#13 プリティ・ウーマン

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派手な演出の「リベンジ劇」が終わると、キースはビバリーヒルズの高級ブティックに立ち寄り、シャロンにディナー用のドレスを新調する。「きれいだ」というキースの言葉が、決して外見だけを言っているわけではないことに、シャロンは気づく。キースの素顔を、その心をもっと知りたい――。


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 ふたりを乗せたSUVは、ビバリーヒルズの高級ショッピング街〈ロデオドライブ〉に到着した。一直線に伸びた通りにはパームツリーが立ち並び、低層の建物が軒をつらね、その背景にはカリフォルニアの抜けるような青空が広がっている。あたり一帯が光を浴びて白く輝き、シャロンはかつて味わったことのない開放感に浸っていた。

「素敵なところね」

「ちょっと人工的にすぎるが、そもそもロサンゼルスは砂漠だったからね。僕はそんなこの街がきらいじゃない」

 シャロンは故郷のヤングスヴィルを思った。こことはまるで表情のちがう緑の土地。でも、砂漠にだって植物は生息している。雨の多い熱帯にも植物が育つし、気温が低くて土地のやせた高山にだって草花は生きている……。シャロンの頭のなかでは、色も形も大きさもちがう植物が次々に現れては消えた。

 物思いに耽っているあいだに、車が止まった。

「着いたよ、シャロン」

 キースの言葉に、シャロンはわれに返った。言われるがままに車を降り、キースと並んで通りを歩く。〈ルイヴィトン〉〈グッチ〉〈シャネル〉〈プラダ〉。次々と現れる高級ブランドショップを目にして、シャロンは自分がここにいることを場ちがいに感じていた。

「私たち、どうしてここを歩いているの?」

「決まってるだろう、きみのドレスを買うのさ。今夜のディナーのために」

「ここに私に似合うようなドレスがあるとは思えないわ」

「以前にシャネルやプラダのドレスを着たことがあるのか?」

「いえ、ないけど……」

「だったらわからないじゃないか。もっと自分に自信を持つんだ、シャロン。植物の話をするときのように」

 それとこれとは話がちがう。

「いい服というのは単に値段が高いだけじゃない。着ることで、その人の中身を変える力だってあるんだ。逆にみすぼらしい格好ばかりしていると、心までみすぼらしくなってしまう。ばかりか、その人の顔つきや性格をも変えてしまうんだよ」

「私がみすぼらしいと言っているの?」

「そうじゃない。きみが理由もなく高級ブランドのドレスを拒絶するからさ。似合わないと思う理由など、何ひとつない」

 どうしてこんな言い争いをしているんだろう。やっぱり住む世界がちがうからだろうか。

「きみはお金を持つことが、贅沢をすることが、悪いことだと思っているのか?」

「そういうわけじゃないけど」

 シャロン言葉を最後に、ふたりのあいだに沈黙が降りた。

 どうしてキースの好意を素直に受け入れないの? 彼は出会ってからこれまで、何ひとつ私にイヤなことをしていない。下心も悪意もまるで感じなかった。私にしたいと思うことをしてきただけ。たまたまお金を持っているから、それが私の目には派手に映るだけだ。本質を見るのよ、シャロン。

「あなたの言うとおりかもしれない。試していないことを、試すまえから拒否するのはまちがっているわ」

 キースの眉間のしわがすっと消え、表情がやわらかくなった。

「わかってくれたか。それでいい」

 広がる笑みに、シャロンも笑顔で応えた。


       *


「じつによくお似合いですよ」

 店員の言葉にかすかに照れながら、シャロンは鏡に映る自分を見つめていた。黒のロングドレスに身を包んだ目のまえの女性。これが私なの?

「シャロン、いつまで監督を待たせるんだ」冗談めかしたキースの陽気な声が聞こえてくる。

 試着室から出ると、キースがうしろに手を組み、足をやや開いて立っていた。シャロンを目にしたとたん、その表情から笑みが消え、まるで品定めでもするかのような真剣な面持ちに変わった。

「どうかしら?」

 キースは無言のまま、しばらく真顔でシャロンを見つめていた。予想外の反応に店員の顔つきがこわばり、シャロンも落胆し始めたそのとき、ようやくキースは口を開いた。

「やはり僕の言ったとおりだ。きみはもう変化している」

「自分でも別人みたいな気がして……」

「いや、きみの表情や姿勢が変わったと言ったんだ。そのロングドレスがきみと化学反応を起こした。隠れていたきみがちょっとずつ現れ始めているのさ」

 そういうことを聞きたいんじゃない。化学反応? 似合っていないのなら、正直に言って。

「今のは映画監督しての意見だ。僕個人の感想は」キースの顔がほころぶ。「とてもきれいだよ、シャロン」

「よかった」シャロンは安堵のため息をついた。

「そのネックレスも黒のドレスとじつによくマッチしているよ。完璧だ」

 ふたりのやりとりを見て、店員もようやく表情を崩した。「あまり見かけない色合いとデザインだけれど、おっしゃるとおり。いいアクセントになっていますわ」

 あまり見かけないんじゃなくて、世界にひとつしかない。キースが私のためにつくってくれた唯一無二のネックレス。

 あらためて謝意を示そうと、シャロンはキースに向かってその手をそっとネックレスにあてた。

 キースは小さくうなずき、「きれいだ」とつぶやいた。


 その後、ドレスに合う靴とバッグを買い、ふたりを乗せたSVUは〈ロデオドライブ〉をあとにした。

「あなたがさっき言ったこと、少しわかってきた気がするわ。服が着た人の中身を変えるって」

「自分でも変化がわかったのかい?」

「なんとなくだけど。少なくとも、最初に通りを歩いていたときに感じた居心地の悪さはなくなった」

「マンハッタンの自分の店にいても〈ロデオドライブ〉を歩いていても、きみ自身は何も変わらない。だが、高級な店ばかりが並んでいるから、それによって自分自身を見失ってしまったんだよ。きみはどこにいようときみだ。あのドレスがそのことを教えてくれたのさ」

「なんだか情けないわね、私。服に頼らないと、自分でいられないなんて」

「人間とはそういうものだよ。もっとも、権威づけしたり虚栄心を満足させたりするためにいい服を着る浅はかな連中も多いがね。でも、きみはそういう人じゃない。僕の推測はまちがっているかい?」

「まちがっていないと思う」

 シャロンはキースのことがますます好きになった。おじいちゃんは「ハリウッドにろくな人間はいない」と言ったけれど、キースの心は汚れていない。どんなにお金を持っていても、それに毒されていない。

「素敵なドレスをプレゼントしてくれてありがとう」

「いや、礼を言うのは僕のほうだ。いろいろと僕のやり方に付き合わせてしまっているからね。でも、本当にきれいだったよ」


       *


 ビバリーヒルズにあるキースの家は、豪奢ごうしゃな邸宅だった。大きな門を抜け、緑のトンネルをしばらく走ると、中央に噴水のある広場へ。その奥の車寄せの先に階段があり、さらにその向こうに柱廊のある二階建ての屋敷が建っている。

「すごいわ」シャロンは思わず口にした。

「驚くのは今だけさ。しばらくはここがきみの家になるんだからね。滞在中はここに泊まってもらうよ」

 てっきりホテル住まいになるのかと思ってた。ということは、ロスに滞在するあいだ、ずっとキースといっしょにいられるんだ、朝も夜も。

 黙り込んでいるシャロンに、キースが思わずたずねた。

「どうした、イヤなのか? そういうことなら、すぐにホテルを手配するが」

「そうじゃないの。あまりにも立派すぎて、言葉が出なかっただけ」

「よかった。ホテルのペントハウスじゃなきゃダメだと言われるのかと思ったよ」キースが冗談めかして笑う。

「そんなわけないでしょ」シャロンはキースの腕を軽くたたいた。「ここのほうがずっといい」

 あなたのそばにいられるんだから。


 屋敷のなかに入ると、ヒスパニック系の若い男に出迎えられた。

「お手伝いのディエゴだ。家族といっしょに住み込みで働いてもらっている。ディエゴ、こちらはシャロン・メイフィールドさん」

「こんにちは。ベイカーさんからお話はうかがっています。何かありましたら、遠慮せずに私に言ってください」

「しばらくお世話になるからよろしくね」

 シャロンの挨拶に、ディエゴは白い歯を見せて応えた。口ひげを蓄えているけれど、人懐っこそうな顔つきをしている。彼が世話役を務めてくれるなら、ホテルよりずっと居心地がよさそうだ。

「ディエゴ、シャロンを部屋にお連れしてくれ」キースが命じた。

「承知しました、キースさん。屋敷内もご案内しましょうか」

「ああ、頼むよ。僕は仕事部屋にいる」

 ディエゴに連れられ、シャロンは二階のゲストルームに通された。広々とした部屋にキングサイズのベッド、ソファ、ライティングデスクが配されている。大きなクローゼットのスライドドアは鏡張りだ。ディエゴが部屋の奥のドアを開けると、そこは大理石張りの浴室とパウダールームになっていた。

「ホテルのスイートみたいだわ」

「ゲストルームのなかでもいちばんいいお部屋です。キースさんは誰でもここに泊めるわけではありません」

 ディエゴの視線を感じ、シャロンは気恥ずかしさを覚えた。

「あなたが特別な方だとおっしゃっていました」

 その後、ディエゴの案内でシャロンは邸内をくまなく見てまわった。いくつものゲストルーム、シンプルで洗練されたダイニングにリビング。地下には座席が三十近くあるシアタールームまであった。プールのある中庭を歩いているとき、シャロンはディエゴに聞いた。

「キースはどんな人なのかしら」

「とてもやさしい方です。最初は私ひとりでここに来ましたが、家族がいると知ると、キースさんは全員呼び寄せてもかまわないと言ってくれました。家まで用意してくれて」

 ディエゴが指さした先には、こじんまりした平屋があった。

「もともと物置か何かに使っていたみたいですが、改装して住居にしてくださったんです。アメリカに来て五年になりますが、あんなに親切な人には出会ったことがありません」

 シャロンの顔に自然に笑みがこぼれた。安心した。やっぱり心のやさしい人なんだわ。

「でも正直、不思議なんですよ。必要だと判断したものには惜しまずお金を使うのに、ほかのお金持ちのように絶対に浪費はしないんです。私は食事もつくりますが、キースさんの好物、知ってますか?」

「いいえ、知らないわ」

「タコスです」

 意外だった。ペントハウス、プライベートジェット、高級ブランドのドレス、そしてこの豪邸。何から何まで、セレブそのものだったのに。

「ここに来る途中、〈ロデオドライブ〉で私にすごく高価なドレスを買ってくれたのよ。私は最初、渋ったんだけど」

「必要だと判断されたんです」ディエゴはにこりとした。「ドレスも、あなたも」

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