第2話


 同じ中学だということを知ったのは彼女に廊下で声をかけられたときだ。


『あれ、中野?』


 入学して少しした頃だったと思う。

 緊張した空気も、友達ができたり慣れたりして、ようやく緩み始める。


 かくいう俺も移動教室のため友達と歩いていたところだった。


『ん? んー?』


 見覚えのない顔に、俺は難しい顔をする。そのリアクションで全てを察した宮崎は俺の肩をぽんと叩く。


『宮崎紗弥加! 家帰ったら卒アル見てみろ!』


 そして彼女は立ち去った。

 家に帰って、言われたとおり中学の卒アルを見てみると『宮崎紗弥加』の名前は確かにあった。


 けどその写真の彼女は黒髪でメガネで、何というか地味めな印象。昼間に見た宮崎紗弥加は赤茶色に髪を染め、薄めだが化粧をしていた。明るい雰囲気の彼女とは重ならなくて戸惑った。


 そんな感じで彼女と出会い――否、再会した俺は校内校外問わずに彼女の姿を見かけることとなる。

 多分今までもいたんだろうけど、意識しなければ人を認識できない。ましてや知らない人であれば尚更だ。


『あれ、中野もこっち? って、そりゃそうか。中学一緒なんだから最寄り駅一緒でも不思議じゃないね』


 ある日の帰り道、ホームで電車を待っていると話しかけられた。

 別にだからどうということもなく、他愛ない雑談を交わしながらその日は帰った。


 それから時々、電車が一緒になると二人で帰る。待ち合わせをしているわけではないが、その頻度は増えていった。


『そういや、まだ連絡先とか知らないよね?』


『ああ、確かに』


 吐く息が白くなる、そんな寒い日。

 ふと宮崎がそんなことを言った。そして俺達は連絡先を交換した。


 何をもって友達とするのかは人それぞれ違うと思うけど、俺と宮崎が友達になったのは恐らくこの日だろう。


 高校二年になると同じクラスになった。

 他愛ない話をして、二人して笑い合って、多分この頃には俺は宮崎を特別な人として見ていた。


 けど。

 この恋は叶わない。

 その事実を突き付けられたのは二年になってすぐのことだった。


『須川って彼女いると思う?』


 いつものように帰りが一緒になり、二人並んで仲良く帰っている時、宮崎がふとそんなことを言ってきた。


『いや知らねえよ。面識ないし』


 須川健吾。

 我がクラスの中でもトップカーストに座する男。彼がいるグループはクラスカースト上位組が集まっている。

 宮崎もその一員だ。


『自分で聞いたらいいじゃん。仲良いだろ』


『む、むりむり! そんなん怖くてきけないし!』


 乙女の顔というか、女の顔というか、俺には向けたことのない表情で宮崎は首を振る。


 この時、俺はあくまでも友達でしかなく、それ以上の関係になることはないんだと思い知らされた。


 それでも良かった。

 この心地よい時間を失うくらいなら、こんな気持ちは捨てて、ただの友達として一緒にいようと思った。


 そんなある日。

 彼女は学校を休んだ。

 先生は風邪だと言っていた。


『中野。お前宮崎と家近かったよな』


『ええ、まあ』


『プリント。持ってってあげてくれ』


 別に明日学校に来るかもしれないのだからいいだろ、と思ったが面倒と思うほどの距離でもなかったので受け取った。


 一応メッセージで行くことを伝え、俺は宮崎の家へと向かう。

 彼女の家へ行ったのはこの日が初めてだったが、以前場所は聞いていたので迷うことはなかった。


 インターホンを押すと、少ししてカギが開けられる。


『ごめんね、わざわざ』


 顔を出した宮崎は元気そうだった。顔色が悪いようにも見えないし、鼻声や咳も気にならない。


『体調良さそうだな』


『ああ、うん。まあ』


 何だか歯切れが悪い。

 後ろめたさがあるというか、何かを隠そうとしているというか。


『泣いてた?』


 それより気になったのは宮崎の目元だった。腫れているように見えたのだ。


『……あ、はは。まあ、そだね』


『何かあったのか?』


 俺が聞くと、宮崎の表情が曇る。

 瞬間的にデリカシーのない質問をしてしまったかと思った。


『あ、いや、別に無理にとは言わない。ただ人に話した方が楽だと思っただけで、俺じゃなくて……他の、誰かでも、ほら須川とか……』


 誤魔化そうと早口に捲し立てる。俺の動揺っぷりがおかしかったのか、宮崎はくすりと笑う。


『んー、中野がいいかも。よかったらちょっと話聞いてくれる?』


 宮崎は少し考えてから弱々しくそう言った。ドアが開かれ、俺は初めて宮崎の家に足を踏み入れた。


 自分の家ではしない、他人の家のにおいに緊張する。ましてや女性特有の不思議なにおいだ、どきどきしないわけがない。


『ここ三日くらい、お母さんが帰ってきてなくて』


 リビングに入り、宮崎がそう話し始めた。

 リビングは少し散らかっていて、よくいえば生活感のある。悪く言うなら掃除が行き届いていない。


『それで、昨日の夜急に帰ってきたの』


 そう話し始めた彼女の肩は震えていて、触れてしまえば消えてなくなってしまいそうなくらいに弱々しい後ろ姿だった。


『ただ、どこに行ってたか聞いただけなの。でもお母さん酔ってて話にならなくて、しつこく聞いたらすごい怒って』


『……』


 想像していたことよりもずっと重い話に俺は言葉を詰まらせた。


『それで、そのまま出て行って。私、何かダメだったのかなって思うと泣けちゃって。学校サボっちゃった』

 

 そう言いながら、彼女は無理やりに笑顔を作った。

 

 家庭の事情というのは、家庭の数ほど存在する。家族と仲良く平和に暮らす俺には宮崎の境遇を理解できない。

 どれだけ辛いのか、知った口を叩けるほど人生経験もない。


 父親がいないとは聞いていた。その上母親と喧嘩別れをして、精神的に不安定になってしまったのか。

 慰める言葉も出てこない。

 元気づける言葉も浮かばない。


 けれど、気丈に振る舞って笑顔を作る彼女に何かしてあげたい。何かしなければと思った。


『……え』


 気づけば、俺は彼女を抱きしめていた。

 言葉がなくても、きっと伝わる。

 喉に詰まって吐き出せないこの気持ち。好きとか、そんなんじゃなくてただ元気になってほしい、笑顔でいてほしい。

 そう思っていたら、体が勝手に動いていた。


『……中野?』


『俺は今のお前にどう声をかけていいのか分からない。気の利いたセリフなんか一文字も出てこない。でも、何かしてあげたくて……ごめん』


 彼女に拒絶されることを恐れて、俺は咄嗟に彼女から離れようとした。


 が。


『……ありがと、中野』


 宮崎が俺にぎゅっと抱きつき返してきた。彼女の胸の感触が押し付けられて、俺は声にならない声を漏らす。


『もうちょっと、このままでいてもいい?』


 しんみりとか細い声で話す宮崎は俺の胸に顔をうずめる。俺はただ、彼女を抱きしめ続けた。


『これ、なんか落ち着く』


 こうして。

 俺と宮崎はハグフレンドとなった。

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