#17 闇夜の森に抱かれて

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アートデザインの監修をほぼ終えたシャロンをねぎらうため、キースは彼女をキャンプに連れ出す。そこは巨樹セコイアが林立する森。キャンプファイヤーが闇夜を照らすなか、ふたりの愛の炎が静かに、やがて力強く燃え上がる。


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「遅れてすまない」

 〈マジック・モーメント〉の会議室にキースが颯爽さっそうと現れた。「脚本家とのランチミーティングが長引いてしまってね」

 シャロンには、キースが上機嫌でいることがひと目でわかった。「いいことでもあったの?」

「ようやくすべての問題がクリアになった。スクリプトについては、いつでも撮影に入れる状態だよ。きみたちもいい仕事をしてくれたと信じている。さっそく始めてもらえるか?」

 バーナードが口を開く。

「シャロンと話し合って、最初に代表的な植物のイメージを固めることから始めました」

 バーナードがノートパソコンを操作すると、大型プロジェクターにCGでリアルに描かれた架空の植物の立体図が次々と映し出されていく。

「あなたが言ったように、実際の植物をデフォルメしてみたの」シャロンがキースに説明する。

「個々の植物が決まったところで、それらを使って〈惑星A〉の自然のイメージをつくりました。それがこれです」

 スクリーンに見たこともない森のCGが次々に展開していく。その様子をキースは食い入るように見つめていた。

「さらに、セットをつくる必要があるもの、たとえば部族が集まる場所や族長の家の周囲などについては、シャロンに植物の配置をデザインしてもらいました。こんな感じです」

 セットのできあがりを容易に想像できるCGを、キースはしばらく黙って見ていた。終始、その表情はまるで変わらなかった。

 シャロンはれた。どうなの、これではダメ?

「きみは本当に期待というものを裏切らない。完璧だよ、シャロン」

 ああ、よかった! シャロンは笑みをたたえてバーナードのほうに顔を向けた。バーナードは一度だけうなずくと、小さくガッツポーズをした。

「ふたりともよくやってくれた。ではバーナード、美術班の指揮を頼む」

 バーナードは「了解」とだけ言うと、ノートパソコンを抱え、シャロンの肩をポンとたたいて出ていった。

「これで私の役目も終わったわけね」シャロンはぽつりと言った。

「慣れない仕事で大変だったろう。ご苦労だったね」

「でも、すごく楽しかったわ」

 シャロンはこの一カ月の作業を懐かしむように言った。だが、すぐに寂しさがこみ上げてくる。これですべて終わってしまうんだ。みんなとの共同作業も、キースとの生活も。

 そんな胸の内を察したかのように、キースが陽気に言った。

「考えていたんだが、どうだろう、思いきり羽を伸ばしてみるというのは。明日から二日ぐらいなら時間が取れる。行きたいところがあったら、どこへでも付き合うよ」

 沈みかけていたシャロンの心がポンと弾んだ。キースはいつも一歩先のことを考えている。このネックレスを用意してくれていたように。

「私、キャンプに行きたい。ずっとCGとにらめっこしてたから、本物の緑に囲まれたいわ」

「わかった」キースはスマートフォンを取り出し、タップして耳に当てた。

「ディエゴか。明日、シャロンとキャンプに行くことになった。至急、場所選びと用具の準備をしてくれるか」


       *


「どこに行くのかと思っていたら、これ?」

 プライベートジェットに乗り込みながら、シャロンは呆れ気味に言った。何をするにもけたちがい。驚きをとおり越して、なんだか可笑しくなってくる。

「ディエゴに言ってくれよ。すべて彼のプランなんだから」キースが笑う。当のディエゴは黙々とキャンプ用品を貨物室に積み込み、最後に自分自身を座席に落ち着かせた。

「これからサンノゼへ飛び、そこからレンタカーでキャンプ地のビッグベイスン州立公園へ行きます」

 シャロンは目を輝かせた。「いい選択よ、ディエゴ」

 一時間もかからずにサンノゼへ到着すると、ディエゴはレンタカーのSUVにふたりを乗せ、目的地へ急いだ。一時間ほど走ると、そこは巨木が林立するセコイアの森だった。

「ここには樹齢二千年を超える老木もあるの。すごいと思わない?」

 シャロンの問いかけに、キースはあたりを見まわしながら「想像すらできないな」と嘆息を漏らした。

「この森の、地上の長老よ」

「きみらしいたとえだよ。たしかに言い得て妙だ」

 ディエゴはふたりをキャンプサイトに案内した。開けた場所で、木でできたテーブルと長椅子、ドラム缶のようなファイヤーリングがあり、隅のほうには水道、トイレ、シャワールームまであった。

「まるでキャンプのスイートね。私は完全な野営でもよかったんだけど」

 ちょっと不満そうなシャロンに、キースは「僕はこのほうがありがたいね」と笑った。

「おふたりはトレッキングへ行ってきてください。そのあいだにテントを建てておきます」ディエゴが設営の準備を始めながら言った。

「ありがとう、ディエゴ」シャロンが礼を言うと、ディエゴはいつもの人懐っこそうな笑みを浮かべた。


       *


 巨木に囲まれた小道をゆっくりと歩いていくと、朽ち果てた倒木に出くわした。ふたりは手をつないだまま、しばらく無言で巨大な亡骸に見入った。

「これが自然本来の姿なのよね。命の抜けがらが生ある世界にそのまま放置されて」

「ああ。無残というのでも殺伐というのでもない。うまく言葉にできないよ」

 やや間を置いて、シャロンが言った。

「だから人は絵を描いたり、写真を撮ったり、映画をつくったりするのよね。きっと」

「言葉では言い表せないことを伝えるために」

「ええ」

 日が落ちるまえに、ふたりはキャンプサイトに戻った。すでにテントができあがり、ディエゴはファイヤーリングに火をおこして夕食の準備をしていた。

「おかえりなさい。いかがでした?」

「心が洗われたわ。いろいろ考えさせられたりもしたし」

「おかげで話が芸術論にまで及んだよ」

 キースの言葉に、ディエゴの表情が少しだけ曇った。

「お気に召さなかったでしょうか」

「そんなことはないわ」シャロンが慌てて否定する。「ねえ? キース」

「ああ、そういうつもりで言ったんじゃない。だが、羽を伸ばす目的で来たわりには、ちょっと地味じゃないかという気はするが。ここで本当によかったのか、シャロン」

「大満足よ。あなたはそうじゃないの?」

「きみさえよければ、それでいいんだ」

 微妙なすれちがいを感じ取ったディエゴは、自分に責任を感じつつ、努めて明るく言った。 

「さあさあ、お腹が空いたでしょう。ディナーの用意をしますから、お座りください」


 遠慮するディエゴをシャロンは説き伏せ、三人でテーブルを囲んだ。ディエゴは牛肉のスープであるカルド・デ・レスとトルティーヤをふるまった。

「キャンプでこんな食事ができるとは思わなかったわ。すごくおいしい」シャロンが絶賛すると、キースも「何をやらせてもソツがない男だよ」とほめ称えた。

 ワインの力も手伝って、ディエゴは自分のことを饒舌に話し、テーブルは幾度となく笑いに包まれた。

「おまえとこうして食事をするのは初めてだが、たまにはいいものだ。キャンプ行きを提案したシャロンのおかげだよ」キースは続けた。「久しくこういう食事はしてなかった気がする」

 シャロンも同調した。

「ほんと、すごく楽しいし気分がいいわ。私のおかげというより、優秀なツアーガイドであるディエゴに感謝しなきゃね」

 今度はディエゴの番だった。

「キースさんもシャロンさんもいい人だから、私はふたりのためにできることをしているだけです。アメリカに来て、今夜がいちばん楽しいです」

 シャロンは笑みを浮かべながらディエゴの肩をやさしくさすった。するとキースが「乾杯しよう」とワイングラスを掲げた。

「すばらしい夜に」

 闇と静寂に包まれたセコイアの森に、三つのグラスがぶつかるカチンという音が響いた。


       *


 食事が済むとディエゴはコーヒーを用意し、長居することなく引き上げた。

「私は車で寝ます。では、おやすみなさい」

 シャロンとキースは、数十メートル離れたSUVのラゲッジルームへディエゴが消えるのを見守った。

「ディエゴは本当にいい人ね」

「そうだな。ますます彼のことが気に入ったよ」

 ファイヤーリングの炎がふたりの顔を照らしていた。

「今夜はきみのひまわりがよく見える」

 シャロンが微笑みながらマグカップを口に運ぶ。それからしばらく、ふたりは黙したままたがいを見つめ合った。

 先に口を開いたのは、キースだった。

「きみが来てから、何もかもが大きく変わった気がする。朝起きればきみにおはようを言い、夜はきみのことを想って眠りにつく」そこで言葉を切ると、小さく笑った。「今夜はディエゴと食事ができたしね」

 シャロンの白い歯がこぼれた。

「変わったのは私も同じ。あなたといっしょに過ごすようになってから、毎日心が解き放たれているような気がするの。私ってこんなに伸び伸びできるんだって」

 キースが手を伸ばし、シャロンの手をやさしく握った。ふたりの指がゆっくりと絡み合う。

「それに、あなたといるとあたたかい」

 キースはシャロンの瞳をじっと見つめながら言った。

「最近、思うんだ。ひまわりの瞳をしたあのウクライナ人女性は、僕がきみを見つけるための案内人だったんじゃないかと」

 シャロンは小さく笑った。「さすがは映画監督さんね。言うことが上手よ」

「本気で言ってるんだ」キースの決然とした面ざしに炎の陰影が揺れる。腰を上げてまえ屈みになり、その手をゆっくりとシャロンのあごにあてると、上向いたその唇にキスをした。

「おいで」

 言われるがまま、シャロンは立ち上がってキースのそばに歩み寄るとその身を預けた。抱きかかえられ、テーブルに載せられ、やさしい愛撫に自意識が遠のいていく。

「ここではだめ……」なんとか声を絞り出すと、キースの動きが止まった。

「テントのなかならかまわないか?」

 シャロンは小さくうなずいた。

 キースに手を引かれてテントに入ると、「ランプを消して」とシャロンは言った。「影絵になるのはイヤだから」

 キースがランプを消すと、小さな空間に完全な闇が降りた。

「きみが見えない、シャロン」

「ここにいるわ」

 シャロンはキースの手を探り当てると、その手を自分の頬へと導いた。キースの指がゆっくりと頬を、鼻を、唇を撫ぜていく。

「きみが欲しい。身も心も」

「いいわ」

 闇のなか、キースの息づかいと熱が感じられたかと思うと、力強く抱きしめられた。

 やっと結ばれる……。

 シャロンはすべてを解き放ち、恍惚の彼方へと漂っていった。

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