第15話
「ありがとう、だいぶ楽になったよ。」
怪我をした箇所の痛みは和らいでいたが、長時間同じ姿勢でいたことで身体には変な痛みがあった。それでも、暁斗に言葉をかけられて嬉しそうに笑うアーシェを見てしまえば、そんな痛みは気にならなくなる。
――こんな風に喜んでもらえるなら練習台も悪くないな。
食事の前に身体の汚れを落とすように言われて、風呂に入った。普段の生活ではシャワーで済ましてばかりだった暁斗は、かなり久しぶりに湯船に浸かっていた。
「……こっちの世界の方が人間らしい生活になってるよな。」
湯船に浸かっていると独り言が零れた。
戦うための鍛錬を除けば、生きていることを認識させてくれる時間が流れている。
そして、お風呂から上がれば食事。
「アキトさんは好き嫌いはないですか?」
ミコットが気遣って声を掛けてくれる。
「好き嫌いですか?……まだ、この世界にどんな食べ物があるのかも分からないので、好きなのか嫌いなのか分からないです。」
「えっ!?」「えっ!?」
暁斗の答えに、ミコットだけではなくドワイトも反応した。正直に答え過ぎてしまっていた。
「あっ、アキトさんが生活していた地域の食文化は、この国のものとは全く違っていたんですよ。でも、ミコットさんの作る物は、みんな美味しいからアキトさんも全部好きになると思います。……ですよねっ!?」
慌てたメイアが助け舟を出す。暁斗も状況を理解してメイアの言葉に便乗することにした。
「えっと、そうなんです。俺の故郷とは違い過ぎてて、初めて食べる物ばかりなんです。……基本的には何でも食べますから大丈夫です。」
基本的に好き嫌いはない。これにも嘘はなかった。
暁斗は料理が下手で、不味くもないが美味しくもない微妙な物が多かった。それに比べればミコットの料理は美味しかった。
幸せそうな顔で食べるメイアやアーシェを見ているだけでも気分は全然違う。
「……本当に、美味しいです。」
暁斗の感想を聞いてミコットは満足そうな笑顔を見せてくれている。料理を作っていないドワイトやアーシェまで得意気な表情になっていたが、メイアだけは少し寂し気な表情を見せた。
食事の後はドワイトとの反省会になる。指導の順番が逆になっているとは思うが、剣の素振りで正しい姿勢を教えられたりした。明日からの基礎体力向上も含めたトレーニングを指示されて就寝時間となる。
暁斗に割り振られた部屋は2階のメイアとアーシェの隣り。ドワイトとミコットは1階の部屋であることを考えれば不用心かとも思ったが、暁斗はメイアの言葉を思い出していた。
――メイアは眠っている時に防御してくれる術があるって言ってたもんな……。
別に変なことをする気はないが、暁斗自身も用心しておかないといけない。椅子に縛りつけられた記憶を鮮明に覚えていた。
この世界で暁斗専用に用意された部屋だ。
広さ8畳程度に机と椅子、そしてベッドだけ、非常に簡素な部屋だった。それでも暁斗には十分すぎる空間になる。
机の上には大きなバッグが置いてあり、暁斗の荷物が纏められていた。そこには綺麗に畳まれたパーカーもあったので、広げて確認する。
「……よくこれで生きていたよな。ホントに。」
思っていた以上に血まみれだった。ミコットが洗い流そうと努力したことも鑑みても、生きていたことが奇跡に思える。穴はそれほど大きくはなかったが、血液の染みが広がっていたのだろう。
「……んっ?」
そこでバッグの上に見慣れない物が置いてあることに気付いた。
「フォールディングナイフ?……どうして、こんな物が?」
造りを見た感じの印象では元の世界の品だった。折り畳み式のナイフであるが刃は出たままになっていた。
暁斗の荷物に混ざっていて、刃が出たままのナイフであれば結論は一つしかない。
「……俺を刺したナイフだよな。」
暁斗が倒れていた付近にあった物を全て回収してきたとすれば、凶器も落としていったことになる。唯一の証拠品まで運んできてしまったらしい。
証拠品ではあるが、被害者もいなくなっているのだから事件自体が成立しなくなっており問題ない。
――コン、コン、コン。
ナイフを眺めていると暁斗の部屋をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ。」
部屋には鍵をかけることができなかったが、ノックと文化は共通していてくれたらしい。ノックが文化であるかは別として、個人のプライバシーは保護するという観点は重要だった。
ドアを開けて入ってきたのはメイアだった。部屋に入ってきた時、暁斗がナイフを手にしていた光景を見て、
「あっ、それ。アキトさんが倒れていた横に落ちていたんです。」
「……だろうね。」
「アキトさんを刺した刃物か、アキトさんが抵抗した時に使った刃物か分からなかったので、一緒に持ってきたんです。」
「俺を刺した刃物だと思う。……俺は何も抵抗なんてできなかったんだからね。」
暁斗のナイフはバッグの中に納められたままになっているはずだ。取り出す間もなく刺されて、意識を失いかけていた。
「……そうだったんですね。……その刃物も血まみれだったので綺麗にしておいたんですが、意味なかったみたいです。」
暁斗の血液も刺した相手の指紋も綺麗に落ちているのだろう。科学捜査のない異世界であれば、やむを得ない判断かもしれない。暁斗も綺麗なナイフを見て、躊躇いなく素手で触っているのだから同じことだ。
「ありがとう。……持ってきてくれたのは正解だったと思う。」
仮に被害者の姿がなかったとしても、血まみれのナイフが落ちていれば調べられることになったかもしれない。
現場の地面には暁斗の血痕も残っており、暁斗本人も行方不明になっている。暁斗の与り知らないところで事件化されて、犯人が逮捕されてしまっては異世界に来た意味がなくなってしまう。
「他の持ち物は大丈夫でしたか?……カバンの中身には触れていません。ダリアス様にも確認される前に運んだので、全部そのままにしてあります。」
貴重品も入っていたが、暁斗の着替えの方が多い。通帳や印鑑も入ってはいたが、異世界の人には関係ない代物。
家出をしていたわけではなかったが、数日帰らなくても困らないだけの持ち物が詰め込まれたバッグだった。
撮られて困る物は、暁斗以外の人間には何の価値もない物しか入ってはいなかった。
だが、そんなことよりも、メイアの言葉が引っかかる。
「……ダリアス王のこと、信用していないんだね。……だから、ジークフリートに急いで運ばせたんだ。」
「えっ……、あ、そんなことはないですよ。」
「でも、ダリアス王に俺の荷物を隠してくれたんだろ?」
「隠した……、そうなんでしょうか?よく分かりません。」
分かり易く誤魔化してはいるが、おそらくは図星だ。ドワイトとの会話の時もそうだが、ダリアス王への信頼は薄い。国民全体からの信頼が薄いのか、限られた人間からの信頼が薄いのか、それまでは分からない。
「……そんなことよりも、灯りの消し方だけ教えておかないとって思っていたんです。寝る時に明るいかなって。」
ロウソクやランプも使われているが、大きな光源は精霊石になっていた。術師でなくても光る精霊石のオンオフが可能らしい。
壁に台が備え付けてあり、精霊石の納められたガラス容器が載っている。そのガラス容器を台の上からどかすだけで灯りは消えた。
「……これだけで消えますから覚えておいてくださいね。台の上から移動しても、すぐには消えずに段々と暗くなっていくので、その間にベッドまで行けば大丈夫です。」
「へぇー、そんなに簡単なんだ。……どうなってるの?」
「台の上側に術式が描かれてるんです。その術式の上でだけ反応するようになってるんですよ。」
暁斗は台の上を覗き込んでみた。魔法陣に似ているが、星型多角形の芒星ではなく、円の内側に記号や図形が描かれていた。
この術式に反応して精霊石が発動するらしい。
「……精霊石が発動するには、この術式が必要なんだ。」
「はい。術師は、この術式を身体の中に描いて精霊石の力を借りているんです。」
と言うことは、メイアはこのガラス容器を持ち歩いていても明るくすることができるかもしれない。ちょっとした懐中電灯だ。
「……でも、アキトさんの世界って、外でも明るかったから不便ですよね。」
暁斗が倒れていた場所は路地裏で暗かった。それでも、この世界の外と比べれば明るいと感じたのだろう。
「俺のいた世界を見てるんだよね。……正直、便利さはあったかもしれないけど、俺は精霊石の灯りの方が好きだな。」
「私は、アキトさんの住んでいた世界が少し怖かったんです。……すいません。」
「いや、構わないよ。俺だって異世界に一人だけだったら怖がってたと思うし。……それでも助けてくれたんだろ、ありがとう。」
この世界で生きてきたメイアがたった一人で暁斗の住む世界に行く方が遥かに怖いことだったはず。
そして瀕死だった暁斗の救助活動までしてくれている。冷静に考えてみれば、かなり過酷なことをさせられていたことになる。
――いくら国王の命令だったとしても、かなり無茶な要求だよな。
自分のことを考えるのに手一杯だった暁斗がメイアのことを気遣える余裕が生まれていた。
気持ちに余裕はできてるが、新たな問題も発生していた。
「……あのさ、寝る時って、精霊石の灯りを消さないとダメなのかな?……この精霊石が、すごい貴重品とかってことはない?」
「ダメではないですよ。……貴重品と言えば、貴重品ですけど、それほど気にすることでもないですから大丈夫ですよ。」
「……暗い部屋の中がダメなんだ。ごめん。」
情けないことではあるが、暁斗は暗い部屋で眠ることができなかった。暗い部屋にいることが怖いのだ。
夜道を歩いていたりすることに抵抗はないが、区切られた暗い空間にいることができない。
「仕方ないですよ。気にしないでください。」
暁斗はメイアの反応に違和感を覚えた。『暗いのが怖いんですか』くらい言ってほしかったのかもしれないが、優しい言葉で認めてくれている。
それは、暁斗が暗い部屋が苦手なことを予め知っているかのうように感じられる。
「……俺に起こったことも知ってるの?」
また誤魔化されてしまうかもしれないが、数ヶ月前に苦手になったことを知っているとなれば聞いておきたかった。
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