#19 愛のゆくえ

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キャンプから戻った翌朝、シャロンは姿を消した。キースはそのゆくえを追うが、タイミング悪く、彼をめぐるスキャンダルがメディアを賑わせる。ルービンの報復だった。キースは窮地を切り抜け、シャロンを取り戻せるのか?


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 翌朝、ダイニングにはひとり分の朝食しか用意されていなかった。

「シャロンはまだ部屋に閉じこもったままなのか?」キースはディエゴにたずねた。

「今朝早くにお出になりました。これをあなたに渡すようにと」ディエゴは四つ折りの紙を渡した。

 開くと、「あなたのことがわからなくなりました。さようなら」とだけ書かれている。

「なぜ、止めなかった?」

「私にそんな権限はありません」

「どこへ行ったんだ?」

「空港までは私がお送りしました」

「行き先は? ニューヨークか?」

「わかりません」

 キースは舌打ちし、腰に手を当ててしばらく考えたあと、「すぐに自家用機の手配をしろ」と命じた。

 と、スマートフォンがジャケットの内ポケットで振動した。すぐに取り出して画面を見ると、フィッシュからだった。

「どうした、こんな早くから」苛立つようにキースが言う。

「例の投資におまえが関わっていることがバレた。あのルービンって男が大々的に非難している」

「なぜルービンが?」

「とにかくネットを見てみろ」

「わかった、いったん切る」

 キースはすぐさまスマートフォンで調べた。ウォール・ストリート・ジャーナルの記事だった。ルービンはシェールガス掘削が環境破壊につながると批判していた。さらに、新たな掘削事業にキースが役員として名を連ねる投資会社が出資していることを暴き、「次回作で環境問題をテーマにした映画を撮る人間が、現実には環境破壊に加担している。究極の偽善者だ」と厳しく非難していた。

「あの男め」ののしった直後、キースは悟った。シャロンもこの記事を読んだにちがいない。すぐにフィッシュに電話をかけ直した。

「記事を見た。やつはどこから情報を入手したんだ?」

「おそらく環境保護団体からだろう。連中の情報網は侮れないからな」

「だから乗り気じゃなかったんだ」キースはしばらく考え込んだ。「とりあえず、ルービンに情報を流した環境保護団体を調べてくれ。あの男のことだ、きっと何か出てくる」

「了解した。だが、これからあちこちでたたかれることは目に見えてる。こんな事態になるとは想定外も想定外だよ。で、どうする? 仮に撤回したとしても、もうどうにもならないだろう」

「しばらく時間をくれ」

「わかった」

 キースは電話を切ると、「ディエゴ、空港へ行くぞ!」と大声を上げた。


       *


 シャロンは祖父の家に向かってレンタカーを運転していた。見慣れた家屋が迫ってくるにつれ、視界がちょっとずつぼやけていく。エンジン音を聞きつけてジェフが玄関に姿を見せたときには、もう涙をこらえることができなかった。

「おじいちゃん!」シャロンは祖父のもとへ駆け寄ると、その体に倒れ込むように身を預けた。

「どうしたんだ、いきなり」ジェフは孫娘の体をやさしく抱きとめた。「とりあえずなかへ入ろう」

 ダイニングテーブルに孫娘を座らせると、ジェフは淹れたてのコーヒーを出した。シャロンは一口だけ啜ってカップを置くと、うつむいて口を開こうとしなかった。

「何があったんだね。よかったら話してごらん」

 ジェフが辛抱強く待っていると、シャロンは小さな声で「キースのことがわからなくなったわ」と言った。「あの人、この土地でガス田掘削をしようとしているの」

「そうらしい。今朝、街の人間から連絡があったよ」ジェフの口調は穏やかだった。

「おじいちゃんは平気なの? この土地が壊されるかもしれないのに」

「いいかね、シャロン」ジェフは諭すように続けた。「人にはそれぞれ立場というものがある。キースぐらいの人間になると、いろいろな事情を抱え込まずにはいられないんだよ」

 シャロンは予想外の祖父の反応に戸惑った。

「彼はおまえにどう説明したんだね?」

「キースとは何も話していないわ。今朝、知ってすぐに出てきたから」

「それはおまえらしくない」ジェフは笑った。「おそらく、ほかにも何かあったんだろう」

 シャロンの胸のなかで、セコイアの森でキース言い放った言葉がよみがえった。コーヒーを飲んで心を落ち着かせると、ロスに行ってからあの朝までにキースとのあいだに何があったかをすべて話した。瞬きをするたびに、涙がゆっくりと頬を伝った。

「私が余計なことを言ってしまったことは事実だし、彼もつい勢い余ってしまったことは理解できる。でも、頭ではわかっていても心はちがう。キースはずっとやさしかったから、どんなときでもやさしかったから……」

 言葉が途切れると、ジェフはようやく口を開いた。

「さぞ、つらかっただろう。おまえが傷つくのも無理はない」

 シャロンの目から、またひとすじの涙が流れた。

「だが、それだけキースは心に傷を負っているんだよ。おそらく、おまえが言ったことは本人がいちばんよくわかっていると思う。だから痛いところを突かれて、自分を制御できなくなってしまったんじゃないのかね」

 シャロンは祖父の言葉をじっくりと考えた。たしかに、おじいちゃんの言うとおりなのかもしれない。あのときを除けば、キースはずっと私を大事にしてくれた。やさしかった。そのとき、ディエゴの言葉が聞こえてきた――あとは、信じるか、信じきれるかどうかです。

「おまえの話を聞いているかぎり、私にはキースが悪い人間には思えない。過ちを犯さない人間などいやしないんだよ。とりあえず彼の出方を待ちなさい。おまえのことを大切に思っているなら、すぐに追いかけてくるだろうから」

「そうね」シャロンは涙をぬぐった。

「それでいい」

 ジェフの笑顔に、シャロンの泣き顔がほころんだ。


       *


「シャロンは戻ってるか!」

 男の大声に、リンジーはびくりとして顔を上げた。かつて見たことのない形相のキースが近寄ってくる。

「リンジー、シャロンはどこだ?」

 リンジーは無視し、視線を雑誌に落とした。

「シャロンがいなくなった。きみなら何か知っているはずだ。ここにいるのか?」

 それでも雑誌に目を通しているリンジーに、キースは声を荒げた。「きみに聞いているんだ!」

 リンジーはようやく顔を上げた。

「ベイカーさん、あなたには感謝してますよ。うちの店を使ってくれたし、ボーナスまでいただいて。でも、あたしの親友を傷つけたことは絶対に許しませんから」

 弁明の余地がないことで、キースは冷静さを取り戻した。

「シャロンから連絡があったんだね。どこに行ったか、教えてくれないか」

 リンジーが雑誌を閉じて立ち上がると、眉間のしわが消え、真顔になった。

「あの娘はあんたに出会って変わった。ルービンのせいで男に心を閉ざしていたのに、また人を愛せるようになった。心も強くなった。なのに、どうしてまた崖から突き落とすようなことをしたの?」

「きみの言うとおりだ。僕はシャロンにひどいことを言った。本当にすまないと思っている。だから謝りたいんだ。シャロンの居場所を知っているなら、教えてくれ。頼む」

 リンジーはキースの目をじっと覗き込み、その切迫した表情に嘘がないと判断した。

「おじいさんの家よ。ロスを発つまえに電話してきたわ」

 キースは安堵した。同時に、ルービンの暴露のせいで自分がより困難な状況に追い込まれていることもわかっていた。暴言を謝罪するだけでは、もはや済まされまい。

「ありがとう、リンジー。すぐに行ってみる」

 キースは住所が書かれたメモをもらうと、きびすを返して店を出ようとした。そのとき、リンジーの強い言葉が背中に突き刺さった。

「もう二度とあの娘を泣かせるようなことはしないで」

 キースは振り向いた。リンジーの懇願するような目とぶつかった。

「約束する。神にかけて」

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