第3話


「どう、美味しい?」


「んー、美味」


 よかった、と宮崎は笑う。

 家庭環境が複雑だと精神的に不安定になることはよくあること、らしい。

 もちろんただネットで調べただけなので知った口は叩けない。だが統計上、そういう結果が出ている。それだけだ。


 俺が初めて宮崎とハグした日。

 その後、母親は帰ってきたらしい。男の家に居座っていたが追い出されてイライラしていたんだとか。

 ちゃんと謝ってきて仲直りをして。

 ただ今でも、喧嘩することはないけど男を追いかけて数日家に帰ってこないことはよくあるらしい。


 それが宮崎の母親の生き方なのだろう。

 今では宮崎もそれを受け入れて、好きにさせているらしい。帰ってきたときに、おかえりと言えるように準備だけはしているとか。


 それでもたまに寂しくなることがあって、そんなときに俺が呼ばれる。ハグして気持ちを落ち着かせる。

 学校ではそんな姿を見せられないという理由で、ハグはこうして宮崎の家に来る。


 学校では笑顔を振りまき、誰にでも優しく、誰もを笑顔にする。

 そんな宮崎紗弥加がこんな弱い部分を見せるのは俺だけだ。そのことに強い高揚感を覚える。


「そういえば今日、健吾がね――」


 食事中はどうでもいい話をする。

 学校では一緒にいる方が少ないので各々見る景色は違うのだ。

 別にこの関係を隠しているわけではない。ただそれぞれに積み重ねてきた生活がある。

 それだけだ。

 もちろん、話すこともあるが。


 宮崎は須川健吾のことが好き。

 それは今さら確認するまでもないくらいの事実だ。

 俺としては聞いているのも複雑な心境なのだが、楽しそうに話す宮崎を見てるとそれも悪くないと思えてくる。


 俺じゃ、こんな顔をさせてあげられない。

 そう思ってしまうが、考えないようにそんな思考を振り払う。


「ねえ、中野! 聞いてる?」


「え、あ、なに?」


 そんなことを考えていると、ぼーっとしていたようで彼女の話を聞き逃してしまっていた。


「だから、中野は処女ってどう思う?」


「処女?」


 大事な部分を聞き逃してしまったか?

 何がどう転ぶと処女について聞かれる展開になるんだ? しかもこれどう返すのが正解なんだろう、と少し唸る。


「どう思うのかは質問によって変わると思うんだけど」


「そういうもん?」


 俺が頷くと宮崎は考える素振りを見せる。


「普通に、彼女とえっちするってなったときに、相手が処女だったらどう思う?」


「そんなん別に、何とも思わんだろ。何なら嬉しいくらいじゃないの?」


 俺が言うと、んーっと悩むように宮崎は唸る。何をそんなに考えることがある?


「急に何さ?」


 分からんのでもっかい聞く。


「いや、だからね、今日みんなで話してるときにそんな話になって」


 なんないよ。

 普通学校で雑談交わしてるときに処女について語り合わないよ。いや、俺のグループがそうなだけで、高校生ともなればそれくらいあるのか?


「由美子も美咲も、もう処女じゃないらしくてさ」


 安藤由美子と井上美咲だったかな。

 あんまり絡まないから記憶が曖昧だけど、そんな名前だった気がする。

 まあ見た目がチャラい安藤はともかく大人しめな井上が経験済みというのは驚きだ。


「私だけ、なんだよね」


「別にそんな焦ることないだろ。経験なんて人それぞれタイミングあるし」


「うん。でもみんな既に経験済みって聞くと、なんか私が間違ってるのかなーみたいな?」


「お前、これくらいみんなやってるよとか言われて納得しないまま流されてロクでもないことやらされそうだな」


 アダルトビデオに出演してしまいました、とか言われたら俺ちょっと泣くよ? 涙流しながら観ちゃうよきっと。


「それで、その時に健吾がね」


 いやガールズトークちゃうんかい。

 男子の前で普通に経験済みとか言っちゃうところ、彼女らの倫理観どうなってんだろ。


「由美子に聞かれてさ、処女とか面倒なだけだから絶対ありえないって答えてたんだ」


 遊び慣れてる人が言いそうな発言だな。

 俺的には相手も初めてって嬉しいことのように思えるけど、逆に言えば何も知らないってことだもんな。

 テクニックとかないから、ある程度経験してた方が楽しめるってことか。


 うーん、遊び人の考えだ。

 俺も遊び慣れるとそういう思考に至るのかな。遊び慣れる日が来るとは思えないけど。


「もし健吾と付き合えたときに、私が処女って理由で嫌われるのは何かやだなーと思って」


 料理を食べ終えた宮崎はお箸を置いて、そう呟いた。

 本心。

 心の底からの気持ち。


 宮崎紗弥加は須川健吾のことが好きで、彼に嫌われたくないと思うのは極々自然なことだ。

 そんな理由で嫌われるなら多分最初から好きじゃなかったんだと諦めがつくように思えるけど、宮崎はそうではないみたい。


 好きという感情は人の思考を鈍らせる。

 否、狂わせる。


「中野はそういう経験あるの?」


「そういうって?」


「だから、その」


 少し言いづらそうに頬を染める。視線を逸らしながらぼそっと言葉を続けた。


「セックス……とか」


 恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。そっちが照れるとこっちまで恥ずかしくなってしまう。


「……ないよ。彼女だっていたことないんだし」


「え、そうなの!?」


 それはどういう意味の驚きなんですかね。嘘でしょいないのダサいな!? ってことじゃないよな?


「意外だ」


「そうか?」


「普通に話しやすいし、面白いし、優しいしさ」


 優しい、と言うときに少しだけ躊躇った宮崎だったが、その理由は何なのだろうか。


「だから、いると思ってた」


「残念ながらいないんだよな。だから、そういう経験もない」


 好きな女の子になんてこと言ってんだよ俺は。宮崎も宮崎でなんてことを言わせんだよ。

 なんだこれ、羞恥プレイ?


「童貞ってこと?」


「いちいち言葉にしなくてよくない?」


「あ、ごめん」


「処女はいいよ。そうだとバレても喜ばれるだろ」


「そうなの、かな」


「でも童貞だとバカにされる。どっちも未経験であることは変わりないのにこの扱いの差はなんなんだよ!」


「なんかごめんね。変なスイッチ入れちゃったかな」


 あはは、と笑いながら宮崎は俺の食器を片付ける。

 俺としたことが取り乱してしまった。


「わ、悪い」


「ううん。全然」


 キッチンでカチャカチャと洗い物をしながら優しい声をかけてくれる。

 そのまま、少しの間沈黙が続いた。


 壁時計を見ながら、そろそろ帰ろうかと考えていると、ふと宮崎が沈黙を破る。


「ねえ、中野」


 水の流れる音だけが聞こえるその空間で、宮崎の声がすっと耳に入ってくる。


 そして彼女は、ただ何でもないように、日常会話の一環程度の声色で、ご飯行こうよと誘うように気軽な調子で。


「セックス、する?」


 そんなことを言った。

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