#02 予期せぬ訪問

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動揺しながらシャロンが店に戻ると、その後を追うように、先ほどの青い瞳の男が、ひと目でセレブとわかる女性を連れて現れた。なにか理由があるらしい。


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 この感覚はなんだろう?

 〈ブルーム&スタイル〉から戻るあいだ、シャロンはそのことばかり考えていた。有無を言わせないような、あんな力強い見つめられ方をしたことは一度もない。それに、抱きとめられたときに感じた、言いようのないぬくもり。リンジーにハグされたときの感触とは明らかにちがった。助けてもらったとはいえ、見ず知らずの異性の胸のなかで、どこか心地よさめいたものを感じたのはなぜだろう……。

 ふと顔を上げると、目のまえにリンジーがいた。

「おかえり。どうだった?」

「人でいっぱい。でも、おしゃれなインテリアのお店みたいだった」

「それから?」

「うちとはまるでちがってた」

「で?」

「私たちには私たちのよさがあると思う」

「それはよかった。で、お客さんは?」

「たくさんいた」

「そうじゃなくって。カードは配ったのかって聞いてるのよ」

「配ってないわ」

 シャロンの気のない返答にリンジーはがっかりした表情を見せたが、すぐに怪訝けげんそうな目つきになった。

「ねえ、なんかぼうっとしてない? どうしたのよ」

 自分でもわからない……。

 シャロンは小さくため息をつき、何も言わずに店の奥へと向かうと、トイレに消えた。


「悪くないな」

 突然の声にリンジーは振り返った。店の入り口に男と女が立っている。

 この人、もしかして……。まさかとは思いつつ、いつもの営業スマイルをさっと浮かべると、「どうぞなかへ」と明るく声をかけた。

 キースが店内を見回しながら、ゆっくり奥へと向かう。

「壁も見えないほどの緑と色鮮やかな花。フラワーショップはこうじゃないと。そうだろ、ステフ」

「まあ、アップルストアには見えないわね」

 連れの女が抑揚のない声で答え、サングラスを外した。

 女の素顔を見て、リンジーは奮い立つような興奮を覚えた。このふたり、まちがいないわ! 平静を装っていつもどおりの笑顔を繕うと、ゆっくりあとずさりながら体の向きを変え、そそくさと奥のトイレへ向かう。そしてドアをノックしようとしたそのとき、扉が開いた。シャロンがトイレから出ようとするよりも早く腕をつかみ、ぐいと引っ張る。

「シャロン、緊急事態よ。とんでもないお客さんが来た。しっかり接客するわよ」

 ふたりが店先に戻ると、キースがレジのあるカウンターに置いてあったハエトリソウを楽しそうにいじっている。人の気配に気づいたらしく、「これも売り物なのか?」と顔を上げた。

 次の瞬間、キースとシャロンの瞳が交差した。

「やはりここにいたね」

「先ほどはどうも……」

 和らいだ表情を浮かべたキースとほのかに頬を染めたシャロンの顔を交互に見て、リンジーは思わず「えっ、まさかの知り合い?」と漏らした。

「〈ブルーム&スタイル〉で転びそうになったときに、助けてくださったの」とシャロン。その続きを、キースが引きつぐ。

「そのときにカードを落として、一枚だけ拾い忘れていった。で、僕はあの店の花が気に入らなかった。だからここに来たってわけさ」

 キースは右の人差し指と中指で挟んだカードを楽しそうに振ってみせた。

 リンジーに脇腹をつつかれ、シャロンは親友のほうに顔を向けた。目が大きく見開かれ、何かを訴えようとしている。

 そんなふたりにかまうことなく、キースが続けた。

「じつはパーティ会場の装花をどこかに頼もうと思っている。それで〈ブルーム&スタイル〉を覗いてみたんだが、僕の趣味には合わなかった。評判どおり、たしかに美しく洗練されてはいるが、あまりに人工的すぎる。こちらに訴えかけてくるものがない」

 そしてハエトリソウの鉢を持ち上げ、「僕はこういうのもきらいじゃないんでね」と笑った。

「まあ! 私も『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』が大好きでなんです。さすがにオードリーⅡはご用意できませんけど」

 リンジーは自分のジョークに得意げな笑みを浮かべ、キースの反応を待った。

「全然つまんないわ」とステファニー。

 すると、シャロンが口を開いた。

「食虫植物の形状はとてもユニークなんです。ハエトリソウが属するディオネア属、つぼ型の葉っぱを持つウツボカズラ属、すみれのような花を咲かせるムシトリスミレ属。いろいろな種類があって、食虫植物だけをアレンジしたら、とてもユニークなコンテナガーデンができると思います」

 なめらかな言葉の奔流に、聞き慣れない用語に、何より生き生きとしたシャロンの表情に、ほかの三人は一瞬呆気にとられた。だが、すぐにリンジーはわれに返り、シャロンの言葉を通訳する。

「つまり、当店では豊富な知識とデザインセンスに優れたスタッフが、お客様のどんなご要望にもお応えできるということです。私が生花担当のリンジー・コンクリン、こちらが鉢物担当のシャロン・メイフィールド。どうぞよろしく」

「ありがちな売り文句ね」

 ステファニーがまるで興味がなさなそうにサングラスをかけ直す。だが、キースはフッと小さく笑ってから、「気に入った」ときっぱり言った。

「きみたちにお願いすることに決めたよ。明日、もう一度くる。詳細はそのときに」

 

 ふたりが出て行くと、リンジーはもう興奮を隠さなかった。

「あの人、映画監督のキース・ベイカーよ。聞いたでしょ、ハリウッドの寵児ちょうじがウチを選んだのよ。もう信じられない!」

「そんなにすごい人なの?」

「あらやだ、売れっ子も売れっ子よ。シャロンったら、植物以外のことになるとなんにも知らないんだから」

 あのとき感じたオーラめいたものは、そういうことだったのか。それに、あの瞳の力強さも……。

「でも、やっぱり噂は本当だったわね」

「噂って?」

「いっしょにいた女、人気女優のステファニー・リーヴァ。恋人って言われてるのよ。たしかに美人だけど、性格は最悪」

 恋人……。シャロンはどこか落胆している自分に気づいた。そういう雰囲気だった。売れっ子監督に人気女優。お似合いのカップル。

「興奮したら、急にお腹が減っちゃった。ちょっと早いけど、今日は店じまいよ」

 リンジーが店先に出て、生花を店内に運び込む。シャロンはただ立ち尽くしていた。ついさっきまで胸のあたりでふわふわしていた何かが、重くお腹の下に沈んでいく。

「シャロンったら、片付けるの手伝いなさいよ。ほらほら、ぼうっとしない!」

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