#03 ハリウッドの寵児

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〈リンジーズ・ガーデン〉にやってきた男女は、ハリウッドを代表する映画監督キース・ベイカーと人気女優ステファニー・リーヴァだった。シャロンは胸の高鳴りを抑えられない。一方のキースも、シャロンの特徴ある瞳が忘れられないのだった。


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 シャロンとリンジーはふたりでシェアするアパートに戻ると、オンデマンドでキース・ベイカーの最新作『エネミー・オブ・エンジェルス』をレンタルした。先ほど店に現れたステファニー・リーヴァが主人公の女性科学者を演じるアクション大作だ。ひとり息子とともにテログループに拉致され、ロサンゼルスへの大規模なバイオ・テロ攻撃に手を貸すよう強要されるなか、退官を控えたベテランFBI特別捜査官の協力を得てテロリストたちを壊滅させるというストーリー。世界中で大ヒットした話題作だが、シャロンはまったく知らなかった。

「小学生のときにレンタルビデオで見た『E.T.』以来、映画には縁がないの。E.T.が植物学者だって知ってた?」

「知らないわよ」

 その会話を最後に、ふたりはテイクアウトのチャイニーズをつつきながら映画に見入った。やがて、チキンの蒸しソバや海鮮の炒め物がなくなり、ポップコーンの山が姿を消す。代わりに、バドワイザーの空き缶が四本立ち並んだ。

「おもしろかったわね。ステファニーって女優、映画のなかだといかしてるわ。実物は気に入らないけど」

 リンジーはコーヒーを淹れるためにキッチンへ行った。シャロンはじっとクレジットロールを見つめている。

「あの人がこの映画をつくったのよね」 

 シャロンはひとり言のように言った。脳裏にキースの顔が浮かび、抱きとめられたときに感じたぬくもりがにわかによみがえってくる。

「どこか女性に対する優しさみたいなものを感じたわ」

 マグカップをふたつ手にしたリンジーがソファに戻ると、「そこがキース・ベイカー作品の特長なの」と解説を始めた。

「ほかの映画もそうなんだけど、いつも女を主人公にするのよ。もちろん役柄はいろいろなんだけど、みんな強いというか、たくましいんだよね。過酷な状況にもめげずにサバイバルして、傷ついた男を助けたりなんかして。あたし、キース・ベイカーはマザコンだとにらんでるんだけど」

 おそらく、そうじゃない。シャロンは心のなかでリンジーに反論しながら、あの力強いまなざしを思い返していた。

「じつはね、抱きとめられたときにあの人と目と目が合ったんだけど、なんだか心の奥まで見られたような気がしたの。そのときの感覚が、映画を見ていたらときどきふっと沸いてきて。あんなふうに男の人に見られたこと、今までに一度もなかったわ」

 すると、リンジーの顔にいやらしいまでの笑みが広がった。

「そういうことだったのね。だから〈ブルーム&スタイル〉から戻って来たとき、のぼせたみたいにぼうっとしてたんだ。でしょ、恋煩こいわずらいのシャロンちゃん」

「そんなんじゃないわ」

 否定はしてみたけれど、正直自信がない。 

「うれしいなあ、植物オタクの友人が恋に目覚めてくれて」

 リンジーはにやにやしながら言ったが、その笑みはすぐに消え失せた。

「でも、やめときなさい。相手はただの優男じゃなくて、あのキース・ベイカーなのよ。あたしたちとは住んでる世界がちがいすぎる。おまけにあのステファニーっていう性悪女がくっついてるんだから。女にはやさしくても、女を見る目がないのよ。たしかにいい男ではあったけどね」

 リンジーはコーヒーを啜り、「詳細はそのときに」とキースの声色をまねて、ひとり笑いした。

「明日、また来てくれるんだよね」

 そう口にしたとたん、シャロンの胸がまたざわめいた。期待めいたものが膨らみかけ、それを押しとどめようとする力が働く。心の動揺をどうすることもできない。

「またぼうっとしたら、承知しないから。仕事は仕事。しっかりやるわよ」

「わかってる」

 明日もう一度彼に会えば、この複雑な気持ちの正体がはっきりするかもしれない。


       *


 ステファニーをマンションまで送ったキースは、滞在先の〈フォーシーズンズ・ニューヨーク〉に戻った。フロントに立ち寄り、クラークに声をかける。

「ひとつ頼みがあるんだが」

「おかえりなさいませ、ベイカー様」

「明日の朝までにペントハウスの間取り図と室内の写真を用意してもらいたい」

「四日後にパーティ用として予約を承っております。まちがいなくご用意いたしますので」

「写真はペントハウスの全体がわかるよう、できるだけ枚数を頼むよ」

「承知いたしました。お任せください」

「よろしく」

 その後、自室のエグゼクティブ・スイートに戻ると、バーでジンライムをつくった。グラスを手にして、窓外に広がる夜のマンハッタンを眺める。街灯以外、セントラルパークはすっぽりと闇に埋もれている。陽の光を浴びていないと、そこに都会のオアシスがあることはまったくわからない。

 あのとき、差し込んだ照明の光で鮮やかに浮かび上がったひまわりのように。

「シャロン・メイフィールド。瞳にひまわりを持つ女……」

 キースはひとりごち、ジンライムを飲んだ。食虫植物について話し始めたときの彼女は、それまでとは別人のようだった。自身に満ち、内面からほとばしるような生気にあふれ、輝きを放っていた。ひと言で言えば……そう、美しかった。ステファニーとはちがった意味で。

 スマートフォンの着信音が鳴り、物思いは中断した。ジャケットのポケットから取り出すと、ディスプレイにはキースの映画会社〈マジック・モーメント〉の副社長フィッシュ・フォードの名が表示されている。

「どうした、こんな時間に」

「悪いな。いま話しても大丈夫か」

「ホテルに戻った。ひとりだよ。何かトラブルでも?」

「いや、例の件の報告をと思って」

 フィッシュはキースの右腕とも言うべき存在で、実務面の責任者。ふたりは肩書きこそ社長と副社長だが、互いに腹を割って話すことのできる相棒どうしの関係にあった。

「新たな投資先だが、やはりプランBが有望だという結論に至った。話を進めてもかまわないか?」

 キースはしばらく考えたあと、口を開いた。

「有望という点に異論はないが、対象が対象だけに、どうしてもリスクが気になる。政治といっしょで、世論はショービジネスでは致命傷になりかねない」

「おいおい、待ってくれ。何も犯罪に加担しようとか違法行為をしようとか、そんな話をしてるんじゃないんだぞ。健全な投資、しかも社会のためになる話をしてるんだ」

「だが、快く思わない人間もいる」

「それは否定しないが、ごくごく一部だろう。雑音にもならない」

「今の時代、小さな火花がいとも簡単に大火災になる。〈アラブの春〉を見ろ」

「話が飛躍しすぎだよ、キース。それに子会社を通して投資するんだから、きみの名前が表に出ることもない。心配するな」

「そうだといいが」

 キースはしばらく黙り込んだ。フィッシュがまちがいを犯したことは過去に一度もない。彼の判断には全幅の信頼を寄せている。だが、今回ばかりは何かが引っかかる。

「ハリウッドにだって、すでに投資してる連中はいるんだ。杞憂だよ。話を進めるぞ」

 その言葉に押し切られるように、キースは重い口をようやく開いた。

「わかった。ただし、ストップをかける可能性はゼロじゃない。そのときは当然、社長命令がすべてに優先する」

「了解した。ミスター・プレジデント」

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