#08 機上でのサプライズ

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 ロサンゼルスに戻るプライベートジェットにシャロンを招いたキースは、装花のお礼にシャロンにダイヤモンドとサファイヤのネックレスをプレゼントする。そこに込められた「意味」をキースから聞き、シャロンは心を震わせる。


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「それにしても、話って何かしらね」

 客の応対を終えたばかりのリンジーが首を傾げた。ちょっとした旅支度を整え、シャロンはレジのうしろに座っている。今リンジーが口にした疑問は、シャロンもずっと気になっていた。

「まさか、『僕と付き合ってくれ』とか?」リンジーがからかう。

「よしてよ」口では否定しつつ、どこかで淡い期待を抱いている自分がいる。

「でも、もしそうだとしたら、あのステファニー・リーヴァが黙っていないわね。想像しただけでも、ぞっとするわ」

 そう言いながら、リンジーは店の奥へと消え、トイレのドアが閉まる音がした。

 そのとき、店のまえに黒塗りのリムジンが停まった。運転手が降りてきて後部座席のドアを開け、なかからキースが姿を現した。

「おはよう、シャロン。準備はできてるかな」

「あ、はい。いえ、ちょっと待ってください」

 シャロンは奥へと退き、トイレのドアをたたいた。

「リンジー、キースが来たわ。あなたが出るまで待ってようか?」

「大丈夫よ、すぐ出るから。いってらっしゃい、シャロン。報告、楽しみにしてる」

「わかった。じゃあ、行ってくるね」

 店先へ戻るシャロンを追いかけるように、背後からリンジーの大声がした。

「ベイカーさん! シャロンをよろしくお願いしまーす!」

 キースはフッと笑うと、大声でそれに答えた。

「了解した、リンジー。昨日は最高だった。心から礼を言うよ!」

「こちらこそー!」

 キースは笑みを残したままシャロンに顔を向けると、「きみの友人はユニークだな」とささやいた。「それに友達想いだ」

「すみません、品がなくて」シャロンは照れくさそうに小さく笑った。

「よし、じゃあ行こう」

 キースは手の合図で運転手を呼びつけ、シャロンの小型のキャリーケースを運ぶよう指示した。

 運転手付きのリムジン。シャロンは別世界のなかへ足を踏み入れようとしている自分に少し戸惑った。置かれている状況がよくつかめないまま、ドアを開けてくれた運転手の横を抜けてリムジンに乗り込む。車内が広々としているとはいえ、これだけの空間に有名な映画監督と、キースとふたりきりになるのだ。これはいったいどういうことなんだろう? とりあえず心のなかで「ビー・ハッピー、シャロン」と言ってみる。鏡のむこうで笑っている自分が見えて、ちょっとだけ心が落ち着いた。

 仕切りを開けて待っている運転手に、キースが「テターボロ空港へやってくれ」と告げた。

「え? ジョン・F・ケネディ空港では……」

「そうか、まだ伝えていなかった。うちのプライベートジェットで送っていく。昨日、おじいさんの家はペンシルベニアのヤングスヴィルだと言ったね。近くに空港があるから、そこできみを降ろす。ヤングスヴィルまでは車で三十分ほどで行けるよ。どのみちレンタカーを使うんだろう?」

「そうですけど」

「じゃあ、問題ない。エコノミーよりはるかに快適なフライトになる」

「でも、チケットが無駄に」

「花の代金に上乗せしておく」

「いえ、そういう意味じゃなくて」

「いいんだ。僕が誘ったんだから、僕のやり方に任せておけばいい」

「わかりました」

 有無を言わせず、押し通す。これが売れっ子映画監督のやり方なんだろうか? 

 だが、シャロンは悪い気がしなかった。むしろ、心地よく感じていた。


       *


 あっという間に搭乗手続きが済んでしまったことにシャロンは驚いた。ドアを開けるとそこはもう滑走路。プライベートジェットがいくつも駐機している。最高クラスのペントハウス、運転手付きの高級リムジン、そして今度は自家用飛行機。これまでの人生でまったく縁のなかった別世界が、ひとつまたひとつと目のまえに開けていく。

「うちの社有機だ」キースが指をさした。その先には、ひときわ輝く白い機体があった。それを見て、シャロンの足がふいに止まった。

「どうした?」キースが振り返る。

「いえ、チャーターかと思っていたので」

「ハリウッドじゃめずらしくもないよ。まあ、費用対効果というやつさ。撮影やプロモーションで、国内はもちろん世界中を飛びまわるからね。その都度チャーターしていたら、かえって高くつく」

 シャロンはしばらく黙っていたが、笑みを浮かべて言った。

「正直、戸惑ってるんです。なんだか別世界に入り込んでしまったみたいで」

 キースはシャロンのほうに歩み寄った。

「その気持ちはわかる。僕だって映画で成功するまえは、ごくふつうの暮らしをしていたからね」

 そこで言葉を切り、真顔でシャロンを見つめた。

「だが、これも現実なんだ。別世界なんかじゃない。扉はいつも開かれている。そしていったんそのなかに入ってしまえば、人はいとも簡単になじんでしまう」

 その口調には、いつものキースの言葉とはちがう重い響きがあった。心の奥底から、何か秘められたものが噴き出てきたような感じがした。

「きみと僕はこの数日、同じ空間を共有してきた。僕はきみに期待し、きみはそれに応え、今はこうしていっしょにいる。別世界も何もない。そうだろう?」

 キースはようやく硬い表情を崩した。

「妙な立ち話になってしまったな。スタッフが待ってる。さあ、早く乗ろう」

 キースに力強く手を引かれるまま、シャロンはふたたび歩き始めた。

       

〈エコノミーより快適なフライトになる〉

 キースが言ったとおりだった。

 ふつうの旅客機にくらべれば機内が狭いけれど、まるで座り心地がちがう。こんなにリラックスして飛行機に乗るのは初めてだ。急上昇を始めると、やはり重力が胃の底に重くのしかかってはくるけれど、今日はそれほど不快に感じない。

 上空に達して機体が安定すると、キースはシートベルトを外し、ジャケットの内ポケットから細長の箱を取りだした。

「すばらしい仕事をしてくれたお礼だ」

「え、こんなことしてくださらなくても」

「いいから。黙って受け取って」

「でも、私ひとりもらうわけには……」

「リンジーにはボーナスを出す。心配しなくていい。さあ、開けて」

 ネックレスだった。銀のチェーンに、暗褐色の大きめの石のまわりを小さい黄色の石が囲んだヘッドがついている。

「これって……ひまわり」

 キースの顔に大きな笑みが広がった。

「そのとおり。ブラウンダイヤモンドにイエローサファイアさ。きみの瞳に合うようにつくってもらったんだ。じつは打ち合わせをしたあと、すぐに頼んだんだよ。いい仕上がりになると確信してね。宝石店の人間には時間的に無理だと言われたが、映画をつくっていればそんなことは日常茶飯事だ。不可能を可能にさせることができなければ、監督は務まらない」

 キースがネックレスを手に取り、チェーンの両端を持ってシャロンの首にまわす。フックをかけるときに、その手がシャロンの首筋に軽くふれた。

「いいね。派手すぎないところがきみによく似合う」

 ネックレスをすることはもちろん、男の人にネックレスをつけてもらうことも初めてだ。こんなにやさしい扱いを受けることも……。

「ありがとう、キース」

 すると、キースが笑った。「ようやく二度目だ」

「なんのことですか?」

「キースと呼んでくれたのが二度目だと言ったのさ」

 シャロンは顔を赤らめた。これだけの人をファーストネームで呼ぶには勇気がいる。でもさっきはうれしさのあまり、つい口をついて出てしまった。

「僕に近づいてくる人間のなかには、会ってすぐに『キースと呼んでもいいか』と言ってくる連中が少なくない。取り入ろうとする魂胆が見え見えだから、わざとダメだと言ってやるがね。でも、きみには僕のほうからキースと呼べと言ったんだから、気づかいをする必要なんてないんだ。わかったね、シャロン」

 私だってキースと呼びたい。呼びたいだけ、何度でも。もう遠慮するのはよそう。

「わかりました、キース。でも、ほかの女性にこんなプレゼントをしてかまわないんですか」

「どういう意味だ?」

「その……恋人のステファニーさんがこころよく思わないんじゃないかって」

「ステフが恋人だって? 誰がそんなことを言ったんだ」

「リンジーが噂になってると」

 キースは笑った。

「ゴシップ誌のガセネタだよ。まあ、ガセがあるから世のなかが窮屈にならないことは認めるがね。ステフはただの友達、それ以上でも以下でもない」

 ただの友達。心を覆っていた薄靄うすもやがすっと晴れていき、小さな笑みがこぼれた。

「いい笑顔だ。では、本題に入ろう」

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