第17話
中野家の夫婦はご近所の間でも仲睦まじいことで有名なのだが、二人は結婚記念日には決まって旅行に行く。
告白、プロポーズとその場所で行ったことから二人の記念日にはその場所に行って初心を思い出そうということらしい。
例え仕事が入っていても意地でも休んで予定を合わせることから、両会社の人達の中でもこの二日間は二人は仕事に来ないことで知れ渡っているのだとか。
どんだけ行きたいんだよ。
そして、今日がその結婚記念日。
朝早くに両親は出発したので俺は家に一人だ。邪魔するつもりもないが、平気で一人息子を放置していくのはどうなんだと思う。
生憎、外はザザ降りの雨だ。
北海道のどこかだと言っていたので、あちらは晴れているといいのだけれど。
なんだかんだと言いながらもせっかくの記念日だ、精一杯楽しんできてもらいたいものだ。
俺もこの一人の二日間を思いっきり楽しんでやるとしよう。
とはいえ、特にすることはなく朝からダラダラとしているだけだが。自分のペースで物事を進めれるのは気持ちが楽でいい。
出掛けようにも外は雨だし、何しようかなと寝転がっていると大きな雷が音を鳴らす。
どうやら本格的に天気が荒れているようだ。
「あっちもこの雨だったら最悪だな」
どこにも観光に行けない。
まあ毎年行ってるから観光なんてし飽きてるだろうけど。そうなったらホテルでしっかりやることやってんだろうな。
両親のそんなシーンほど想像したくないものはないな。
俺は頭を振ってバカみたいな考えを振り払う。
その時。
インターホンが鳴った。
「なんだ?」
こんな雨の中だというのに、宅配便とかだろうけどご苦労なことだな。将来宅配業者になるのだけは止めておこう、と無駄に決意する。
リビングでハンコを持って玄関に向かう。そしてドアを開けた瞬間にびゅうと風が入り込んできた。
中で見るより天気が荒れている。
そして驚いたのはインターホンを押したのが宅配業者じゃなかったことだ。
「……何してんの?」
あまりの驚きっぷりに俺はそんな言葉しか出てこなかった。
この雨の中。
傘も差さずに。
全身ずぶ濡れで。
我が家を訪れたのは宮崎紗弥加だった。
「……」
明らかに何か訳ありなご様子に俺は中に入るよう促した。何の用事もなく来ることはないだろうから、俺に話したいことでもあるのだろうと思ったのだ。
「家の鍵なかったの?」
予想一。
遊びに行って帰ると鍵が締まってて閉め出された。
しかし宮崎は首を振る。
違うらしい。
「家を追い出されたとか?」
予想二。
よく分からんけど母親と喧嘩して家を追い出された。
それにもかぶりを振る。
これも違うのか。
「彼氏の浮気現場でも見ちゃったのか?」
予想三。
予想というか、空気が思いからここらで一つ冗談を交えてみた。
すると宮崎は首を横に振らなかった。
どころか、こみ上げてくる涙をこらえるように表情を強張らせた。
どうやら地雷を踏んだらしい。
「えっと……」
うーん。
こういうときどうすればいいんだろ。彼氏の浮気現場を目撃して悲しい顔をしている女の子にかける言葉はどうして学校で教えてくれないのだろうか。
「とりあえず風呂入るか? そのままだと風邪引くだろうし」
「……」
「両親は旅行でいないし、気を遣う必要もないぞ」
「……ありがと」
気を遣う奴だからな。
こうでも言ってあげれば大人しく従うだろう。ていうか、今日両親いたらどうするつもりだったのか。
結果オーライ。
風呂場へ案内して体を温めてもらう。宮崎を、というより女子を家に招くのは人生で初めてのことだ。
自分のプライベートスペースに本来いない人間がいるというのは何だか緊張してしまう。
そういえば着替えどうしよう。
本当に傘も差さずにここまで来たらしく全身びしょびしょだったので下着ももちろんアウトだろう。
アニメのオープニングで雨の中空見上げるキャラクターかっていうくらい濡れてたな。
洗濯するとしてとりあえず着れる服用意しないとダメだよな。母さんの下着は論外だし、かといってこの雨の中買いに行くのもかったるい。そもそも雨じゃなくても問題ありだ。
奇跡的に俺や親父が女性用の下着を持っているというパターンもなく、どう足掻いても下着を用意できない。
服はこの際俺のでもいいだろうけど、下着はさすがに嫌がられるだろうしな。ボクサーパンツならギリギリ許されないかな?
フィット感だけならそんなに変わらないし。
よし。
その案でいこう。
俺は自室に戻り適当に服とボクサーパンツを持って脱衣所に入る。漫画のような展開防止のため、もちろんノックは行う。
「着替えここ置いとくな」
「……ありがと」
「それで下着なんだけどさ、洗濯する間は俺のボクサーパンツで我慢してくれる? さすがにノーパンは嫌だろうし」
「……大丈夫」
中から聞こえてくる声に覇気はない。
彼氏の浮気現場を目撃した。ということはつまり須川が別の女といたということか。
でもそれはこの前もあって、別に浮気と決まったわけではないような……。
何があったのか話してくれるのかな。ここまで来ておいてだんまりということはないと思いたいが。
と、俺は腕を組みながら悩むだけだった。
とりあえずリビングで宮崎が出てくるのを待った。
風呂の中で頭を冷やしているのかもしれない。体を温めながら頭を冷やすというのもおかしな話だが。
暫くすると、ドアの開閉音が聞こえた。脱衣所から出てきたのだろう。そういえばリビングにいることは伝えてなかったけど分かるかな。
と。
声をかけに行こうと思い、立ち上がろうとしたその瞬間。
ふにゅ、と。
背中に柔らかい感触が押し当てられる。
「……宮崎?」
俺は体が固まって動けないでいた。
背中にある温かさは柔らかく懐かしく心地よく、けれどそこにあってはいけないもの。
「ねえ、中野」
ごくり、と音がする。
それが自分のものなのか、それとも宮崎のものなのかさえ分からないほどに俺は動揺していた。
ぽしょりと耳元で俺の名前を呼んだ宮崎は、躊躇いもなくその続きを口にする。
「……セックス、しよ」
俺達の関係を歪ませた、あの言葉を。
今度は明確な意思を持って、俺にぶつけてきた。
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