーシェが土の精霊石を使ったら俺は潰れるってこと?」


「潰れるかもしれません。……でも、残念ながらアーシェに土の術式を教えていないので、まだ無理ですね。」


「そうか。俺のトレーニングが進んできたら、覚えてもらった方が便利になるかもしれないな。……それとも、アーシェにお菓子を大量に食べてもらって重くするのも手かな?」


「それはダメです。いまくらいのポッチャリ感が一番可愛いんですから。」


 暁斗の背後から『スースー』と寝息に近い呼吸音が聞こえてくる。もちろん、このアーシェが眠っていないと出来ない会話ではなく、起きていたとしても暁斗は精霊石についての質問をしていたと思う。

 だが、アーシェは目を閉じて心地良い眠りに誘われながら、二人のやり取りを聞いていた。



 家に戻るころには、暁斗の心はかなり落ち着いていた。

 それでも、アーシェをおぶっただけの普段と変わらない暁斗を見たドワイトから、


「……何か、あったのですかな?」


 と聞かれてしまう。この件については、メイアが『後で私が説明します』とだけ伝えて流されてしまう。

 暁斗も言葉にして上手く説明する自信がなかったので、『すいません』とだけドワイトに返す。ドワイトも、それ以上は何も聞かなかった。


「あら、アーシェは疲れて眠っちゃったの?……ずっと嬉しそうにしてたものね、ありがとう。」


 ミコットは暁斗の背中で眠るアーシェを見て、笑顔を二人に向けた。暁斗は何だか気恥ずかしさを感じてしまう。それから、アーシェが目覚めるのを待って食事を済ませた。

 その日は気分の高まりを感じて、暁斗はなかなか眠ることが出来なかった。



「……兄さま、今日はお留守番をしていてもいいですか?」


 ドワイトと鍛錬に向かう時はアーシェも一緒だったが、モジモジしながら暁斗に近付いてきて留守番を申し出た。

 今まで、そんなことは一度もなく常に行動を共にしてきたので暁斗は意外に感じたが深く考えることもなかった。


「昨日買ってきた本が気になってるのか?早く読みたいんだろ?……いいよ、帰ってきてから治療だけ頼むね。」


「はい!ありがとうございます。」


 元気に手を振るアーシェに見送られて、暁斗とドワイトは出かけて行った。

 ジークフリート戦へ向けて模擬戦は厳しくなると聞かされていたが、昨日の一件で気持ちも吹っ切れていた暁斗は余裕を持って望むことが出来そうだった。



「……では、あと10日でジークフリートと戦えるくらいになれるよう、頑張っていただきましょうか。」


「はい、お願いします。」


「ふむ、恐怖心を克服して、迷いがなくなっておりますな。……優しさと甘さは別の物と考えなければなりません。甘さを捨て去ることは優しさを失うことではありません。お分かりかな?」


「……何となく、ですけど。」


 昨日の出来事はメイアから聞かされているのだろう。食事を終えてからは早々に自室に戻ってしまった暁斗が、初めて他人を斬りつけた経験を克服しているのかドワイトは気にしていた。


「優しさとは他人に向けるモノであり、甘さは自分の中に生れるモノです。……優しくあるためには強さが必要ですが、弱い者は甘さを優しさとして言い逃れるだけ。」


「……それも、何となくですが分かる気がします。」


「ふむ。優しさを持っている者は強いが、強い者が優しいわけではないのです。」


「それはただの暴力でしかない、ってことですか?」


「そうですな。昨日のアキト殿の行動が正しいのか間違いなのか、そんなことは誰にも分からないことです。正解はなかったのです。……ただ、優しくあろうとして力を使ったことは分かります。」


「……。」


「正解のない曖昧な出来事に心を乱されることなく、他人を思いやる優しさを持ち続けてアキト殿は強くなってください。」


「……はい。」


 ある意味でドワイトとの鍛錬が次の段階に移行したのかもしれない。ドワイトが暁斗の強さを認めたからこそ、心の問題に触れてきている。

 最終的には人を殺すために強くなろうとしている暁斗には厳しい言葉だった。それでも、その時が来るまではドワイトの言葉を忘れずにいようと暁斗は決心した。



「まずは、ジークフリートにアキト殿の力を示すことが重要です。様子見をすることなど考えず、最初から全力で。」


 ジークフリートを相手に小賢しい戦い方は無意味らしい。ドワイトとの模擬戦は短時間集中で何本か繰り返すことになる。

 更に暁斗を鍛えるためか、アーシェが近くにいないからか、ドワイトの表情は普段にもまして厳しいものになっていた。


「……今日は、これで終わりとしましょうか。」


「えっ!?……俺なら、まだ大丈夫ですよ。」


「いや、申し訳ない。私の方が限界のようです。……現役を退いて、かなり鈍ってしまったようです。」


 ドワイトは、かなり無理をしているようだった。今の暁斗を鍛えるためには、ドワイトも全力の状態を継続させなければならない。

 いつもより早い終わりとはなったが、休み明けの暁斗も無理せず受け入れることにした。



 暁斗が成長しているのかもしれないが、アーシェの治療を受けていなくてもダメージは少なかった。

 家に帰るとメイアがミコットと食事の準備をしてくれている。


「……あれ?……アーシェは一緒ではないのですか?」


 メイアが不思議そうな表情で暁斗に声をかけた。暁斗の心は異常なほどにザワつき始めている。


「……えっ!?……昨日、買ってきた本を読みたいって……。今日は留守番をしてるって……、言ってたんだけど?」


「えっ?……ミコットさんは、いつも通り一緒に出かけてるはずだって……。えっ?」


 暁斗は急いで階段を駆け上がりメイアたちの部屋のドアを開けた。焦っていたのでノックもせずに乱暴に開け放つが、部屋の中には誰も居なかった。

 万一のことも考えて、暁斗の部屋も確認するがアーシェの姿は見えない。


 暁斗は自分の心臓の音まで聞こえており、真っ暗な部屋に横たわる死体を前に立ち尽くしていた時の映像が頭の中に甦ってくる。


――クソッ、こんな時に思い出さなきゃならない記憶じゃないだろ!


 気持ちを落ち着けて1階に急いで下りていき、暁斗はメイアと合流した。メイアは暁斗の顔を見ると首を横に大きく振って、アーシェが家の中にはいなかったことを伝えた。

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