#07 「まさか」の交錯
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植物学の権威グレン・ルービンは、キースから次回作の監修を頼まれ、パーティにやってきた。だが、会場でかつての教え子の姿を目にし、「なぜ、あの女が?」と心中、穏やかではない。一方、パーティを盛況のうちに終えたキースは、シャロンを翌日のランチに誘う。
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今すれちがったのは、シャロン・メイフィールドではなかったか。なぜあの女がこんなところに?
グレン・ルービンは、新たな世界へと足を踏み入れるこの記念すべき日に疫病神でも見たような気になり、晴れ晴れとした気分が一瞬にして台無しにされたことに腹を立てた。ハリウッドを代表するヒットメイカーに「次回作で監修を務めてほしい」と二日まえに打診され、こうして人気女優の誕生パーティに招待されたというのに。
「ルービン教授」
キースに声をかけられ、ルービンは眉間のしわをほぐして品のいい笑みを繕った。
「これはベイカー監督。いや、じつにすばらしいペントハウスだ。さすがは押しも押されぬ映画監督、演出に妥協がない。人気女優の誕生パーティにこれ以上ふさわしい会場はないでしょう」
キースは給仕に目で合図を送って呼びつけ、トレイからマティーニのグラスを二つ取ると、ひとつをルービンに渡した。
「まあ、高くはつきますがね」キースは笑って、ルービンをペントハウスの奥へと誘った。
「
「と言うと?」
キースがコンテナガーデンを指し示すのを見て、ルービンの頭のなかでは疑問の霧がすうっと晴れていった。
なるほど。シャロンが大学院を退学したあと、風の便りに研究者の道をあきらめたとは聞いていた。で、さきほどあの女は〈リンジーズ・ガーデン〉とプリントされたエプロンを付けていた。花屋になったとは、じつに落ちぶれたものだ。
「今しがた、見るからに場ちがいな女性とすれちがったんだが」
「場ちがいな女性?」
キースはそう口にしたが、すぐにシャロンのことだと気づいた。
「ああ、あの女性ですね。この会場の飾り付けを担当してくれたフラワーショップの店員ですよ。じつにいい仕事をしてくれた。どうです、このコンテナガーデン。いいと思いませんか」
ルービンは不愉快だった。いいと思いませんか、だと? こんなものは、たんなる植物の寄せ集めにすぎないじゃないか。
とは思いながら、心のどこかでそのよさを認める自分がいて、それが余計にルービンを苛立たせた。
「まあ、インテリアとしてはこんなものでしょう。しかし、植物を研究するものとしては複雑な思いもあります。人間のエゴによって、こんなふうに意味もなく寄せ集められた植物のことを思うとね」
巧みな言葉で胸の内を隠したことに安堵した瞬間、つい「所詮、落ちこぼれの手慰みだが」と漏らしてしまった。
「落ちこぼれの手慰み?」
「いやいや、こちらの話です」
ルービンは自分と監督とのあいだに割り込んできたシャロンの存在が気になり始めていた。いったいどういう関係なのだ? シャロンも私のことに気づいたはずだ。もしふたりが売り手と客以上の間柄なのだとしたら、あの女は要らぬことをしゃべるかもしれない。
「ところで、監督はどうしてまたあんな店員に装花を頼んだんです? あなたはロスのお人だし、マンハッタンには星の数ほど花屋がある」
キースはルービンの物言いが気になっていた。先日会ったときには紳士然としていた。なのに今日は、言葉に棘がある。それに、さっきぽろっと口にした「落ちこぼれの手慰み」とはなんだ? シャロンのことを遠まわしに詮索してくるのも引っかかる。
「運命、あるいは神の思し召し」キースは故意に仰々しく答えた。すると、ルービンの目もとにほんの一瞬、変化がきざした。そこに浮かんだのは、困惑というより嫌悪に近い。やはり、何かある。
「つまり、偶然ですよ」キースが笑う。
ルービンは顔の緊張が緩むのを感じた。偶然なら最初からそう言えばいいものを。何が「運命、神の思し召し」だ。一瞬、恋仲にあるのかと勘ちがいしたじゃないか。くだらん映画ばかりつくっているくせに、芸術家を気どるんじゃない。
「いったい何をおっしゃってるのかと思いましたよ。ドラマティックな物言いは、映画のなかだけにしてください」
「これは失礼、まあ職業病だと思ってください。でも、教授はなんだか花屋がおきらいのようだ」
「そんなことはない。私だって、花束を買って妻にプレゼントすることもあるんです。それより、次回作の話でもしましょう。私は偶然選ばれた花屋とはちがう。手前味噌にはなるが、植物学の権威として学術的な見地から助言させていただきますよ」
「頼もしいかぎりです」
キースはふくらみ続ける疑心を押し隠して言った。
*
「お疲れさま!」
二つのワイングラスがぶつかり、アパートのリビングにカチンと鳴り響いた。ガラスが発する無機質な音なのに、大きな仕事をやり切ったあとには心が癒されるから不思議だ。シャロンはナパ産の高級白ワインを口に含み、じっくりところがした。
「格別な味だわ」
「安物とのちがいはよくわかんないけど、美味しいことはたしかね」
リンジーはそう言って、二口目で残りを一気に飲み干した。
「リンジーにもあのペントハウス、見せたかった」
「準備のときに写真で見たからいいって」
「実物はまったくちがうのよ」
「ステファニー・リーヴァも実物はちがったしね」
シャロンはペントハウスを去るときに見たステファニーの姿を思い浮かべた。
「ペントハウスで見せたあの笑顔と拍手、やっぱり真逆の意味だったのかしら」
「そう言ったでしょ。そうに決まってる。あたしたちをお払い箱にできて喜んでたのよ。とくにシャロンを。キース・ベイカーはあなたに肩入れしてたというか、あたりがやわらかかったじゃない。目のまえで自分の男がほかの女にやさしくしたら、誰だっていい気はしないわよ」
パーティのあと、あのふたりはどんな夜を過ごしたんだろうか。
「あのね、リンジー。じつはひとつだけあなたに報告してなかったことがあるの」
ルービンがいたことを除いて。
「キスしてくれたの、あの人」
「あの人って、ステファニー・リーヴァが?」
「ちがう、キースよ」
「ええ!」
リンジーは二杯目をそそいだワイングラスを乱暴にテーブルに置くと、ぐっと身を乗り出した。
「口に? その、舌を――」
「そんなんじゃないわ。頭に、やさしく」
「なんだ」
リンジーは興味を失い、ソファの背もたれにどすんと身を預けた。
「でもね、キスされたときにはっきりわかったの。キースのことが好きだって」
「ようやく認めたわね。でも、キース・ベイカーはどういうつもりなのかしら。遊びのつもりなら、もったいぶらずに口にキスするだろうし」
首を傾げるリンジーをよそに、シャロンの意識は心の奥へと向かった。あの人は、私の瞳のひまわりに気づいていた。それも、おそらくは出会ったときから。だから最初に目と目が合ったときに、瞳の奥底まで射抜かれるような力強さを感じたんだ。
でも、私はどうすればいいの?
そのとき、シャロンのスマートフォンが鳴り響いた。キースだった。
*
「もしもし」
「その声はシャロンだね。ショップカードに携帯の番号が載っていたのでかけてみた。お礼が言いたくて」
店のカードには、シャロンのスマートフォンの番号も載せてあった。リンジーの折りたたみ式携帯電話よりスマートフォンのほうが何かと便利だろうと、ふたりで話し合って決めたことだった。
「今、大丈夫か?」
「ええ」
「きみたちのデコレーションはゲストにも大好評だったよ。ステファニーは『悪くない』と言っていたが、見たかぎりでは満足している様子だった」
「それはよかった。リンジーにも伝えておきます」
「ぜひそうしてくれ。ニューヨークの知り合いや友人にも、きみたちの店を推薦しておくよ」
「ありがとうございます」
シャロンはリンジーに向かって「出る?」というジェスチャーをしてみせたが、リンジーは首をすばやく横に振ってから、もっと話せと手振りで返してきた。
「ところで明日の午後にロスへ戻るんだが、きみと話したいことがある。ランチでもどうだろう」
キースには会いたい。でも、明日はダメだ。
「明日から二日間お休みして、祖父の家に帰る予定なんです。せっかく誘っていただいたのに、ごめんなさい」
「それは残念だな」
キースの声に落胆がにじんでいた。しばらく無言が続き、シャロンはキースの言葉を待った。
「おじいさんの家はどこ?」
「ペンシルベニアのヤングスヴィルというところです。十一時の飛行機に乗ります」
ふたたび沈黙が降りたあと、キースの力強い声が返ってきた。
「よし、それじゃ機内で話そう」
「え? でも、ロス行きの便じゃ――」
「とにかく、明日の午前中に迎えにいく。店のほうでもかまわないか?」
「大丈夫です。一応、お店に寄ってから出かけるつもりなので」
「オーケイ。それじゃ、そういうことで」
そこで電話が切れた。
*
電話を切ると、キースはすぐに電話帳をスクロールし、副社長フィッシュの番号をタップした。数回の呼び出し音が聞こえたあと、「フィッシュだ」という声がした。
「投資の件でちょっと確認したいんだが、場所はペンシルベニアだったな」
「ああ、それがどうした」
「ペンシルベニアのどこかわかるか」
「手もとに資料がないから、細かいところまではわからない。だが、たしかブロークンストロー飛行場の近くだった気がする。自家用機専用の小さい飛行場だ」
「ブロークンストロー飛行場だな。助かった」
「それだけか?」
「今のところは」
キースは電話を切ると、すぐに画面をタップしてインターネットにアクセスし、「ブロークンストロー飛行場」と入力して検索をかけた。結果が現れ、トップでヒットした飛行場のサイトを開く。そして「アクセス」の項目をタップすると、周辺地図が現れた。
「まさかとは思ったが……」
キースは顔をしかめた。
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