第4話

 メイアがこの部屋に残ることになれば、『言霊の精霊石』の効力は届かなくなるらしい。

 効力が及ばなくなった時どんな言葉が飛び交うのか興味はあったが、それを確認するのは後回しで良い。


「これから先、この石はアキトさんが持っていてください。」


 そう言って暁斗に手渡されたが、今まで女の子が身に着けていた物を受け取るのには少し照れてしまっていた。そんな余裕のなさが災いして、ジークフリートが一瞬見せた表情の変化を見逃してしまう。


 眠っていた部屋以外の異世界空間に、暁斗は踏み出すことになった。


 異世界とは言え、屋敷の中に目立った違いは見られない。衣食住で、衣と住は問題ないことになるが食は未確認。暁斗がいたのは大きな屋敷であり、丁寧な造りで手入れも行き届いてはいる。それでも、全体的には国王を迎え入れるには質素な印象を受けた。


 だが、周囲の状況よりも暁斗が気になっていたのは自分自身の変調だった。


――身体が異常に軽く感じるし……、呼吸も楽になってる?


 廊下を歩いているだけの動作でさえも、元いた世界と全く違って感じられる。

 大怪我をした直後で目覚めたばかりであるにも係わらず、跳ねている感覚になり走り出したい衝動に駆られてしまう。それ程に身体が充実していた。


――怪我する前よりも状態が良い。もし、これでも体調が万全でないとしたら……。


 暁斗の身に何が起こっているのかは分からない。何しろ、ここは異世界だ。

 身体の変調以外で異世界であることを実感できることは特になかったが、チート能力の発動を期待してしまう。

 傷の治療以外に特別な処置を施されていた可能性を否定はできないが、暁斗は僅かな言葉を交わしただけでしかない少女を疑うことはなかった。


 周囲の観察と考え事をしている内に目的の部屋の前に到着したようであり、ジークフリートは歩みを止めて暁斗に振り返った。


「……この部屋の中で、国王ダリアス様がお待ちです。」


 ジークフリートは笑顔で声をかける。


「貴方は一緒に入らないんですか?」


「私は案内係です。ここから先は、お一人でお願いします。」


 この対応は意外である。国王のいる部屋に得体の知れない男を入れてしまうのは、無防備過ぎないか心配になってしまった。

 暁斗が危険人物でないことを確信しているのかもしれない。そうでなければ、国王が圧倒的な強者で対策無用としていることも考えられるが、国家の安全性を確保するには不用心過ぎた。


 コン、コン、コン――ノックして応答を待っていると、『入りなさい』と低く渋めの声が聞こえてきた。声に従ってドアを開け、暁斗は室内に入る。


 暁斗が眠っていた部屋や廊下と違って、この室内は豪華になっていた。配置されている調度品の装飾は細かく煌びやかであり、目利きの出来ない人間でも質の違いが判る。


「……体調はどうかな?」


 アンティーク調のアームチェアに座って、悠然とした態度で暁斗を見ている男。この声をかけてきた主が国王ダリアスだろう。

 40代後半か、もう少し上くらい。血色の良さから実際よりも若く見えているだけかもしれない。王冠を載せてはいなかったが、精密な刺繍の施された外套を羽織って椅子にどっしりと腰かけている姿は分かり易く『王様』だった。


 異世界に来て三番目に出会った人物が国王であることは、展開の早さを感じる。


「ええ、おかげ様で、悪くはないですよ。」


 国王と相対する態度ではないだろうが、暁斗の与り知るところではない。この国で生活している人間にとっては権威ある存在だとしても、暁斗にとって見知らぬ中年男性でしかなかった。

 この世界の暁斗は0歳児と同じで、無礼な赤ちゃんは存在しない。


 暁斗の態度に少し不服そうな表情を見せたが、向かい合う椅子を勧められた。


「物怖じしない態度が、寿命を短くすることもあるのだが?」


「数時間前に寿命を延ばしてもらったばかりですので、ご心配には及びません。」 


「……ふんっ。」


 わざと太々しい態度で応じているのだから、相手が怒っても当然のこと。不敬罪で命を落とすことになっても文句は言えない状況だ。

 それでも、暁斗にだって多少の不満がある。


「命を助けてもらったことには感謝してます。けど、こんな所まで呼びつけられる理由が分かってないので、悪態くらいは大目に見てください。」


「まぁ、そうだろうな。」


 暁斗が指摘した点については認めてくれているらしい。命を救ったという事実を除けば拉致されただけでしかない。

 ただ、暁斗は眼前の男を敬うだけの気配を感じてはいない。身につけている物が立派であることと、身につけている人物が立派であることは別問題だ。


「月城暁斗……、俺の名前です。」


「この国の王、ダリアス・フォン・ヴァイカスだ。」


「……それで、この状況の説明はしていただけるんですよね?」


 ダリアス王は仰々しく頷いて見せる。

 国王という存在に人生で初めて出会ったのだが、縁も所縁もない異世界人の暁斗が気圧されることはなかった。国の規模や歴史について何の情報もなく、国王と言う肩書きだけしか知らない男に遠慮する必要はない。


「……異世界の人間である其方の命を助けたのには理由がある。……もちろん、其方がこの場にいることにも理由がある。」


 もったいぶった話し方ではあるが、一番聞きたかった部分を最初に触れてもらえたことで暁斗に不満はなかった。


「……!!」


 そんなやり取りの最中、暁斗は不気味な気配を感じて身構えてしまう。国王の横に立っている真っ黒な人物の姿に気付いたからだ。

 黒く長いコートを着ており、フードで顔を覆って体形も分からない。身長は高いが、男か女かの判別までは難しかった。


――いつから、あそこにいた?


 何より暁斗が恐怖したのは、今まで全く存在に気付かなかったこと。決して気を抜いていたわけではない。

 手に持ったお盆にはお茶が用意されているが、物音も足音も一切しなかった。夜の室内、多少薄暗かったとしても人間の存在に気付けないほど迂闊ではない。


――最初から一対一じゃなかったんだ。……だから、こんなにも余裕の態度だったのか。


 暁斗は冷たい汗を感じている。そして、ここが異世界であり、油断してはいけないことを再認識させられた。

 暁斗の変化を感じ取って、国王は得意気な表情を見せ始めた。この変化に関しても、国王ではなく、フードの人物がもたらしたものになるので、国王が得意になるのは違っている。


「其方の口に合うかは分からぬが、この世界で初めて口にする物になるかな?」


 暁斗の目の前にもお茶が置かれた。元の世界で見たことのあるティーセットと何ら違いはなかったが、中身の液体が問題だ。

 美味しいとか不味いとかの問題ではなく、単純に口に入れてしまうことへの不安が生じていた。異国の王が、暁斗の命に重さを感じているかは分からない。


――せっかく苦労して助けた人間に、毒を盛るなんてしないよな……。


 不気味な人物が準備した液体には警戒心しかないが、意を決して一口飲んでみた。なんてことのない、ただの紅茶だ。


「まぁ、普通に美味しいですよ。……ありがとうございます。」


 得体の知れない人物にもお礼を言ってみたが、全く反応がない。フードの奥に人間の顔以外が隠れている可能性もある。そして、再び音もなく消え去ってしまった。


「ここが其方の暮らしていた世界とは、別の世界であるということを聞いているな?」


「……半信半疑ではありますけど、聞かされました。」


「いずれ全て真実であることは、自ずと分かることだ。……それでも、死ぬよりは幾分マシではないか?」


「マシかどうか判断できるのは、これからの展開次第ですよ。」


「ふっ、そんなに身構えることはない。其方が、こちらの頼みを聞いてくれさえすれば元の世界に帰してやるのだから。」


「えっ!?……帰れるんですか?」


 少し拍子抜けの提案だった。異世界に転移した直後で、元の世界に帰れることが確定した流れになってしまう。メイアから「たぶん」とは聞いていたが、交渉の必要もなかった。


「用が済めば、異世界の人間に残ってもらう理由などないからな。……それに残ってもらう方が厄介だ。」


 帰ることを望んでいるとは言え、かなり横暴な意見を聞かされてしまい暁斗もムッとしてしまった。暁斗の怒りを顕にした表情を見ていた国王は薄ら笑いを浮かべている。

 暁斗が取った不遜な態度への仕返しのつもりかもしれないが、仕返しをしたとすれば国王としての器が小さすぎる。


 暁斗は、ダリアス王に対する警戒度を一気に引き上げることにした。器が小さい男は、許容できることも少ない。処理することができなくなり器から零れ落ちた感情が暴走することもある。


「……そんな厄介な存在を呼び寄せてまで、やらせたい事って何なんですか?」


「簡単なことだ。……この世界を救うための手伝いを其方にやってもらうだけのこと。」


「世界を救う……手伝いですか?」


 妙な言い回しであることが、暁斗は気になってしまう。直接的に世界を救うのではなく、手伝いを頼まれているらしい。


「そう。……言い換えれば、裏方仕事だな。」


 結論を後に持ってくる進め方で会話の主導権を握りたいのかもしれないが、嫌味を強調するだけである。ダリアス王が治めている国の大きさは分からないが、やはり人物として小さい。


「言っていることが分かり難いんですけど、具体的に話をしてもらえませんか?」


「そうだな……。其方の世界に人間を襲う凶暴な獣は存在しているか?」


「まぁ、存在はしていますよ。」


「その獣は、其方らの日常を脅かす存在になっているのか?」


「……日常生活で脅威になるほど、身近な存在ではないです。……俺個人の感想ですけどね。」


「そうか。……この世界の全ての人間は獣の存在に怯えながら生活しているのだ。町から町への移動ですら命の危険に晒されて、容易に出来ない状況だ……。」


「……町の中は安全なんですか?」


「今は、結界の力で守られているが、町や村の中でも被害はある。……昔は、数百人が生活している町が短時間で全滅させられた記録も残っている。その町には自警団もあったが、何の役にも立たなかったらしい。」


「……この世界の獣全てが、そんなにも危険なんですか?」


「全てではない。種類は限られるが、一体一体が強く凶暴で、何より数が多すぎる。……そんな獣を、この世界では『魔獣』と呼んでいる。」


 こんな説明を意味もなくしてるとは思えない。間違いなく暁斗の今後に関わる事案のはずだが、とんでもない存在が登場してしまったことになった。

 ある程度の訓練を受けていたであろう自警団でも抗いきれなかった獣だ。それは既に獣ではなく化物になる。


――嫌な予感しかしなくなってきた……。


 何故か暁斗は大きな熊と向かい合っている自分を想像していた。人を襲う獣でイメージしたのが熊だったが、太刀打ちできるとは思えない。イメージの中の暁斗は、熊の一撃で倒されてしまった。そもそも、向かい合うこと自体が間違いだと教えられている。


「……長い間、魔獣の存在に怯える生活を強いられていたが、50年ほど前に魔獣を生み出している淵源の地を封印するための手段が発見されたのだ。」


「そんな危険な生き物の淵源……。封印……。」


 淵源の地とは根源であり、魔獣が自然界で繁殖する増え方ではなかったことになる。そして、その地を封印することが魔獣を排除する方法だった。


「『選ばれし勇者』が封印の要となるのだが、淵源の地までの旅路では、魔獣との戦いは必至。……だが、人々に安寧を齎すには、どうしても封印を実現させたい。」


 そこまで話をして、二人はお茶を飲み一息入れた。

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