#14 特別な夜、格別なディナー

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キースは隠れ家的なレストランにシャロンを連れていく。ゆったりとした時間が流れるなか、自分の生い立ちを語り始めるキース。その話から、彼が自分のことを強く必要としていることをシャロンは知る。たんに映画のためだけでなく。


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 夜、キースとシャロンはディナーのためにふたたびビバリーヒルズに向かった。

 出かけるまえ、シャロンのドレスアップした姿に、キースは満面の笑みを見せた。

「試着したときよりきれいだ。きみの表情から迷いも戸惑いも消えている」

「ありがとう」

 あなたも素敵よ、シャロンは思った。マンハッタンのパーティではタキシード姿だったが、今日はグレーのスーツにノーネクタイ。肩まで伸びた黄金色の髪が、ジャケットによく映えていた。その髪やシャツの襟にのぞく喉もとが、それまであまり意識しなかった色気を感じさせた。

 ふたりを乗せた車はビバリーヒルズの外れ、レンガづくりのこじんまりとした建物のまえで停まった。

「着いたよ」

「ここなの?」

 あたりは建物がまばらな住宅街で、ひっそりとしている。ホテルのなかか街の中心部にあるものとばかり思っていたため、シャロンはちょっと拍子抜けした。このドレス、着る必要があったんだろうか。

「この店には観光客はほとんど来ない。落ち着いているし、味もいいんだ」

 窓越しに見える店内には、人影がまるで見えない。

「観光客どころか、お客さんがひとりもいないみたい」

「貸し切りにしたからね」キースがさらりと言う。「せっかくの歓迎ディナーだ。今夜ばかりはハリウッドの見知った連中に邪魔されたくない」

 ふたりがなかに入ると、店の奥へ、さらにパティオへと案内された。レンガの壁はツタ植物で覆われ、そこかしこに花壇や鉢物がある。大きなロウソクに見立てた照明があたりをやさしく照らし、隠れ家的な雰囲気に満ちていた。

「すごく素敵。イタリアにでも来たみたいだわ」

「見てのとおり、イタリア料理だが」

「大好きよ。あなたこそかまわないの、タコスじゃなくて」シャロンはいたずらっぽい顔をした。「ディエゴが言ってたわ、大好物だって」

「おしゃべりなメキシカンめ」

 ふたりは笑った。


       *


「でもこういうお店だったら、別にドレスでなくてもよかったんじゃない?」運ばれてきたトマトバジルスープをまえに、シャロンは言った。

「きみのためにこの店を選び、貸し切りにし、ドレスをプレゼントした。きみを歓迎するディナーなんだ。僕の演出はまちがっていないよ」

「さすがは売れっ子の映画監督さんね」

「気に入らないのか?」

「その反対。高級ホテルのレストランより、ずっといい」シャロンは世界がふたりだけのために存在しているような気分を味わっていた。


 アンティパスト、プリモ・ピアット、セコンド・ピアット。給仕はシャロンとキースのためだけに、とびきりの料理を運び続けた。ゆったりと流れる時間。ため息の漏れる格別の料理。ふたりの会話も弾んだ。

 雰囲気に背中を押され、シャロンはつっこんだ質問を投げかけた。

「私、あなたに謎めいたところを感じるんだけど」

「どういう意味だい?」

「最初に会ったとき、私の目を覗き込むあなたの目つきに、初対面とは思えない強い何かを感じたの。あなたは私の瞳がひまわりの模様をしていることに気づいたけれど、私が教えるまえに気づいた人っていなかったわ。おじいちゃん以外には。それと、お金に対する考え方。ディエゴに聞いたんだけど、必要と判断したものにはお金を使っても、決して浪費はしないんでしょ?」

 キースは考え込むような表情をしてから、口を開いた。

「僕の過去を話せば、その答えになると思う」

 シャロンはうなずいて、続きを待った。

「僕の父親はインディペンデント映画のプロデューサーだった。一般受けしない映画ばかり手がけていて、たまにヒット作が出ても利益をすぐに食いつぶした。借金ばかりが増えていって、それに愛想を尽かした母親は、僕が幼いころに姿を消した」

「あなたを放り出して?」

「母はもともと女優の卵で、おそらく下心から父と関係を持ち、結婚したんだと思う。でも、あてが外れたから逃げた。そんな母にとって、僕はお荷物でしかなかったのさ」

 不幸な家庭の子。私といっしょだ。可哀想なキース……。

「とにかく貧乏だったから、安アパート暮らしだった。で、うちのとなりの部屋にも女優の卵が住んでいた。ハリウッドには女優の卵がごまんといるからね。その女性は若いウクライナ人で、ウェイトレスやモデルをしながら映画のオーディションを受けていた。廊下ですれちがったりしているうちに僕に声をかけてくれるようになり、いつの間にか面倒までみてくれるようになったんだ。僕にしてみれば、母親代わりだったよ」

 キースは当時を懐かしむように少しだけ頬を緩め、しばらく黙り込んだ。そしてシャロンに視線を戻すと、続きを語り始めた。

「あるとき、小学校からの帰り道、上級生たちの待ちぶせにあった。メジャー映画会社の重役のご子息、どら息子たちさ。僕の父が売れないプロデューサーであることを知っていたから、僕はいじめの格好の的だったんだ。多勢に無勢、小突かれたり蹴られたりやられっぱなしだったよ。そこに彼女が来て、僕を助けてくれた。やつらの頭をたたいたり、突き飛ばしたりして」

「あなたの映画で女性が強いのって、もしかしてそのことが……」

「そのとおり」

 リンジーはまちがっていた。やっぱり、ただのマザコンなんかじゃなかったんだ。

「僕は助かった。だが、彼女にとってはその行動が命取りになった。それ以降、オーディションさえ受けられなくなったよ。当然さ。自分が入り込もうとしている世界にたてついたわけだからね。そしてある日、彼女は国へ帰っていった」

 そこでキースは言葉を切り、シャロンをじっと見つめた。

「彼女はひまわりの瞳を持っていたんだ」

 あのとき、瞳が鷲づかみされるような力強さを感じたのは、そういうことだったのか。でも、それでは……。

「あなたは私に彼女の姿を重ねているの?」

「それはちがう。もちろん、きみの瞳を見たときには驚いた。でもそれは、ほんのきっかけにすぎなかった。彼女ときみは見た目も性格もちがうんだから。僕はきみという女性に惹かれたんだ。誤解しないでくれ」

 シャロンはじっとキースの瞳を見つめた。そこに嘘いつわりはなかった。

「正直に言おう。僕はきみと出会ったときに、運命めいたものを感じたんだ。また、僕を助けてくれる女性が現れたんじゃないかと」

「あなたは助けを必要としているようには見えないわ。むしろ、私が助けてもらってばかりで」

「映画づくりで助けてくれようとしているじゃないか。それに助けるというのは、何も困った人に手を差し伸べるだけじゃない。もっと深くて広いものだよ」

 もっと深くて広いもの? どういうことなんだろう。続きを待ったが、この話題についてキースはそれ以上話すつもりはなさそうだった。シャロンも追求する気はなかった。

 ころ合いを見計らっていたかのように給仕がやってきた。リブアイのローストが姿を消し、わずかにソースの痕だけが残った皿を下げていった。


       *


「お金については? 貧しい家庭に育ったということはわかったけど」

 ブルーベリーソースのかかったパンナコッタがテーブルに置かれると、シャロンは問いかけた。

「金がないばかりに、いじめられたり親が欠けたりするのはごめんだ。なんだかんだ言われるが、金はやっぱり大事だ。使い方をまちがえたら、ろくなものにはならないが」

「ステファニーさんのバースデイ・パーティ、ディエゴと彼の家族のために用意した家、そしてこのドレス。あなたにとっては、みんな正しいお金の使い方なのね」

「そうだよ」

 やっぱり、この人は金の亡者でも下品な成金でもない。そのことはまちがいなく信じていい。

「でも、あなたがお金に苦労したと知ってなんだかほっとしたわ」

「今もそうさ」

「えっ? そんなふうにはまるで見えないけど」

 キースは真顔になって言った。「僕がヒットを狙って娯楽映画をつくっている理由がわかるかい?」

「わからないわ。ごめんなさい、じつは私、あなたの映画は『エネミー・オブ・エンジェルス』しか見てないの」

「あのときリンジーのおかしな説明を聞いていて、そうだろうと思ったよ」キースはフッと小さく笑った。

 シャロンは恥ずかしさに顔を赤らめながら、「それで、理由はなんなのかしら」とたずねた。

「僕は監督の自己満足のようなアートフィルムがきらいなんだ。父がプロデュースしていたような映画、僕らを貧乏に追いやったような映画がね。だから僕は売れる映画をつくっている。誰もが楽しめる映画を。お高くとまった批評家連中がなんと言おうと」

 そのことについて、私は論評できない。まだ一本しか彼の映画を見ていないのだから。

「かけだしのころに低予算でつくった映画が大ヒットし、メジャーが資金を出してくれるようになった。そこまではよかったが、映画会社のお偉方がいろいろと口を挟むようになった。僕はそれがイヤで、ヒット作が続いたあと、自分の映画会社をつくったんだ。つくりたい映画をつくってはヒットを飛ばし、世界中から注目される映画監督になった。だが、映画づくりは以前にも増して莫大な製作資金が必要になってる。おまけに一本でも興行収入がふるわなければ、大きな赤字だ。いくら資産があっても、安心などできやしない」

「細かいことはよくわからないけれど、映画をつくるって大変なのね」

「まあね。だが、必要なものには金を投じる。その代わり、浪費はしない」

 キースはわざと曖昧な言い方をした。投資の件は、今シャロンに話すことではない。

 一方で、シャロンは「必要なもの」の意味を考えていた。キースは映画のために私を必要としている。でも、このネックレスやドレスは〈映画づくりに必要な私〉への投資ではない。ペントハウスでのキスや私に対するやさしさもお金とは関係ない。キースはさっき、私と出会ったことを「運命めいたもの」と言った。「僕を助けてくれる女性」とも。ああ、はっきりしたものがほしい。私は自分がキースのことを好きだとわかっているのだから。

「不思議だよ」突然、キースが口を開いた。「プライベートジェットに乗るまえもそうだったが、きみといるといつの間にかつっこんだ話をしている。歓迎ディナーに最高の舞台を用意したつもりだったが、台無しにしてしまったな」

「そんなことはないわ。あなたのことがわかってきたもの」

 キースは黙っていた。私のことをじっと見つめている。澄んだブルーの瞳で、有無を言わせないほど力強く。

 と、急にその表情が緩んだ。

「今のきみが本当のきみだ、シャロン」

「え?」

「出会ったときの、どこかオドオドしたきみじゃなくて」

「どうしたの、急に」

「いや」キースは意味ありげにひと呼吸置いた。「とても似合っているよ、そのネックレスも、そのドレスも」


       *


 キースの家に戻り、自室にこもったシャロンはリンジーに電話した。

「私よ、リンジー。お店、大丈夫だった?」

「心配いらないってば。それより、そっちはどう?」

「もういろいろありすぎて。疲れるどころか、今も心が高ぶってる。今夜は眠れないかもしれないわ」

「ちゃんと説明しなさいよ」

 シャロンはめまぐるしい一日を振り返った。すべてが一度に起こったとはとても思えない。

「まず、ルービン教授が私に謝罪して――」

「ちょっと待った!」リンジーはシャロンの口からあの男の名前を聞かされたことに驚いた。心に深い傷を負い、助けを求めて連絡してきたとき以来、その名を聞くのは初めてだ。あたしもそれ以後、努めて口にしなかった。なのにシャロンのほうから……。

「なんであの男が絡んでくるわけ?」

「あなたには言わずにおいたんだけど、最初はルービンが映画の監修をやる予定だったの。でも、キースが事情を知って大がかりなドッキリを仕掛けて、すべてを白状させたうえで私に謝らせたのよ。単にクビにするだけじゃなくて」

「ドル箱監督はやっぱりやることがちがうわね」どんなドッキリだったのか知りたかったが、リンジーは我慢した。「で、それから?」

「ビバリーヒルズで高級ブランドのドレスをプレゼントしてもらって、貸し切りのイタリアン・レストランでディナーをごちそうになった。そして今、彼の家のゲストルームからあなたに電話してる」

「いろいろありすぎて、イメージするのが追いつかないんだけど。でも、シャロンがハッピーでいるってことはわかったわ」

 言われてみれば、今日はあのおまじないのことが一瞬たりとも思い浮かばなかった。

「そうかもしれない。キースに言われたの、今の私が本当の私だって。最初に会ったときみたいに、オドオドしてないと」

 リンジーの胸にぐっとこみ上げてくるものがあった。シャロンが一段と強くなってる。あっさりルービンのことを話したのも、そのせいだ。

「キース・ベイカーって、やっぱりいい男みたいね。あんたを変えてるもの」

「いろいろ話してくれたけど、信じていいと思う。彼のこと」

「絶対に手を離しちゃダメよ。まえにも言ったけど、恋愛は最初が肝心。ふたりで勢いをつけないと」

「がんばってみるわ。もっと深めていきたいの、この関係を」

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