【漫画原作】太陽の瞳をもつ娘と億万長者の恋 ― Lost in Your Eyes ―
スイートミモザブックス
#01 交差する視線
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ニューヨーク、マンハッタンのフラワーショップ〈リンジーズ・ガーデン〉で働くシャロン・メイフィールドは、店のオーナーで親友のリンジーに促され、人気のライバル店へ視察に出かけた。店内は想像以上の混雑。客の波に揉まれ、バランスを崩して倒れかけたそのとき、客らしいひとりの男性に抱きとめられた。「大丈夫?」。ふたりの視線が交差した瞬間、声の主の紺碧の瞳に驚きの色が宿る――。
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鏡のなかの自分を、シャロンはじっと見つめる。
メイクは薄く控えめで、ファンデーションの奥にうっすらとソバカスが透けて見える。でも肌はまだまだみずみずしい。二十七という年齢の影も一日の仕事の疲れも、そこにはまったく見あたらない。
「ビー・ハッピー、シャロン」
そうつぶやき、口角を無理に上げて笑みをつくる。鏡のなかで、もうひとりの自分も笑っている。
リンジーが教えてくれたささやかなおまじないだった。落ち込んだり、気分がふさいだり、気持ちが乗らなかったりしたとき、トイレにこもってこのまじないをする。効果てきめんとは言えなくても、それ以上に悪くはならない。
たとえカラ元気だって、ないよりはいい。
トイレを出ると、リンジーが椅子に腰かけ、鉢植えのハエトリソウの葉をいじっていた。ボールペンで虫を捕らえる葉の内側を刺激し、生きた貝のように閉じるさまをぼうっと眺めている。
「見れば見るほど不思議よね。これでも植物だっていうんだから」
そのハエトリソウは、売り物ではなくシャロンが持ち込んだものだった。生きるためなら虫さえ捕まえ、栄養源にしてしまうたくましい植物。その強さがシャロンは好きだった。
「やめてよ、オモチャじゃないんだから。そうやって葉を閉じるだけでも、かなりのエネルギーを使うの。可哀想でしょ」
「だってヒマなんだもの。あの店さえオープンしなきゃ、この〈リンジーズ・ガーデン〉にだって仕事帰りのお客さんがいておかしくないんだから。この時間にお客がひとりもいないって、どういうことよ?」
この日は、一年まえにこのマンハッタンで開業して一躍人気店となったフラワーショップ〈ブルーム&スタイル〉二号店のオープン日。場所は〈リンジーズ・ガーデン〉から通りを挟んだ斜め向かいで、百メートルも離れていない。客がとられるのも、無理はなかった。
「私だって不満よ。だからあなたが教えてくれた元気の出るおまじないをしてきたんじゃない。あなたがふてくされてて、どうするの」
「あれ、やってくれてたの?」
リンジーは立ち上がり、シャロンの両肩をぎゅっとつかんだ。
「ここに来たばかりのときは泣き虫だったくせに。ずいぶん強くなったね……」
リンジーらしくないしんみりとした口調に、シャロンは戸惑った。たしかに、あのころよりちょっとは強くなった。この無二の親友が支えてくれなかったら、今の私はいなかったかもしれない。
と、リンジーの表情がぱっと明るくなった。
「いいこと思いついた! あの店を偵察してきなさいよ。ついでにお客も捕まえてきて」
「そんなの無理よ。というか、ルール違反だし――」
「つべこべ言わないの」
リンジーに背中を押されるがまま、シャロンは店の外へ追い出された。
「わかったわかった、行くわよ。でも、偵察してくるだけだから」
シャロンは〈リンジーズ・ガーデン〉とプリントされたエプロンを外し、リンジーに渡した。受け取ったリンジーが、代わりに店のショップカードを握らせる。
「営業も忘れずに」
悪魔のような笑みを浮かべたリンジーに見送られながら、シャロンは気乗りしないまま競合店へと向かった。
「もう、リンジーったら」
振り返ると、能天気な親友が楽しそうに手を振っていた。
*
〈ブルーム&スタイル〉の店内は、多くの客でごった返していた。
だが、それ以上にシャロンを驚かせたのは、フラワーショップとは思えない内装だった。白を基調としたプラスティックの壁は格子状に仕切られ、壁の背後に隠された蛍光灯によってうっすらと白い光を放っている。仕切られた矩形スペースのうち、ところどころがディスプレイとなっていて、アレンジされた花が展示されている。花は同系色でまとめられ、どうやらプリザーブド・フラワーのようだ。
シンプル、かつスタイリッシュ。エコの時代にあえて挑戦したような、無機質の空間。
たしかに、注目される理由はある。
でも、これがフラワーショプ?
店の奥には趣きのちがったスペースがあるようだったが、あまりの人の多さにそこまではたどり着けそうもなかった。人ごみをかき分ける気力もない。
シャロンは右手に握りしめたショップカードを見ながら、出口へと向かった。
この混雑のなかでカードを手渡して自分の店を売り込むなんてできない。第一、ルール違反だ。リンジーだって、自分の店で同じことをされたら怒鳴り散らすに決まっている。
突然、人の波でうしろからぐっと押された。バランスを崩してまえによろけると、今度は右足が誰かの足にひっかかる。シャロンの体は倒れそうな勢いで前方に
ああ、神様!
だが、気づいたときには誰かの胸のなかにしっかりと抱きとめられていた。体をかばおうと無意識にせり出した両の手から、がっちりとした胸の筋肉とぬくもりが伝わってくる。両肩には力強い手の感触。
「大丈夫?」
頭の上から聞こえてきた男の声に、シャロンははっとわれに返った。体をちょっとだけ離して、声がしたほうへ顔を上げる。
肩まで無造作に伸ばしたブロンドの髪。力強く通った鼻筋。そして、南国の海のような透き通ったブルーの瞳。
「す、すみません」
シャロンはつぶやくように言い、紺碧の瞳を見た。と、その目もとに変化が走ったかと思うと、いっそう力強く見返してくる。
なんなの、この目力は? まるで全身をわしづかみにされているようだ。
シャロンは慌てて目を伏せた。
「ねえ、キース。いつまでそうやってるつもり?」
冷や水でも浴びせるような女の声に、膝をついて抱き合うような格好をしていたふたりはようやく立ち上がった。
「おかしなことを言うんじゃない。この女性に失礼じゃないか」
キースは腕組みをして立っている連れの女性をたしなめると、シャロンに向き直って声をかけた。
「本当に大丈夫? どこか痛んだりしないか」
「いえ、なんともありません」
シャロンはキースと呼ばれた男の顔を見たが、すぐにうつむいてしまった。足首を痛めてもいないし、どこにも擦り傷はつくっていない。ただ、胸のあたりがざわついているだけ。
「きみは運がいい。倒れ込んだ相手がこの女性だったら、何を言われていたかわからないからね。『痛いじゃない、あたしを誰だと思ってるの』とか。そうだろ? ステフ」
「全然つまんないわ」女は愛想なく言った。サングラスをしているせいもあって、マネキンのように表情がない。
いつの間にか、人だかりができていた。シャロンは慌ててあたりに散らばったショップカードを拾い集めた。
「助けていただいて、本当にありがとうございました。おふたりのお邪魔をしてしまったみたいで、なんだかごめんなさい」
そう言って、もう一度だけ男のほうに目をやった。ふたたびブルーの瞳に吸い込まれそうになる。視線を外すと、その全身にオーラのようなものが漂っているようにも感じられた。
「じゃ、お元気で」
場ちがいな言葉を残し、シャロンは逃げるようにしてその場から立ち去った。
*
「あなた、おかしかったわよ」ステファニーはキースに声をかけた。「女優の卵でも見つけたみたい」
「そんなんじゃない」
キースの心のなかは、女優の卵を見つけたときよりもはるかに高ぶっていた。
まちがいなく、さっきの女性はひまわりの瞳をしていた。腕のなかで彼女が顔を上げたとき、その目に店舗の照明が差し込んだ一瞬、はっきりとひまわりの模様が見えた。まさか、またひまわりの瞳を持った女性に出くわすとは……。
「あら、忘れ物みたい」
ステファニーが路上に一枚だけ残っていたショップカードを拾い上げると、キースは奪うようにして取り上げた。「フラワーショップ〈リンジーズ・ガーデン〉」と印字され、住所と電話番号が載っている。
「ここの近くか?」マンハッタンに住むステファニーにカードを見せた。
「近くというより目と鼻の先」
目と鼻の先だって?
「ステフ、きみは運命が存在すると思うか?」
「運命? さあ、どうかしら。でも運命を信じるって、結局は夢を見ることでしょ。で、私もあなたも夢を売ってる。それで答えになってる?」
「そうだな。よし、行こう」
「行くってどこに?」
キースは〈リンジーズ・ガーデン〉のカードを振ってみせた。
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