第16話

「えっと……、何も知らないですよ。」


 台詞も棒読みになっているし、目も泳いでいた。

 『白々しい』の見本のような反応を暁斗は目にすることができた。メイアの言葉を信用する方が難しいことになり、暁斗についての何かを知っていることは確実だった。


 メイアがベッドに座ったので、暁斗は椅子に腰かけることにした。暁斗としてはメイアが知っていることが何かを聞きたかっただけである。


「メイアが知っていたとしても構わないんだ。」


 暁斗は問い質すようなことをしたくなかった。ただ事実として知っていたいだけで、柔らかく言葉をかけた。


「本当に知らないんです……。ただ……。」


「ただ……、何?」


 メイアが言葉にすることを躊躇っている。何も知らないと言ってはいるが、何かを知っている。


「……アキトさんを治療している時に、アキトさんの記憶が少しだけ流れ込んできたんです。言霊の精霊石の影響だったと思います。」


「どんな記憶だった?」


 メイアは目を閉じて、その時の状況を思い出しているようだったが、意を決したように語り始めた。


「暗い部屋の中で、アキトさんが泣いてました……。苦しそうに泣いてるアキトさんの気持ちも流れ込んできて、すごく悲しかったんです。……押し潰されそうなくらいの悲しさでした。」


 それだけの情報でも、メイアがどんな場面を暁斗の記憶から見つけることになっていたのかを理解していた。

 暁斗の中に鮮明に残っている記憶だった。残っていると言うよりも暁斗に深く刻み込まれていた記憶であり、言霊の精霊石が過剰に反応して伝えてしまったのかもしれない。


「あの記憶がアキトさんの経験として残っているのなら、暗い部屋にいることが苦手なのかなって……。それだけなんです。」


「そうなんだ……。」


 嘘は言っていないかもしれないが、全てを語っていないかもしれない。それでも、暁斗は追求することはしない。メイアは、泣いている暁斗の前にいた人物も見ていたのかもしれない。

 全てをメイアが知っていたとしても問題はなかったが、過去のことではあるが号泣している自分を見られていたことに暁斗は恥ずかしさを感じていた。


「ごめんなさい。」


「んっ?知ってたとしても構わないって言っただろ。メイアが謝る必要はないんだ。……それに、俺のことも話せるようになったら、ちゃんと自分から説明するよ。」


「……はい。」


 暁斗が刺されて死にかけていた理由をメイアは質問してこない。

 転移させられた世界が、刃傷沙汰の絶えない荒んだ世界である可能性も考えていた。異世界が『刺されることが日常的な世界』であり質問するまでもない、とメイアが考えた可能性。

 だが、これまでの様子を見る限り荒廃しているような世界ではない。そうであれば、暁斗が刺された理由をメイアが知っている可能性の方が高いのだ。


――俺自身が全部を話していないのに、聞いてばっかりは卑怯だよな。……まだまだ先は長いんだ。これからでいい。


 どんなに急いだとしても、暁斗が元の世界に帰るまで一年以上はかかるはずだ。限られた期間であるからこそ、人間らしく過ごせる時間を大切にしていきたいと考えてしまう。その中で暁斗自身のことも、正直に話さなければならないと思っていた。


 当然のことだが、暁斗の人生の予定に異世界で生活することは含まれていなかった。それどころか、あの路地裏で人生終了となっていたかもしれない。

 イレギュラーな事案に巻き込まれた状況ではあったが、異世界では人間・月城暁斗でありたかった。


 少しだけ重くなってしまった空気を和らげるように、メイアが笑顔で語りかける。


「……明日も、また大変な一日になると思いますから、もう寝た方がいいですね。」


「そうだな。……あっ!そう言えば、ダリアス王との話はどうなったんだ?」


「……具体的には、まだ何も決まっていませんでした。とにかく、半年間は鍛えてもらえってことですよ。」


「異世界まで連れて来られたのに、大雑把な話しだよな。」


「仕方ないですよ。国王様は、他のお仕事も忙しいんですから。……それでも、この件に関しては優先的に動いているので、もう少し待っていてください。」


 ダリアス王の話を素直に受け止めるのであれば、セリムの接待に関われるのは極限られた特定の人間だけ。関わる人数が増えるほどに秘密を共有する人物も増えてしまい、厄介なことになるだけだ。


「あの国王だけで考えてるわけじゃないんだろ?」


「そうですね、エリス様がお手伝いされています。」


「……あぁ、あの不気味なヤツか。アイツは一体、何者なんだ?」


「この国で最高位の術師なんですよ。……不気味でしたか?」


 暁斗が不気味と表現したことに苦笑を浮かべていた。

 只者ではないと予想はしていたが、最高位の術師であるらしい。メイアが最高位と表現しているのであれば、メイアよりも格上。

 国王と最高位の術師とは、何とも怪しげな組み合わせに思えてしまう。


「まぁ、最高位の術師だろうが、俺には関係のない話だね。とにかく不気味な存在だよ。不気味以外の表現が見つからない。……そもそも、アレは人なのか?」


「えっ?人間ですよ。……何かあったんですか?」


「いや、何もなかったよ。……何もなかったけど、何も感じなかったんだ。」


 人として、生きているとは到底信じられない不気味な存在だった。品のない国王と生気のない側近、最悪の組み合わせだ。


 暁斗の言葉を聞いていたメイアは黙ってしまっている。メイアは暁斗と違って、この世界で生活をしている人間である。暁斗のように思ったままのことを口にすることはできないのかもしれない。

 ドワイトも同じだった。何か思うところはあるのだろうが、簡単に言葉にして伝えることはできない。


「これから大変だ……。」


 身体を使うだけでなく、頭も使わなければならなくなりそうだった。それでも、この世界の事情に深く関わり過ぎないように用心しなければならない。お互いが持っているメリットだけを考えて、ドライに対応しなければならない。


「そうですよ。……期待していますね、アキトさん。」


 この時、暁斗の言葉とメイアの言葉が噛み合っていたかは分からない。暁斗が何に対して『大変だ』と言ったかメイアは理解していなかったし、メイアが何に『期待している』かも暁斗は理解していない。

 それも現段階では問題ないことだった。



「あっ、そうだ。お願いがあるんだけど、明日からの体力作りで身体に負荷をかけたいんだ。何か重りってないかな?」


「……重り、ですか?」


「そう、こっちの世界は身体が軽くて楽なんだけど、鍛えるのには不向きなんだ。適当に重くして身体に負荷をかけないとね。」


「どれくらいの重さが必要なんですか?」


「……そうだな。こっちの世界の重さの単位が分からないから……、適当な重さで。」


「もうっ、そんな雑な説明では分かり難いです。でも、どうやって重りを身体につけるんですか?」


「手足は自由に動かしたいからカバンに入れて背負うとか、かな。メイアが持ち上げるのが少し重たいって感じるくらいの重りがいいな。」


「……分かりました。準備しておきますね。」


 もっと文句を言われるかと思っていたが、意外にあっさりと了承されてしまう。メイアの理解力の高さを窺い知ることになるが、この理解力の高さ故に暁斗の世話係を言い渡されたとすれば可哀想なことかもしれない。

 優秀な人間が貧乏くじを引かされて、セリムのように狡猾に交渉できる人間が得をする。世界が変わっても、世界を構成する根幹が変わることはないのだろう。


 メイアはベッドから立ち上がり、暁斗を見た。


「では、戻りますね。……何かあれば隣りの部屋にいるので、遠慮なく来てください。」


「……そうさせてもらうよ。」


 とは言え、女の子の部屋を気軽に訪問できるはずもなく、余程のことでもなければ行くことはないだろう。

 現在の状況でも暁斗は緊張していた。昨日、部屋で二人きりになっていた時とは違って変に意識してしまう。改めて確認するまでもなく、メイアは魅力的だ。


 もちろん、暁斗が年下の女の子に対して強引な行動を起こすことなどしない。

 だが、もし暁斗以外の人間が異世界に来ていたとしたら、この少女に抱く衝動を抑えることができていただろうか。そう考えると怖くもあった。


『では、何を望む?……宝石か?……女か?』


 暁斗は、ダリアス王の言葉を思い出していた。ダリアス王の言った『女』にメイアが含まれているかもしれない。そして、そのことをメイアが承知して暁斗の世話係をしているかもしれない。

 セリムは成功報酬として『王女との結婚』を要求して、その要求をダリアス王は受けてしまっている。そんな男が、メイアを利用することを考えないわけがない。


 頭の回転が早くて魅力的な少女。それが原因で、普通に幸せになることができないのであれば悲惨なことでしかない。


「それでは、失礼しますね。……おやすみなさい、アキトさん。」


「あぁ、ありがとう。おやすみ。」


 メイアは部屋を出ていった。

 ドワイトから指導を受けて疲れ切っているはずだが不思議と眠気は襲ってこない。気を失っていたり、アーシェの治療を受けたり、ところどころで身体を休めることもできていたらしい。


――まだ、魔獣に出会ってはいないけど、今日みたいなペースで修練してれば何とかなるのかな?


 敵となる魔獣の具体的な姿がイメージできていないが、身体は動くし、ドワイトの指導は的確だった。


――まずは、頭よりも身体を動かさないと……。


 眠くはなかったが、身体を休めることが最優先だった。

 起きていると考え過ぎてしまう。今の暁斗が得られている僅かな情報だけでは、考えても考えても答えを導き出すことはできない。答えが見つからないままに考え続けて、無駄な時間を費やすよりは身体を休めた方がいい。


――生きて帰らないと……。


 ベッドに横になって目を閉じる。この世界で暁斗が果たすべき目的は、それだけで良かった。その目的を果たせた時には暁斗が望んだ強さも手に入れられているはずだ。


 ベッドで横になると、知らず知らずのうちに眠りに落ちていた。身体も明日に備えて準備を整えたかったのかもしれない。


―※―※―※―※―※―※―※―※―


 朝早く目覚めたと思っていたが、一番最後に起きたのが暁斗だった。みんなが1階の部屋に集合しており、ミコットは食事の準備をしている。

 皆に朝の挨拶を済ませて、少し身体を動かしておこうと思いメイアに声をかけた。

 

「……まだ、重りの準備なんてできてないよね?」


 昨日、寝る前の話ではあったが、念のため確認してみることにした。もちろん、できていない前提での質問である。

 だが、暁斗の予想に反してメイアは笑顔で答えた。


「ちゃんと、できてますよ。」


「えっ!?……できてるの?」


 そんなにも早く起きて準備してくれていたのであれば、些か申し訳ない気持ちもしてしまう。


「アキトさんのご要望通り、背負うことができて、適度な負荷がかかる重さですよ。」


 メイアが示した先には、可愛らしく手を挙げてスタンバイを整えたアーシェが立っていた。

 確かに暁斗が要望した内容全てをクリアしているモノが用意されていたことにはなっていた。


「ん?……アーシェ?」


 即座には理解することができなかったが、アーシェを見ているとメイアの言いたいことが伝わってきた。


「えっと、大丈夫なの?」


「はい。」


 自信満々のキラキラと輝く瞳をしたアーシェが待機していた。

 暁斗は『ちょっと、ゴメンね』と断りを入れてから、アーシェの両脇に手をかけて持ち上げてみた。確かに絶妙な重さで、今の暁斗には適度な負荷になってくれそうだった。


 だが、ランニングや腕立て伏せをする時もアーシェを背負い続けなければならない。それは間の抜けた姿ではないだろうか。


「アーシェは、どんなことをするのか聞いてるの?」


「はい。兄さまのお仕事のお手伝いなのです。」


「んっ!?にっ、にいさま?……にいさまって俺のこと?」


 暁斗は『兄さま』と呼ばれたことに動揺してしまう。異世界に来ていることを知らされた時を遥かに超える衝撃だった。


「ちゃんとアーシェには説明しましたよ。そしたら、お手伝いしたいって言ってくれたんです。……私も、ずっと近くに居られるわけではないので、アーシェがアキトさんの近くに居てくれると安心なんです。」


 一石二鳥と表現すべきなのかもしれない。この世界に不慣れな暁斗が行動するには誰かが随伴することになる。

 随伴者としての役目と修練の手伝いが同時に叶えられることになっていた。


「それにアーシェは成長期ですから、少しずつ負荷も増えると思うので、効果は絶大です。」


「……でも、『兄さま』って……、どうなの?いいの?」


 暁斗にとっての問題は、アーシェがやろうとしていることではなくなっていた。呼び方にしか意識が向いてくれない。


「アーシェが、そう呼びたいようですよ。」


「……ダメなのですか?」


 アーシェの純真な瞳で見られたらダメと言えるわけない――圧倒的な攻撃力を秘めた瞳の輝き。だった。

 暁斗が、そんな攻撃力を躱す術を持っているはずもない。


「……いや……、ダメじゃないよ。……アーシェが呼びたいように呼んでくれればいいんだ。」


「はい、兄さま。」


 照れてしまっている顔を見られたくなくて、暁斗は二人から顔を背けてしまった。そんな様子をメイアは嬉しそうに見ている。

 結局、呼び方の問題で暁斗の要求した重りの件は有耶無耶なままアーシェが担当することになってしまった。

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