第終話


「……あの、えっと」


 俺は今、とあるカフェにいる。

 戸惑いの声を漏らしたのはもちろん俺だ。目の前にいる人に何と声をかけようかと舌の上で言葉を転がしていた。


「ん?」


 そんな俺の気持ちなど微塵も気にせずにキョトンと首を傾げる彼女を見ていると、悩んでいる自分がバカバカしく思えた。


「いや、なんで会ってるんだろと思って」


 佐橋寛子。

 宮崎紗弥加への気持ちとの決別を行うために出会った元セフレ。紗弥加との関係の進展をきっかけに寛子さんとの関係は終わりを迎えた。


「え、だって私こう見えて暇だから」


「いつかどこかで聞いたようなセリフだ……いや、そうじゃなくて!」


 相変わらず自分のペースを崩さない人だ。

 こっちのペースが乱されるので困るのは今までと変わらない。今だってこうして、早速俺は聞きたいことをさえ聞けていないのだ。


「その、俺達はお別れをしたのでは?」


 改めて口にすると恥ずかしい文面だと思う。あのときは雰囲気もあって気にしてなかったけど。


 俺が恐る恐るといった調子で言うと、しかし寛子さんはそんなこと毛ほども気にしていない様子を見せる。


「そりゃ彼女持ちに言い寄るつもりはないよ? もちろん今日だってただお茶しようと思っただけだし。え、まさか翔太クンは私をセックスするだけの相手だと思っていたの? そんな、私はただのラブドール代わりだったなんて……」


「声が大きいよ!」


 誤解されるだろうが。

 俺は寛子さんに静かにするよう促した。すると彼女はぺろっと舌を出して悪びれもせずに謝ってくる。

 俺の方がうるさかったけど。



 宮崎紗弥加と付き合ってから数日が経過した。もちろん紗弥加との関係は良好で、もう捨てられたので寛子さんと会っているわけでは決してない。


 突然連絡が来たのだ。

 あれだけのお別れをしておいて連絡を寄越したのだからさぞかし事情があるのだろうと、俺は言われたカフェまで走ってきた。

 

 彼女は俺にとって大切な人だ。この先、寛子さんが困ったと言って俺を頼ってきたら迷わず助けに行くだろう。


 それくらいの気持ちを持ってここまで来たら、暇だから呼んじゃったとか言ってきて今に至る。あの別れの後でこんな普通に会う?


「まあまあ。冗談はさておき」


「冗談のトーンじゃないんだよなあ」


 確実に俺を陥れようとしていたトーンだ。


「これからは普通のお友達として、私の暇潰しに付き合ってほしいんだけど。彼女ができちゃった翔太クン的には元セフレとの密会はNGなのかな?」


「言い方に悪意がある……」


 でも、そうか。

 お別れじゃなかったんだ。

 気づけば俺は、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 別れを惜しんでいたのは、俺だけではなかったらしい。寛子さんも同じ気持ちだったことに、俺は密かに喜びを覚えていた。


「そんなことはないです。俺も、こうして会えればなと思っていたので」


「だったらそっちから連絡くれてもよかったのにー」


 ぶーぶーと、寛子さんは子供のように唇を尖らせて言ってくる。


「いや、俺はあれで逢うのが最後だと思ってたから」


「結局、彼女ができたからオナホ代わりのセフレにはもう用はないって思ってたんだね」


「声が大きいってば」


 ここカフェだぞ。

 意識の高い奴らが高いコーヒー頼んでタブレットいじったりする場所なんだよ。

 この空間でセフレがどうとか言ってんのはあんただけなんだ。


「まあでも、私も最初は会わない方がいいかなーって思ったんだけど、気にすることないかって結論に至ってさ。翔太クンが拒むのなら諦めていたけど、こうして来てくれたことだし。お姉さん少ない友達を失わずに済んでほっとしてるよ」


「俺が拒むはずないじゃないですか」


 どれだけ俺が寛子さんに救われたか。

 言ってないから知る由もないだろうけど。言えば調子に乗りそうだから言うつもりもない。


「そっかそっか。じゃあこのままホテル行っちゃうのも許してくれるのかな?」


 ぽそっと、そんなことを耳打ちしてくる。


「いや、それは……」


「いいじゃない。浮気セックスはきっととても気持ちいいよ? 私はいつでも準備できてるし」


「でも、やっぱり」


 俺が狼狽えていると、寛子さんはプッと吹き出す。しまった、嵌められた。


「翔太クン、押しに弱いとこ直した方がいいよ? 本気で迫ったらしちゃいそうなんだもん。彼女さん悲しませるようなこと、しちゃダメだよ?」


「あんたが言うか……」


 なんて。

 どうでもいい話をして時間を過ごす。寛子さんとの時間は楽しくて、ついつい時間を忘れてしまう。


「そろそろ行こっかな」


 そう言いながら立ち上がる。


「なんか予定あるんですか?」


「うん。まあね」


「またホテル?」


「君は結構根に持つタイプなんだね?」


「冗談ですよ」


 俺は誤魔化すように笑う。


「普通に友達とお買い物だよ。安心して」


「安心するも何もないでしょ」


「愛しの寛子さんが他の男に抱かれてるとなると悲しいでしょ?」


「そんなことは、別に……ないですよ?」


 俺が言い淀んでいると寛子さんがあははと笑う。


「本当に君は正直者だね。そういうところが好きなんだけど」


 そう言って、ぱちっとウインクを飛ばしてくる。


「それじゃあ、また連絡するからたまには付き合ってね。あ、もちろん彼女さんにはナイショでね」


「密会はアウトでしょ」


 そんなことを言いながら寛子さんは行ってしまった。この展開はなんかデジャヴだ。あの人に呼び出されると高確率で一人残される。


 寛子さんの言うとおり、暇潰しに付き合わされているだけなのだろうが。


 セックスフレンドという出会い。

 始まりは最悪だったのかもしれないけれど、寛子さんは今では大事な友達だ。重要なのは過去ではなく今であることを改めて実感させられる。


 密会、はよくないから紗弥加に言わなきゃだけど、どう説明すれば納得してくれるだろうか。

 そんなことを考えながら、俺は残りのカフェオレを飲み干した。

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