#09 明かされる過去

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キースがシャロンを呼んだのには、もうひとつ、大事な理由があった。パーティでルービンと話した際、シャロンが教え子であることを認めながらも、その言葉に棘があったからだ。キースがルービンのことを尋ねると、シャロンは思い返したくない「過去」を打ち明ける。


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 キースはジントニックを軽く一口飲むと、やや間を置いてから口を開いた。

「じつは昨日のパーティに、コーネル大学のグレン・ルービン教授を招待した。植物学の権威として、次回作の監修をお願いしようと思ってね」

 そこで言葉を切り、シャロンの様子をじっとうかがう。

 そのまなざしを避けるように、シャロンはうつむいた。この話がしたかったのだとすると、もう何か知っているんだわ。だったら隠してもしょうがない。

「ルービン教授は大学院時代の指導教官です」

「やはり知り合いだったか」

 キースはグラスを口につけ、ジントニックを少しだけ口に含んだ。

「いや、きみのコンテナガーデンを話題にしたとき、教授の物言いがやけに刺々しかった。それに、名前こそ口にしなかったが、見かけたきみのことを遠まわしに詮索してきてね。過去に何かあったのか?」

 シャロンは唇を噛んだ。あったも何も、あの男のせいで私の人生の歯車は大きく狂ってしまった。結果的にそれでよかったのかもしれないけれど。でも、どこかでやさしさを渇望していた私の心につけ込み、満たすどころかズタズタにしたことは絶対に許せない。

「私はもともと研究者になるつもりでした。でも、教授によってその夢が打ち砕かれたんです」

 悔しさと怒りがこみ上げる。そんな心中を察したように、キースがそっとシャロンの手に手を重ねた。

「最初はとてもやさしくて、相談にのってくれたり励ましてくれたりしました。私は父親といい関係にはなかったので、そんな教授に理想の父親を見ていたのかもしれない。その思いはやがて恋心に変わって、教授もそれに応えてくれました」

「つまり、男女の関係になったと」

 シャロンは小さくうなずいた。

「でも、一夜をともにして以降、急に態度が冷たくなりました。それまでのやさしさは消え、学外で会いたいと言っても、いろいろな理由にかこつけて拒絶された。ところが、私が一本の論文を提出したのを機に、また会ってくれるようになったんです。食事に誘われる機会も増えました。話はたいてい論文の研究内容についてだったけれど、それでも私はうれしかった」

 シャロンはそこでしばらく黙り込んだ。キースは急かさなかった。

「それからしばらくして学会があり、私も出席しました。そのとき、教授はある発表をしたんです。私が論文で書いたことを、そっくりそのまま。後日、教授を非難すると、こう言われました。私が発表するから注目され、価値が認められる。むしろ感謝すべきだと。私は頭に血がのぼり、学長に訴えると脅しました」

「でも、そうできなかった。なぜ?」

「教授はノートパソコンのキーをたたき、画面を私に見せました。ベッドに横たわる私と教授の写真が大写しになっていました。そして教授は言ったんです。きみは悪い学生だ、女を武器に教授をベッドに誘い込んでは、いい評価をつけるようにおねだりすると」

「あの男っ!」キースは握りこぶしを壁に強くたたきつけた。シャロンは静かに泣いていた。

「翌日、私は大学院を自主退学しました」

 シャロンは心のなかで〈ビー・ハッピー〉と叫んだ。ビー・ハッピー、シャロン! そして涙をぬぐい、笑みを浮かべて言った。

「でも、そんな私を高校時代の親友が救ってくれた。リンジーです。彼女のおかげで新たな人生が見つかったし、こうしてあなたとも出会えた」

 キースはシャロンを抱き寄せ、耳もとでやさしく言った。

「よく話してくれたね。きみは誰よりも強い女性だよ」


       *


 胸の奥底に隠し続けてきた過去を打ち明け、涙を流したことで、シャロンは心が洗い流されたような清々しさを感じていた。もうステファニーのことを気にする必要もない。眼下には、見慣れた風景が広がっている。私をやさしく包み、育んでくれたかけがえのない場所。

「緑の絨毯じゅうたんとはまさにこのことだ。ロスとはまるでちがう」

「森林公園も多いんです」シャロンが自慢げに言う。その様子を見て、キースはいかにシャロンがこの土地を誇らしく大事に思っているかを悟った。

「きみはおじいさんの家によく行くのか?」

「誕生日には毎年。子どものときから大学に行くまで、祖父の家にいたんです」

 キースの心に不安の影が差した。やはりここはシャロンにとって特別な場所なのだ。だがこの緑の下には、この国最大規模と言われるガス田が広がっている。

「わからないものだ」キースはつぶやいた。

「え?」

「いや、この地下に巨大なエネルギーが眠っていると誰が想像しただろうと思ってね」

「シェールガス」

「知っているのか?」

「当然です、この土地の人間なら」

「先のことを考えれば、重要な資源さ」キースはあえてそう言ってみた。

「私にとっては」シャロンが語気を強める。「環境破壊の元凶でしかない」

「これは手厳しいね」

 キースは小さく笑ってみせた。増幅する不安を抑えこもうと、自分に「まだ考え直す時間はある」と言い聞かせながら。

 やがて機体が着陸態勢に入り、ふたりはシートベルトを締めた。

「プライベートジェットの旅は快適だったろう?」雰囲気を変えようと、キースは明るく言った。

「とっても。もうエコノミーには戻れないかもしれない」シャロンが笑う。

「言ったろう? 人はすぐに慣れると」

 その言葉に、シャロンの笑みがゆっくりと消えていく。この飛行機から降りれば、またもとの世界に帰っていく。せっかく慣れたと思ったら、もうおしまいだ。そして、キースとも……。

 不意の沈黙に、キースはシャロンの胸の内を察した。

「近いうち、また連絡する。ルービン教授の件も僕に任せてほしい。きみの悪いようにはしない」安心させるように、キースはシャロンの手を握った。

 あたたかくて、力強い手。このぬくもりが、私をやさしく包んでくれる。父親もルービン教授も与えてくれなかったものを、この人は惜しみなく与えてくれる。

 この人なら信じても大丈夫だ。きっと。


       *


 シャロンを降ろし、ロスへ向けて機体がふたたび上昇し始めると、キースはスマートフォンを手にした。

「フィッシュか」

「キース、今どのあたりだ?」

「じきにペンシルベニアを抜ける」

「了解。ステファニーのお世話、ご苦労だったな」

「なんてことはないさ。おかげで、神の恩寵おんちょうを信じられるようになった」

「ずいぶん仰々しいな。何があった?」

「いずれ話すよ」

 そこで言葉を切ると、キースのゆるんでいた表情がにわかに硬くなった。

「で、別件で頼みがある。監修を頼んだルービン教授だが、一度くわしく調べてほしいんだ」

「パーティで会ったんだろう?」

「ああ。だがどうも裏の顔があるらしい。学生との関係を洗ってくれるか」

「おいおい、まさセクハラとか言うんじゃ――」

「その線が強い。というより、確実にひとりは犠牲者だ」キースの顔がいっそう険しくなった。

「参ったな。表沙汰になったりしたら、映画に悪影響が出かねない。わかった、探偵に調べさせるよ」

「とにかく急いでくれ」

「すぐ手配する」

 キースは通話を終了させると、二杯目のジントニックを啜った。おそらく、被害者はシャロンだけではないだろう。余罪がぞろぞろ出てくるはずだ。

 調査結果がどうあれ、ルービンは切る。絶対に。

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