第17話
あの国王の指示で暁斗に付き添っている人物は疑ってかかった方が賢明なことかもしれない。暁斗を利用する側の人間であれば、女、子どもを使って油断させることも躊躇いなく実行してくる。
だが、暁斗なりに考えてることがあり、
――利用されるだけになったとしても、この子たちが不幸になることがなければいいか……。
として、腹を括っていた。
メイアが国王からの指示に従っているだけなのか、自らの意思で行動しているのか、それは分からない。術師としての将来を約束してもらうためにメイアが選択したことだったとしても、メイアに利点があるのなら構わない。その方が却って暁斗には分かり易いことになる。
この世界で生きる人たちが、何を一番大切にしているかを知らない暁斗が口を挿むことではないことも多くある。
物事の片側だけしか見ていない人間は、簡単に裏切られたと思い込んでしまう。それは自分の価値観を押し付けた結果であり、自分の見ている景色と他の人が見ている景色は違って当然のことでる。
暁斗にも今回の件は利のあることだった。国王としての利、メイアとしての利、それを求めて行動している人間は自分を裏切ることをしない。他者が裏切りと感じるだけのことだ。
国王と話をした直後、メイアが『口封じ』の対象になるかもしれない危険性を暁斗は恐れていた。だが、メイアが自分の利の為に動いているのであれば、その方が気楽になる。
暁斗は、アーシェから『兄さま』と呼ばれたことに嬉しさを感じている。照れてしまってはいたが嬉しかったのだ。それでも、この状況に心を許し切れてはいなかったのかもしれない。
それからの10日間ほどは、基礎的な修練の繰り返し。
しっかりと食べて、しっかりと眠る。すっかり健康的な生活になっている。メイアの言葉通りミコットの作る物はどれも美味しかったし、皆での食事も楽しかった。
――ほのぼのとした展開も悪くないけど、ほのぼのし過ぎてるよな。
演出家がいたらクビになってしまいかねないレベルで、親睦を深めるだけのホームドラマ的な時間が流れていた。暁斗は意味もなく『大丈夫か?』と考えてしまい、不安になってしまう。
半年後のことが決まっていなければ、この空間に溶け込んでいけそうな錯覚にさえ陥りそうになっていた。
そして、メイアが提案してくれた案は効果的に機能している。
アーシェを乗せたままの腕立て伏せ、アーシェをぶら下げて行う懸垂、アーシェを背負ってのランニング。ちょうど良い加減で負荷をかけてくれて、ランニングでは頼れるナビまで務めてくれた。
「兄さま、あっち。」
首に回していた手を解いて、小さな指に示された方向へ走っていく。アーシェもコースを色々考えてくれているようで、坂になっている道や荒れた道を盛り込んでくれた。
アーシェの身体を支えているため暁斗も腕を振れないが、それが却ってバランス感覚を養ってくれている。
アーシェを背負って体力作りをした後は、ドワイトとの修練に移行される。『実践あるのみ』的に模擬戦を繰り返すことで、指摘を受けていたポイントを身につけさせられていた。
ドワイトとの模擬戦を見終わった後、
「兄さま、さっきの攻撃はもう少し上を狙った方がいいのです。当たればジジ様も気絶してくれます。」
丁寧に物騒な指示をアーシェは出してくれる。
精霊石での治療を勉強しているアーシェは、人間の構造にも知識があり先生役まで務めてくれた。
「いや、アーシェ、あまりアキト殿に助言しすぎてはいかんよ。」
ドワイトも二対一の構図は避けたかったが、アーシェを相手にすると強くは言えない。完全に優しいお爺ちゃんになってしまう。
それでも、暁斗が負けてくれなければ治療の練習相手もなくなってしまうので、適度に助言は手を抜いていた。
暁斗が成長できるように協力しながら、治療の練習台を作ることも忘れない、本当に頭の良い子だった。
「アキト殿、かなり身体の使い方を理解してきておりますな。……動きも少し柔らかくなっております。」
「まだ数日ですけど、アーシェにバキバキやられてますからね。」
「効果は保証します。」
色々と話をしている内に、暁斗は身体を柔らかくする方法をアーシェに聞いてしまい、勉強熱心なアーシェは暁斗の身体で整体師のようなことを試していた。予想以上に暁斗の身体が丈夫だったこともあり、実験台にもされている。
キラキラと輝く瞳のアーシェからお願いされると断ることもできず、練習台から実験台への昇格?を果たしていたことになった。
木陰で昼寝をしているアーシェに二人は視線を向ける。ドワイトとの修練中にアーシェのお昼寝時間も設けてあった。アーシェとしても、メイアから頼まれたことを一生懸命に取り組んでいたのだろう。
「……良い子でしょう?」
ドワイトは柔らかい表情をしながらアーシェを見ている。模擬戦の相手をしている時のドワイトを見ていなければ、ただの優しいお爺ちゃんでしかない。
「多少は、強くなっている実感も湧いてきているのではないですか?」
「まだまだですよ。……始めたばっかりですから。」
「何をおっしゃいますか。下位の兵が束になっても、今のアキト殿には全く歯が立たないと思いますぞ。」
「束になっても、って……、少し大袈裟じゃないですか?」
「世辞を言っても仕方ないではありませんか、正当な評価として受け止めてください。」
暁斗は早い段階で、ドワイトに『殿』を付けた呼び方や丁寧な言葉遣いを止めてもらうように申し出ていた。それでも、正当な扱いだから止めるわけにはいかないと言われてしまい、暁斗の申し出は呆気なく退けられてしまう。
ドワイトが『正当』とする基準が明確ではなかったが、素直に受け入れてしまった方が楽ではある。国王から頼まれて暁斗を鍛えているのであれば、客人扱いなのかもしれない。
僅かな会話の後、模擬戦は再開されることになるが、アーシェが昼寝中は木剣がぶつかる音を立てたくはないので寸止めルールが採用されていた。
無音での戦闘は非常に難しく、予想外に効果をもたらしてくれたかもしれない。
いつも通りドワイトとの修練が終わって屋敷に戻るとメイアが待ち構えていた。暁斗が望んでいたことの許可が下りたことを早く報告したかったらしい。
メイアは報告をしたいが、アーシェは治療がしたい。その日は初めて足を治療できるとあって、アーシェも譲らなかった。
――もしかして、アーシェが全身の治療を経験できるように、俺に怪我をさせる箇所をドワイトがコントロールしてるのか?
そんな疑いをかけたくなるほど、全身満遍なく暁斗は怪我をさせられている。お爺ちゃんとしての優しさかもしれないが、暁斗にとっては優しくない。
――メイアからの話も気になるけど、治療は済ませないと痛みで話に集中できないし……。
この場を支配しているのはアーシェだった。一生懸命になっているアーシェの邪魔をできる者は誰もいなかった。
「ありがとう、アーシェ。」
治療が終わった後には、頭を撫でてあげる。メイアから『ちゃんと褒めてあげてくださいね』と言われたことを暁斗も守っていたのだが、嬉しそうに撫でられているアーシェを見ているのは幸せな気分にしてもらえる。
――俺が、こんなことをしてるなんて……。
ゆっくり眠って、食事をして、皆と会話する。そして、小さな女の子を褒めてあげていた。異世界の方が人間らしく生きられていることを不思議に感じてしまう。
「……お待たせしたね、メイア。」
「平気ですよ、ありがとうございました。」
こんな時にお礼を言われてしまうと暁斗は少し困ってしまう。
アーシェの面倒を見てもらっていると思っているらしいが、圧倒的に暁斗が面倒をかけてしまっている。
「……明日、アキトさんからお願いされていた件が、許可をもらえたんです。」
「おっ、意外に早かったんだ。」
「はい。でも、直接会ってお話しをすることはできないので、遠くから見るだけになってしまいますけど、大丈夫ですよね?」
「もちろん、話せるなんて思ってなかったし、どんなヤツか見てみたかっただけだから問題ないよ。」
ここでやっと、この物語の主人公が登場することになる。
「名前だけしか知らないヤツを接待しなくちゃならないなんて、張り合いがないだろ?……俺は、そいつのせいで毎日ボロボロにされてるんだから。」
「
「そう
言霊の精霊石でも日本人特有のサービス精神を伝えることは難しかったのかもしれない。メイアは不思議そうな表情を見せていた。
「ごめん、いいんだ。気にしないで。」
「あっ!まさか、また私の悪口を言ってたんじゃないですか?」
「言ってないって!どうしてセリムの話をしていたのにそうなるんだよ。」
「……それならいいんですけど、アキトさんには前科がありますからね。」
いつの間にか前科持ちになってしまっていたらしい。おそらくは冗談で言われただけの言葉でも暁斗は後ろめたく感じてしまう。
――前科持ちになるのは、まだ早いよな……。
言葉にすることはなかったが、そんなことを考えてしまっている。
「それよりも、どこでセリムを見ることができるんだ?」
「アキトさんが最初にいたお屋敷ですよ。」
「あぁ、あの貴族専用の屋敷か。……また、あの嫌味な管理人に会うことになるのは憂鬱な話だな。」
「……でも、アキトさんが会いたがってる人の方が、憂鬱にさせると思います。……ロドリーさんの方が、ずっと
ロドリーも『マシ』と表現されている点では悲惨だが、メイアのセリムに対する評価は最低ランクらしい。
だが、ダリアス王とメイアからの評価しか聞いていない状態で判断することはできない。自分の目で見ておきたかった。
ダリアス王とセリムの面会は昼過ぎに予定されているらしく、午前中の基礎トレーニングだけに止めることになった。ドワイトとの修練はお休みである。
セリムに見つからないように行動するため隠れたりする時間も必要であり、早めに暁斗とメイアは出発することにした。
「やっと、主人公の登場か。」
出発の準備を整えている時に漏らした暁斗の言葉をメイアは聞いていて、
「……はぁ、あの人が主人公なんて、この先が思いやられます。」
珍しく溜息交じりに言葉が漏れていた。セリムと会えることになった報告を暁斗にしたかった時の嬉しそうな表情は消えており、これから会わなければならない事実だけが残ってしまったのだ。
セリムがダリアス王に要求した交換条件のことをメイアは知らないのかもしれない。もし、知らない状況で嫌われているのであれば、知ってしまった時には絶望しかない。
昼間の町は、朝に歩いた時とは違っていた。活気に溢れており、行き交う馬車の数も多かった。
市のようなものが開かれて買い物客で賑わっていたし、散歩を楽しむ家族も多い。ノスタルジックな風景も相まって映画のワンシーンを見ているような錯覚に陥りそうになる。
「……アキトさん、あまりキョロキョロしていると目立ってしまいますよ。」
暁斗の様子を見ていたメイアが少し可笑しそうに語りかける。今の状況は、御上りさんが観光を楽しんでいるように見えてしまっているのかもしれない。
「いや、冷静に考えれば、ここは俺にとっての異世界なんだ。……ちゃんと見ておかないと損だろ?」
「私が最初に説明した時は、大したことないっていう反応で、全然驚いてくれなかったの覚えてますか?……『へぇ』とか『そっか』とか期待外れの反応だったんですよ。」
かなり根に持たれていたらしい。最初、暁斗が驚くことを想定しながら会話の組立をしていたので、無反応だった暁斗はメイアに怒られてしまうことになった。
「それは……、聞くのと見るのは別物だってこと。……メイアだって、俺のいた世界を見てるんだから驚きはしただろ?」
「……私は驚きよりも怖かったです。……周りも暗かったし。」
「そうか、あの時は『夜』だったから仕方ないのかも。」
暁斗の少し前を歩いていたメイアが立ち止まって、振り返り暁斗をジッと見ていた。気になる物でも見つけたのかと考えた暁斗は周囲を見回したが、特に何もなかった。立ち止まった原因は暁斗にあるらしい。
「……アキトさん、『夜』って何ですか?」
「えっ?……はは、今回は騙されないよ。だって、メイアの悪口を言ったりはしてないんだから。」
暁斗だって、何度も引っかかってあげるわけにはいかない。そう考えていたが、少しだけ様子が違っている。
「それは分かってるんです。……でも、『夜』って言葉が分からないんです。」
今回は暁斗を騙している雰囲気ではなかった。メイアに伝わらない言葉が出てきたらしい。『接待』や『おもてなし』のように抽象的な表現の言葉ではない『夜』が伝わらなかった。
「……『夜』は『夜』で、昼の逆ってことかな?明るい時間じゃなくて、暗くなった時のことなんだけど……。」
「暗くなった時ですか……。何となく分かりました。」
暁斗の説明も下手ではあったが、改まって説明するとなると却って難しいものだった。
「『夜』は知らないのに『昼』は伝わるんだ。」
「きっと、陽の出ていない時間を『夜』って言うのは、アキトさんの世界だけのことになるんですよ。」
「……そうなの、かな?……こっちの世界ではなんて言うの?」
「私たちの世界では『アルネの支配下』になると思います。好んで使われる言葉ではありませんが……。」
「『アルネの支配下』……確かに重々しい響きだな。」
あまり良い言葉とは思えなかった。時間を表す言葉に『支配下』が使われていることで不吉な感じすらしてしまう。
「ん?……でも、それだと変じゃないか?……どうして、精霊石が『夜』を『アルネの支配下』に変換してくれなかったんだ?意味を直接届けるなら、問題ないはずなんだけど。」
「あっ、そう言えば、そうですよね。……どうしてなんだろう?」
これまで10日余りを過ごしてきたが会話には全く支障がなかった。言霊の精霊石は完璧に機能していたことになる。
それなのに、たかが『夜』の変換に精霊石が困るとは考え難かった。
「他にも、こんな言葉があるのかもしれないな……。」
「そうですね。……もっと、たくさんお話ししなくちゃですね。」
あまりに自然な会話の中で放たれたメイアの言葉は、かなりの破壊力を持っていた。
言われた暁斗も照れてしまっていたが、言った本人のメイアにもダメージを与えてしまっている。全く無意識のうちに発してしまった言葉であり、メイアは黙って歩き始めてしまった。
――でも、『夜』が通じないって、どうなってるんだ?
特別な言葉ではないはずなだった。この言葉が通じなかったとしても大した不便はないかもしれないが気になってしまう。
それでも早足になって歩き続けるメイアと、この話題を継続することは難しいかもしれない。メイアが言っていたように会話の中で見つけていくしかないことだった。
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