第16話


『結局、ただ人を好きにならないってだけなのかもしれないけどね』


 寛子さんの中にはいろんな考えがあって、今を全力で楽しむためにあえて恋人は作っていないといっていた。

 確かに幸せに対する考え方、楽しみの感じ方は人それぞれだから、そうだと言うのであれば違わないのだと思う。


 でも、最後に言ったあの言葉。

 全ては感情論だと言い捨てたあの理由を否定するために作り出した虚像のものなのかもしれない。

 どうして人を好きになれないのか。

 そんなことは、俺には知りようのない問題だ。


「ん、あれは」


 放課後。

 特に予定もないので一人で帰り支度をして教室を出る。

 今までは宮崎と帰ることもあったが今では完全に別行動。宮崎に彼氏ができたのだからそれは当然のことだ。


 そして、そんな日常にも慣れてきた。


 そんな時。

 見覚えのある顔が前を歩いていた。

 漫画の新巻を買おうと本屋に寄った後に駅まで歩いていると須川健吾の姿を見かけた。


 宮崎の話によく出てくるので親近感沸くときもあるけど、実際はただのクラスメイト。話すこともない他人なのだ。

 俺からすれば友達の彼氏。あちらからすれば良くて彼女の友達。最悪ただのモブキャラだ。


 二人で仲良く帰っているのかと思ったが、よく見ると隣を歩いている女子生徒は宮崎紗弥加ではなかった。


 うちの制服を着ているから同じ学校ではあるのだろうが、見覚えはない。もともと人の顔を覚えるのは苦手なのでもしかしたら知ってる人の可能性も否めない。


 だが。

 問題はそこではない。

 俺の記憶力のなさなど今はどうでもいい些細なことだ。

 そうじゃなくて。


 須川が宮崎とは別の女子と歩いてるじゃないか。

 浮気か?

 なんて考えは安直で浅はかだよな。別に彼女じゃない女と歩くことくらいあるだろうし。

 その度にイチイチ浮気疑われてたらたまったもんじゃないよな。


 気にしないでおこう。

 須川達はどこかへ消えていったので俺は駅に入って電車を待つ。時間が合わないと全然来ないんだよな、この時間の電車。


「あれ、中野?」


「宮崎か。珍しいな」


 イスに座って待っていると宮崎紗弥加が俺に気づいてこちらに向かってくる。


「そっちこそ、この時間は珍しいでしょ」


「まあ、寄り道だよ。そっちは?」


「ん? んー、まあ似たような感じかな」


「ふーん。彼氏と放課後デートで忙しくて最近構ってくれないから、なんかゆっくり話すの久しぶりだな」


「……言い方に毒があるなあ」


 困ったように宮崎は笑う。

 別に困らせるつもりはなく、冗談で言ったんだけど、気にしてたか? これはマズイと思い空気を変えようと話題を探す。


「そういやさっき彼氏見たぞ」


 咄嗟に出てきた話題がこれ。やっぱりデリカシーとかないのかもしれない。

 言わなくていいことも、知らない方がいいことも世の中にはたくさんある。


 俺には判断できないが、これはもしかしたらその類の話だった可能性もある。なら話さない方がよかっただろう。


「健吾?」


 しかしもう遅い。

 俺は宮崎の問いかけにこくりと頷く。


「……ふーん。一人でいたの?」


 誤魔化すか悩んだけど、ここで誤魔化すのもわけ分からんので正直に言うことにした。

 後々誤魔化したことバレても面倒にしかならんだろうし。


「いや、知らない生徒」


「男?」


「……女」


 俺が言いづらそうに答えると、宮崎は難しい顔をして唸る。彼女の顔をしている。怖い。


「ま、いいや。帰ろ」


「お、おう」


 言われなくても帰るが。

 結局はその程度の問題だろう。こうして宮崎が俺と帰るように、須川だって女友達と帰っていただけ。

 それだけのことに、イチイチ腹を立てていては仕方ない。


 久しぶりにゆっくり話すということもあって、話題は途絶えなかった。

 最近感じなかった楽しさに、時間はあっという間に過ぎていく。

 いつもどおり、宮崎の家の前で彼女と別れる。じゃあね、と手を挙げて帰っていくのを見送るのが最近の流れなのだが、宮崎が何となく名残惜しそうにしている。


「……どしたの?」


「うん。あのね」


 言いづらそうにしている。

 言いたい気持ちが言葉にならないとか、伝えたい気持ちが喉に詰まって出てこないとか、そういうのではなく言いたいことを言うべきか悩んでいる感じ。


 少しの間悩んだ宮崎は意を決するように両手を開いた。

 懐かしいそのアクションに俺は驚いた。


 だが。

 体に染み付いたリアクションというのは咄嗟な時でも自然と出るものだと改めて思う。


 俺は宮崎と同じように両手を広げる。

 そこに宮崎がすっぽりとはまるように抱きついてきた。


「……」


 これは、かつて俺と宮崎がハグをする関係だった頃に宮崎が見せる合図のようなものだった。


 数ヶ月ぶりに感じる宮崎の感触に俺は戸惑った。喜びとか嬉しさとか、そんなこと以上に、彼女の行動に対する疑問が浮かぶ。

 嫌とかそんなんじゃないけど、急に何があったのか。


 数秒間、ぎゅっと力強く俺に抱きついた宮崎はゆっくりと俺から離れていった。


「宮崎……?」


「あはは、ごめん。なんか懐かしくなっちゃって」


 誤魔化すように笑う。

 本当の気持ちはその言葉にはないことはすぐに分かった。でも、隠そうとしているのなら、無理に詮索するのは可哀想か。


「なんだよ、それ」


 だから俺も笑って返した。

 多分これが正しいことだと思ったから。


「あれだね、やっぱり中野の胸の中は落ち着くね。なんていうか、収まりがいい」


「初めて言われたぞそんなこと」


 そして宮崎は慌ただしく帰っていった。行動の真意を明かさないまま、誤魔化して、隠して、胸の中に秘めたまま、俺の前からいなくなった。


 去り際に見せた翳った表情が気になったけど、今の俺にできることは何もなく、もやもやを残したまま俺は帰路についた。

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