#15 プライベートシネマ

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いよいよ映画づくりがスタートする。シャロンは監修として製作会議に加わり、夜はキース邸内にあるシネマルームでひとり、映画の勉強をする。そんなある夜、シャロンの隣のシートに身を収めたキースは、そっとシャロンの手を握り、つぶやく。「映画は夢だ」


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 翌日、シャロンは朝からキースの映画会社〈マジック・モーメント〉の会議室にいた。キース、シャロンのほか、プロダクション・デザイナーのバーナード・フライシャーも同席している。シャロンとバーナードが自己紹介を済ませると、キースは次回作について説明した。

「今度の映画はサイエンス・フィクションだ。水に恵まれ、豊かな植物が生息する惑星Aが主な舞台になる。高度な機械文明は発達しておらず、大国のようなものは存在しない。比較的小さな共同体が多数、点在しているようなところだ」

「熱帯地方の未開社会のようなものかしら」シャロンが訊いた。

「そんなイメージだよ。その惑星に、高度な文明社会を持つ惑星Bの調査船がやってくる。その星はたび重なる戦争と機械化によって砂漠化が進んでいて、住人たちは打開策として惑星Aの植物αに目をつけた。砂漠化を改善する特効薬になる可能性が高いとわかったためだ。そのリサーチを指揮するのが女性科学者。映画の主人公だよ」

 やっぱり。シャロンは心のなかで笑った。

「だがその船には、植物αを大量に仕入れてひと儲け企んでいる企業のスパイが潜り込んでいる。惑星Aのある部族と接触するためにね。その部族の族長は惑星Aの支配を目論んでいて、強力な兵器を必要としているんだ。そこでスパイは武器と植物αを交換する密約を持ちかけようとする」

「でもある植物を大量に持ち去ったら、生態系が崩れてしまうと思うけど」シャロンが思わず口を挟む。

「そのとおり。じつは植物αはその惑星の環境を維持するために重要な役割を果たしているんだ。だから女性科学者は直接持ち去るのではく、植物αを研究し、自分たちの惑星に合うように品種改良して、自分たちの手で種を増やすことを考えている。だがそれには時間がかかる。大量に持ち帰って売ったほうが、手っ取り早いし金になる」

「そのことに気づいた女性科学者が、悪巧みを阻止しようと奮闘するわけね」

「まあ、そんなところだ。ほかにもいろいろな要素が絡んで物語は複雑になるし、大規模な戦いが繰り広げられることにもなるがね」

 売れっ子と言われるキースのことだ。おそらくエンタテインメントの要素をふんだんに盛り込むにちがいない。

 キースがバーナードに軽くうなずいた。

「続きはわたしのほうから。シャロンさんには、われわれといっしょに惑星Aのイメージづくりに取り組んでもらいます。架空の星だからといって好き勝手につくってしまったら、リアリティに欠けてしまいます」

「今は映画もドラマもリアリティ至上主義だからね」キースが補足する。

「ここに二枚のイメージ画があります。スタッフが書いたものですが、これを見てどう思われますか?」

 バーナードは二枚の絵、鬱蒼うっそうと茂る緑の遠景画と地面から数メートルの高さを収めた密林内部の近景画を見せた。

「見たところ、熱帯雨林っぽいですね」

「まさに。高温多湿という気候条件を想定して描いたものです」

 近景のイメージ画を見ると、まっすぐに伸びた幹が何本もあり、シダ植物のような背の低い植物が生い茂り、画面全体が緑で埋め尽くされている。地面近くには赤やオレンジなど派手な色の花々が咲いていて、見た目にはユニークだ。

「初歩的なミスを指摘すると、こういう熱帯雨林に花は咲きません。生い茂った緑が太陽の光を遮ってしまうから。あと、樹木の幹が地面からすっと伸びているけれど、本来は板根が出ているはずです」

「板根?」バーナードが訊いた。

「地表で横に張り出す根のことです。この板根があるために、地表付近の幹は山みたいな形をしているんです。なぜそんなふうになるかというと、ひとつは大きく成長しすぎた体を支えるため。もうひとつは、熱帯雨林の土壌は薄いので地中深くに根を張れないから」

「なぜ土が薄いんだ?」今度はキースがたずねた。

「枝や葉が落ちてもあっという間に分解されてしまうから、腐葉土が存在しないの。だから地中には栄養素もほとんどない」

 バーナードとキースが目を合わせ、これでいいというように無言の確認をした。

「やっぱり専門家の意見は仰ぐべきだな。シャロン、今の調子でバーナードたちを手伝ってくれるかい。彼らが描いたイメージにウソっぽさがないかどうか、徹底的にチェックしてほしいんだ」

「これぐらいならおやすい御用だわ」シャロンは自信ありげに答えた。

「それから、架空の草花もデザインしてほしい。学術的な考証も加味したうえでね」

「どういうことかしら?」

「そうだな」キースは右手をあごにあててしばらく考え込み、口を開いた。

「たとえば、きみの店にあったハエトリソウ。『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』のオードリーⅡは、ハエトリソウをデフォルメしたものだ。つまり、植物の特長を誇張するということだよ」

「なるほど、そういうことね」シャロンはオードリーⅡがどんなものかは知らなかったが、キースが言わんとすることはすぐに理解できた。「おもしろそうだわ」

 キースはさらに、撮影用のセットを組む際に参考となるプロトタイプ(キースは「コンテナガーデンのようなものでいい」と言った)の制作や、植生のアイデア出しなどをすることも伝えた。シャロンの植物に関する知識やコンテナガーデンのデザイン力がフルに生きる仕事ばかりだった。

「できるかぎりのことをしてみる。バナードさん、よろしくお願いします」シャロンはバーナードと力強く握手した。


       *


 翌日から、〈マジック・モーメント〉や美術の制作工房に出かけては作業をするという日々が始まった。日中はキースと顔を合わせることはほとんどなかったが、朝はいつも朝食をともにした。ディエゴは、パンやパンケーキ、スクランブルエッグなどの卵料理、ソーセージやベーコン、サラダやフルーツ、コーヒーにジュースなど、いつも朝食のフルコースを用意した。

「毎朝こんなにきちんとした食事をするの、初めてだわ。まるでホテルにいるみたい」

「祖末を食事を出してきみにやせられでもしたら、リンジーに怒られるよ」キースが笑った。

 一日の始まりにキースの笑顔を見られることが、私にとってはいちばんの元気の素になる。好きな人と「おはよう」を言い合ってスタートする毎日が、こんなにも楽しいなんて。

 ランチは美術スタッフと食べることがほとんどだった。アーティストや職人めいた人間ばかりだったが、みなシャロンを仲間としてこころよく受け入れた。映画への情熱にあふれ、話をしていてもまるで退屈することがない。

 だが、映画をほとんど見てこなかったことを打ち明けたときには、さすがに全員に呆れられた。

「シャロン、せめて監督の作品はぜんぶ見ておいたほうがいいよ」

 長年キースのもとで美術制作に関わってきたペインターに、そう耳打ちされた。キースの邸宅に戻ると、シャロンはさっそくディエゴに相談した。

「地下のシアタールームをお使いください。見たいときに私に声をかけてくだされば、すぐに準備しますよ」

「夜遅くでも大丈夫?」

「私は住み込みの使用人ですよ」

「助かるわ、ありがとう」

 それから毎夜、シャロンのシアタールーム通いが始まった。ディエゴは気を利かせて、ポップコーンやジュースを用意してくれた。

「キースさんの映画を見るときには、これがないとね」


 ある夜、映画が始まってすぐ、となりの座席に誰かが座った。

「これは僕がつくった唯一の恋愛映画だ」

 キースのささやき声が聞こえた。シャロンはまえを見たままうなずいた。ふたりは言葉を交わすことなく、スクリーンに見入った。そしてクライマックスに差しかかったとき、キースがシャロンの手をそっと握った。

 シャロンはそれを驚きもせず自然に受け入れた。映画のなかのヒーローとヒロインに自分の姿を重ねながら。キースの手のあたたかさに心まで包み込まれるようだった。

 エンドクレジットが流れ終わると、シャロンは静かに言った。

「映画っていいものね」

「映画は夢さ」

 でも、今この瞬間は、私の手を握っているキースの手は夢じゃない。夢のようだけれど……

 キースはシャロンの手を引いてシアタールームを出た。シャロンの部屋にたどりつくまで、ふたりの手は握られたままだった。

「おやすみ、シャロン」

「おやすみなさい、キース」

 しばらくふたりは見つめ合った。シャロンの胸がにわかに高鳴る。たがいの瞳に吸い寄せられるようにふたりの顔が近づき、つれてまぶたがゆっくりと閉じていく。そして閉じた瞬間、唇が軽くふれあった。ほのかな温もりが溶けあい、ふたりは何かが通いあうような、満たされずにいた何かがフッと消えたような、不思議な感覚に捕われた。

「今のは何?」シャロンがささやく。

 キースは答えず、なぎのように穏やかな表情を見せると、そのまま自分の寝室へと歩いていった。

 シャロンはその姿をしばらく見送った。そして自室に入ると、静かにドアを閉めた。


      *


 翌朝、ダイニングに向かおうとキースの仕事部屋のまえを通りかかったとき、ドアが少し開いているのに気づいた。隙間からなかを覗くと、スーツを着た男がキースと話し込んでいる。その服装からは映画の制作スタッフには見えない。誰なのか気になったが、盗み聞きをするのはよそうとそのまま立ち去った。

「おはよう、ディエゴ」いつものように、シャロンは明るく声をかけた。

「おはようございます、シャロンさん」

「キースにお客さん?」

「副社長のフォードさんです」

「こんな朝早くから仕事の話なの?」

「フォードさんはビジネスマンです」

 いまひとつ要領を得なかったが、それ以上たずねなかった。

 そこへキースがやって来た。

「おはよう、キース」シャロンは探りを入れるようにキースの目を見た。

「ああ、おはよう」

 いつものキースらしくない。表情がどこか曇っている。昨日の夜とは別人のようだ。

「朝からお客さん? 大変ね」シャロンはそれとなく言った。

「ああ、フィッシュのことか。うちの副社長だよ。まあ、ビジネスの話さ」

「映画じゃなくて?」

 ふたりのやりとりがまるで聞こえないように、ディエゴは黙々と朝食をテーブルに運んでいる。

「資産の管理や運用を彼に任せているんだ。それも大事な仕事だからね。それより、作業のほうはどう?」

「いたって順調よ」

「それならいい」

 やっぱりキースの様子がおかしい。心ここにあらずという感じだ。表情もすっきりしていない。

「どうかしたの?」

 コーヒーを口もとへ運んだキースの手が止まった。カップ越しにブルーの瞳がぎろりと動き、視線が合う。その目に力強さはなかった。

「いや、ちょっと考えごとをしているだけだ」

 そう言い終えたあとも、キースは視線を外さなかった。シャロンはスクランブルエッグをフォークで掬おうとうつむいた。口に運んでから見上げると、またキースの視線とぶつかった。こちらを見ているようで見ていないような、曖昧な目。

「私を見ているのかしら。それとも私じゃない何かを見ているの?」

 キースはシャロンを見ながら、プライベートジェットから見下ろした彼女の故郷ヤングスヴィルの風景を思い起こしていた。フィッシュは投資話は順調に進んでいると報告してきた。「まだ撤回する可能性はゼロじゃない」と告げると、「余計な心配はするな」と諭された。だが、自分にとっては余計な心配ではない。

「きみを見ているんだ」

 でなければ、この僕がこんなに悩むはずがない。

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