第18話
観光気分でゆっくり歩いてしまっていた時間と、早歩きのメイアに連れてこられた時間。相殺された形となり、予定していた時間には到着することができた。
屋敷の門前にはジークフリートが立っており、頭を下げて二人を迎えてくれている。
「ようこそ、お越しくださいました。お部屋の準備は出来ております。」
恭しくメイアに挨拶をする様子を見て、メイアが『様』を付けて呼ばれていたことを暁斗は思い出す。
「……久しぶりですね、アキト。……頭の調子はどうですか?」
「なんだか、その質問のされ方だと、俺の頭が悪いみたいに聞こえるんだけど……。」
「はは、申し訳ない。そんなつもりはなかったんだ。」
暁斗には、かなりフランクな対応になっている。ジークフリートの年齢は暁斗よりも若干上だろうか。この世界に来てから年齢が確定している人物はまだいないので、外見的に判断するしかなかった。
「……ついさっき、この国の言葉で分からないことが出てきたばかりだから、あまり改善されてはいないかな?」
「まぁ、時間がかかっても諦めずに治療を受けた方がいい。……それでも、身体の方は充実しているみたいですね。」
暁斗は自分で自分の身体を確認してみるが、まだまだ変化は見られない。
ドワイトにも褒められてはいたが、たった10日のことで変化があるとは思えなかった。
「特に変わりはないんだけど……。」
「そういうことは、意外に自分では分かり難いものなんですよ。」
ドワイトからはボロボロになるまで厳しめの指導を受けている。ボロボロになった状態で一日が終了しても、アーシェが完全にリセットしてくれている。時間以上の効果が得られていることは間違いなかった。
そして、暁斗の身体が、この世界の環境に馴染み始めていたことも影響が大きい。
「あっ、今日はこんな話をしている場合じゃなかったですね。……それでは、ご案内します。」
ジークフリートに続いて屋敷に足を踏み入れる。暁斗とにとっては少しだけ懐かしさのある屋敷だった。ロドリーの案内でなかったことで気分を害されることもない。
案内された部屋は、無駄に広い空間に豪華な装飾が施されたソファーとテーブルが置かれていた。気品ある雰囲気と成金趣味が鬩ぎ合っている微妙な感覚の部屋だった。
「俺が眠ってたのは庶民的な部屋だったけど、こんな部屋もあるんだな?」
「貴族の方を迎えるためのお屋敷ですよ。当然じゃないですか。……アキトさんの治療で使っていたお部屋は、従者の待機部屋みたいなものなんです。」
「あぁ、そういうことか。……でも、あの部屋の方が居心地は良かったな。」
「フフッ……、あの時のアキトさんは血だらけだったので、あの部屋にしてもらったんですよ。」
他の部屋を暁斗の血で汚すわけにはいかなかったのかもしれない。ロドリーの態度が悪かったのも、血で汚れた暁斗が運び込まれたことへの不満があったのだろう。
「高価な家具ばっかりだろうからね……。それに、こんなに広い部屋にソファーとテーブルだけって、勿体なく感じるよ。」
話をしながらも、暁斗はソファーにもたれて座ったり、前屈みになってみたり落ち着かない様子だった。室内を意味もなく見回したりもしている。
メイアは、そんな暁斗を見ていて不思議に感じていた。
「……アキトさん、どうしたんですか?……何だかソワソワしてるみたいですけど。」
これまでの暁斗には見られなかった落ち着かない態度が意外でしかない。どんな時でも感情の起伏は少ない方で、メイアが表現するような『ソワソワ』感は珍しいことだった。
「えっ?……あっ、何だか緊張してるんだよ。」
暁斗は緊張している今の自分を隠すことはなかった。
「緊張してるんですか?……どうして、アキトさんに緊張することがあるんですか?」
「どうしてって、俺は、セリムってヤツを接待するために異世界まで来てる。今、ドワイトさんに鍛えられてるのだって、セリムのためにやってるんだ。……そりゃぁ、やっぱり、どんな男なのか気になるだろ?」
セリムが文句を言わずに魔獣退治を始めていれば、暁斗は異世界転移することもなかった。セリムが、この世界に存在していたことが暁斗が異世界転移した理由になっている。
そして、異世界へ来ていなければ、暁斗は生きていることもできなかった。
「あまり期待なんてしない方がいいですよ。……寧ろ、私は心配しているんですからね。」
「見てるだけなんだから、心配するようなこともないだろ?」
緊張するようなこともなければ、心配するようなこともない。これが正解であるはずだった。今日は、少し離れた場所から見てみるだけであり、何か起こる事は考えられない。
仮に見つかってしまったとしても誤魔化してしまえば問題にはならないので、気楽な時間のはずだった。
「心配になりますよ。……セリム様を見た後で、アキトさんが嫌になるかもしれないじゃないですか。あんなに過酷な修練だって止めたくなるかもしれませんよ。」
「俺が、『こんな男のためには頑張りたくない』って、言い出すかもしれないってこと?」
「はい。」
しっかりと頷きながら答えるメイアからは強い意志を感じられる。
立場上、セリムに『様』をつけて呼んでいるが認めたくない存在になっている。
メイアがセリムに抱いているのは、女性が言う『生理的にムリ』的なものだろう。暁斗が同様、メイアもセリムの存在で迷惑をしている一人であるのだから仕方ないことだ。
まだセリム到着までには時間があるらしく、ジークフリートがお茶を用意してくれた。お茶を置いて部屋を出ようとするジークフリートを暁斗が呼び止めて、一緒にお茶を飲もうと誘ってみる。暁斗はジークフリートの存在も気になっていた。
「……すごく不躾な質問で申し訳ないんだけど、ジークフリートって騎士なんだろ?……どれくらい偉いんだ?」
「ハハッ、私は、騎士の称号も与えられていないんだから、偉くなんてないですよ。……単なる一般兵としての扱いだ。」
「えっ!?嘘だろ?」
「嘘なんてつかないですよ。忙しくないから、こうやってお茶を飲んでいても怒られないんだから。」
「すごく強そうだと思ってたんだけど、違うのか?」
「ありがとう。でも、騎士に求められるのは強さだけじゃないんだ。……人間的に未熟な私では、欠落していることも多いんです。」
ジークフリートの言葉を疑っていた暁斗はメイアの方に視線を向けた。メイアは複雑な表情ではあるが、暁斗の視線に頷いて答えてくれる。どうやら事実であるらしい。
騎士として求められる物が何かも暁斗には分かっていないが、落ち着いた口調や品のある動作を見ていたので容易に信じることができなかった。
「……なんだか意外だな。……ちなみに、ジークフリートって何歳なんだ?」
「私の年齢かい?……21歳だけど?」
「21歳か……、予想通りではあるんだけど、一年は何日になる?」
「一年は360日だけど、そんなことまで忘れてしまっていたんだ……。」
心配するようなジークフリートには申し訳ない気持ちになってしまう。忘れていたのではなく、今まで聞く機会がなかっただけのこと。
一年間で誤差は5日だけであり、大きな問題にはならなさそうだった。
「あと、メイアっていくつなんだ?」
ここぞとばかりにメイアに質問を振ってみた。このチャンスを逃してしまえば、次に聞けるのは何時になるか分からない。
「えっ?……どうしたんですか、突然。16歳ですよ。」
妥当と言えば妥当なラインだった。暁斗が想定していたメイアの年齢はもう少し下であったが、『指折りの術師』と呼ばれたことを考えれば16歳でも若いのかもしれない。
「16歳なんだ……。」
「その反応は、何ですか?私のことをいくつだと思っていたんですか?」
矢継ぎ早な質問は、明らかに不機嫌さを匂わせる。暁斗のリアクションで何かを悟ってしまっている。こんな時のメイアは異常な勘の鋭さがあった。
「そういうアキトさんは何歳なんですか?」
「俺?……俺は、たぶん18だよ。」
この世界と元いた世界で一年間の日数に違いはある。その誤差を考慮した場合に合っているか、少しだけ考えてしまったことで『たぶん』と言ってしまう。たった5日だけの誤差であれば気にする必要もないことだった。
メイアは暁斗が誤差を計算しながら話していることを察知していたが、ジークフリートは記憶障害の影響だと思ってくれている。
「二人は、ドワイトさんの屋敷で一緒に暮らしてるんだよね?お互いに何も知らなかったんだ。」
ジークフリートがさらりと口にした言葉は二人を大きく動揺させた。
「……一緒に暮らしてるわけじゃないですよ。」
ボソボソとか細い声でメイアが反論したが、この言葉を口にするのが精一杯であった。暁斗は墓穴を掘りたくはなかったので黙ってやり過ごすことにした。
その後は、三人で静かにお茶を飲みながらセリム到着まで待つことになる。
約束の時間までには隠れ終わっていなければならないため、広間には先に入ることになる。広間で、国王とセリムが話をするらしい。
広間の片隅には衝立があり、その衝立の後ろで覗き見ることが許されていた。暁斗が覗き見ることを許されている以上、国王が込み入った話をすることはないのだろう。
暁斗一人でも問題ないことだが、念のため隣りにはメイアもスタンバイしていた。ただセリムと見るだけのイベントでもコソコソした行動をしなければならず、結構慌ただしい。
ここからの時間、二人は息を潜め続けなければならない。
今の暁斗はセリムのことに集中しており、すぐ隣にいるメイアを意識することはない。
隠れてから間もなくして、部屋の外から話し声が聞こえてきた。
――部屋の外が少し騒がしくなってきたかな?
暁斗の緊張感は高まっていた。
部屋のドアがノックもされずに『ガチャッ』と音を立てて開かれて、数人の男が入ってくる。
「……こちらにて少々お待ちください。」
案内役はロドリーだった。入ってきていたのは三名で、その中の一人がロドリーに勧められたソファーに座る。
暁斗の印象は『丸い』だった。離れた場所から見ているので身長など細かなことまでは分からないが、とにかく太っていて丸かった。派手な服を着てはいたが、お腹の付近がめくれてしまっている。
太々しくソファーに足を組んで座っている。無理やりに足を組んでいる感が強くて、その姿は少し滑稽だった。それでも、綺麗な金髪で顔も悪くはないように見える。
――すごいな……。メイアに聞かなくても、どれがセリムなのか一目瞭然だ。
「お茶をお持ちいたしますので、こちらでお待ちください。」
声をかけて退室するロドリーに軽く手を振って応じる。この部屋に入ってきてから、セリムは一言も発していない。
――あれが、『セリム』なんだ……。
暁斗には表現し難い感情が湧き上がっていた。良くも悪くも、セリムは暁斗の運命を変えてしまった男になっている。
暁斗は、この男が物語の主人公となれるように支えていかなければならない。
――痩せて身なりを整えれば、かっこいいんじゃないのか?
そんなことまで考えてしまっていた。メイアは何も語りかけてこなかったし、身振りで報せるようなこともしなかった。
――!!!?
セリムの脇に立っていた銀髪の青年が、暁斗たちの隠れている衝立の方を一瞬だけ見たような気がした。セリムに集中しており、その青年を気にしていなかったで余計に慌ててしまった。
しっかりと隠れていたし、距離も離れている。物音一つ立てていないのだから気付かれるわけがない。一瞬の視線だったので、気のせいだったかもしれない。
――気付かれて……、ないよな?
それ以降、その青年が暁斗たちの方を見ることもなく正面だけを見据えていた。セリムは一度だけ直立不動で立っている青年を振り返ったが声をかけることもなかった。
「あー、面倒クセ―な。……あんまり待たされるなら、帰っちゃうか?……なぁ?」
突然、セリムの声を発して脇に立っている青年に同意を求めた。青年は何も反応しないで、正面を見ているだけだった。
「何だよ、返事くらいしろよ。……お前みたいに使えない男を雇ってやるんじゃなかったよ。クソッ!」
同意を求めたはずが無視をされてしまい、苛立ったセリムが組んでいた足を解いて脇に立っている青年を蹴った。
――おっ、セリム様の本領発揮かな?
ダリアス王やメイアからの評価を聞いていたので、暁斗は全く驚かなかった。それ以上に、想像通りであってくれたことが嬉しかった。セリムが想像通りの人物であってくれなければ、ダリアス王の言葉全てが嘘になってしまうのだ。
ロドリーが持ってきたお茶は一人分だけだった。脇に立っている青年を従者として扱い、確認もせずにお茶を用意しない態度が暁斗は気に入らない。
丁寧な態度で嫌味な行動を取れてしまうロドリーよりも、太々しい態度で分かり易く嫌味なセリムの方がまともに見えてしまっている。
しばらくすると、ドアがノックされて再び数人の男たちが入ってきた。今度は立派な体格の男性数名のグループで、西洋甲冑のようなものを身につけていた。
――あの赤いマントをつけてる男が、あの中では一番偉いかな?
一際体格のいい男は赤いマントを身につけ、甲冑の男たちを従えているような動き方だった。そして、その中の一人は、両手で大事そうに剣を持っていた。
――剣?……今日は、何をするんだ?
騎士らしき男たちは、部屋に入るなりセリムに次々と挨拶を済ませていく。後から部屋に入ってきたのは全部で5人であったが、まだ国王は姿を見せていない。
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