弁論の自由

@minatokumin

第1話 女子アナを守護らねばならぬ

 先に言っておくと、報道機関に関係のある不祥事ほど報道機関自らが強く非難すべき、というのが基本的には持論である。


 例えば芸能人の不倫や犯罪といった不祥事があったとき、擁護に回るコメンテーターやタレントもいる。メディアが個人を攻撃する姿自体を批判するような意見が一定数あらわれる。根本的な主義主張は概ね同意というか、理想を言えば「罪を憎んで人を憎まず」を社会全体で共有できれば良いと思う。そもそもメディアは何でも叩き過ぎじゃないかとも常日頃から思っている。

 ただし、政治家や犯罪者など芸能人以外も強く批判する姿勢をとっている現状の報道機関については、その姿勢とのバランスとして、芸能人など身内寄りの人間を擁護するのはよろしくないだろう。つまり、内側に対しては外側よりも厳しくしておかなければいけないということだ。

 本来的に言えば、私人でしかない芸能タレントの私プライベートを覗くべき根拠などない。報道の自由の建前が強いのは政治や犯罪についての情報が国民の生活秩序にかかる重要情報だからであり、芸能人のプライベートは犯罪でない限りこれに当たらない。それでも芸能スクープというグレーな踏み込みが平然と許容されていること自体、芸能界というものがマスコミにとって身内だからという点に尽きる。マスメディアで食っているからマスメディアを盛り上げるためのネタにもされ、不祥事があれば見せしめを食らう。

 政治家の不倫には散々文句をつけておいて同業者の不倫は擁護するなど、そういうコメンテーターや番組は信用されないはずだ。彼らは身内にこそ厳しくなければならない。むしろ身内に厳しくしておくことで、いざというとき他人に厳しく出られるのである。


 しかし、身内である芸能人がそうしたリスクを負っている一方で、報道機関自体やその実際の構成員の不祥事は誤魔化そうとする風潮もある。芸能人は捨て駒にする割に、報道業界という本当の身内には甘いように思える。

 例えば黒川検事長の賭け麻雀問題では、その麻雀自体が朝日・産経新聞記者らによる接待であり、つまり報道機関から誘ったものだったはずである。しかもその記者らのうちの一人が文春にタレコミしたもので、取材源を売るという記者としてもゴミな部類である。その記者らのことはほとんどスルーしたまま平然と検察を非難していた。

 ちなみにその賭けレートは一晩あたり1~2万程度、飲み代のおごりを賭けている程度のレベルであり民間ならまず不起訴になるものだった。これは皆やっているからグレーとかいうことではなく、賭博罪を罪とする根拠(保護法益)が労働軽視の予防であるから、生計にかかわらない額の遊びには違法性が無い。賭け事というキーワードだけで世論を扇動していただけだ。実際その記者らは不起訴となった。

 ところが一方の黒川氏だけは起訴されたのだから、明らかに見せしめである。つまり検察や裁判所はちゃんと身内を不当なレベルで起訴して司法の権威を守ろうとしたのだ。だというのに、報道はその記者らの実名報道さえしなかった。

 よく逮捕者が報道されるが、逮捕段階では有罪か無罪か不明の段階であるのに、ほぼ犯罪者のように実名報道がされる。しかも不起訴や無罪になってもその頃には大衆の関心が別に移っているから、訂正はちゃんと報道されない。そうした人生を終わらせるだけのリスクを私人に負わせている癖に、身内の名前は出さない。しかも民間報道業界全体、競合他社でも実名を秘匿する程度に業界同士で庇い合う生ぬるさだ。

 これでは信頼を担保できないのであり、そういうわけで冒頭の持論なのである。国民の信頼を得る必要が高い立場にある報道機関において、身内に対してこそ生ぬるい姿勢をとるのはよろしくない。

 

 そこで最近あった報道機関の不祥事といえば「フジ女子アナのステマ疑惑」である。

 フジテレビのアナウンサー数人が表参道のとある美容室およびその系列店で無料サービスを受ける見返りに、宣伝協力として店のSNSに自分の写真が投稿されることを許可していたことが、ステマではないか?などの物議を醸した。

 発端となった『週刊文春』の報道は約2か月半前のことであるが、6月3日から5日の間に9人のアナウンサーが各自の持つインスタグラムアカウントを久しぶりに更新し、反省の言葉を並べたことで再び注目を集めた。

 まあ察するに最初の報道があってから会社の指示でしばらくSNS禁止とされていて、それが解かれてのSNS復帰にあたって一応のコメントを添えただけなのだろう。各自には特に深い意図もなかったが、これに今度は「反省が見えない」とか粘着されてしまったと。

 

 冒頭の内容で誤解されたかもしれないが、私は女子アナの味方である。本件においてもそうだし、あらゆる状況において私は女子アナに味方する。世界中を敵に回しても女子アナが好きだと叫ぶ者である。

 報道機関の不祥事は原則として厳しく報道されるべきというのが私の信条だが、もちろん例外がある。女子アナは守護らねばならぬ。


 例えば人気女子アナが仮にイケイケの大手広告代理店社員と身体的にズブズブしていたとしよう。そんな話はもちろん聞きたくはない、百害あって一利なしだ。何なら報道されるまでもなく実際はそうだろうなと予想は付いてはいるが、聞かないにこしたことはない。

 私は別に処女厨などではないが、朝のテレビで一日頑張るための活力を貰う上で、女子アナたちは設定上処女だということにしておいてほしい。朝の間だけそういう設定にしておこうじゃないか。夜の対極が朝なのだから、朝は性欲ゼロの穏やかな世界ということにすべきではなかろうか。

 つまり女子アナはイメージを守ることが優先、などと言いたいわけではない。もっと単純に、守護らねばならぬということだ。何せ女子アナは処女なのであり、社会人にもなって処女なんて頭の中がお花畑に決まっているのだから、そりゃあやらかしもするだろう。そんな子を叩いても誰も得をしない。謝罪を求めるよりも、彼女らの成長を応援すべきだろう。自分でも何を言っているのかよくわからないが、そうやって我々の頭の中のお花畑を守護らなければならぬ。


 だからこそ誤魔化すのもよくはないのだ。強く非難するのもよくないが、なかったことにしようとするのも違う。そういうズルい大人みたいな事をしてはいけない。朝から視聴者とじゃんけんするとか、そういうお遊戯会みたいなノリを守ってきたのだから、優しさと正しさの中になければいけないのである。視聴者にややこしい感情を与えないようにしてほしい。


 ようやく本題に入るのであるが、つまり今回の「女子アナのステマ問題」について、何が悪かったのかをはっきりさせた上で、私は擁護りたいのである。

 簡単な結論から先に述べると、そもそも今回の件は「ステマ」としての問題性が低い。というかステマというのは妥当じゃない。どちらかというと「闇営業」に近く、会社と社員の契約違反の話である。少しややこしいので、叩いている人たちも具体的に何が悪いかよくわかっていないと思う。


 まずステマとは何か。

 「ステルス・マーケティング」の略語であり、簡単にいえばヤラセの広告ということだ。

 例えば、仮に私が人気インフルエンサーだとして、とある小説をすごく面白かったとSNSなどメディア上で紹介したものの、実際にはその小説の出版元からお金を貰って宣伝を頼まれただけなのに、そうした素振りを見せずに紹介していたとする。その場合、私の愚かなファン共は私が「自発的に紹介している」と思っているので、”私の感性への信頼込み”でその小説に興味を持つことになる。つまり、「宣伝広告ではないという誤解」を利用して購買意欲を誘導しているのである。

 お金を貰って喋ったことなら雇い主に有利なことばかりを言う可能性が高く、そういう意見はあまり信頼されにくい。一方、お金を貰わず自発的に喋ったことなら、本音で語っている意見として信頼されやすい。そこで、本当は前者なのに後者を装うと、広告効果が上がるということになる。

 このような「宣伝ではないかのように装う」宣伝がステマなのである。流行っているかのように見せかけるためにサクラを用意するとかもステマだ。昔から様々な方法でずっとやられていたことが、一定範囲でまとめられて意識高そうな名前がついたというだけである。


 このステマだが、とりあえず違法ではない。それに世の中はおそらくステマだらけでもある。現実主義者は何を今更と言うだろう。

 だが問題は大いにある。そういった広告を野放しにされている状況というのは、広告とそうでない表現との区別がつきにくい社会だということである。あらゆる表現への信頼が損なわれる。

 例えば今私が女子アナを守護りたいとか投稿しているのも、実は私が女子アナとズブズブしている人種だからじゃないかとか思われてしまう。そうだったらいいが、違うので惨めだ。あるいは好きなゲームを掲示板で褒めただけなのにステマ扱いされるとかウザいことが多々起こる。信じてもらえないし、人の事も信じられない。ステマが横行すると社会全体が損をするのだ。

 ステマは社会に出回る情報全般の信頼を損なうものであり、倫理的に問題があるのは明らかで、一定の規制もされるべきではあるだろう。


 ただし、こうした「違法ではない問題行為」というのは法律上の定義がないため、定義が論者によって恣意的にもなる。批判したい人は広くステマ扱いするし、擁護したい人はステマの範囲を狭く捉える。

 特に今回の件はかなり広く、というよりほとんど誤解でステマ扱いされている。


 まず従来のステマ問題の典型例は、テレビ局やタレント事務所など会社主導で行われるケースだ。会社の契約として依頼主から報酬を得て、社員がそれに従って宣伝をしたのであれば、それは純粋な営利目的である。これを広告としての素振りを見せずに行えば当然にステマと言えよう。

 しかし、有名人など個人として行われるものは少し線引きが難しくなる。

 有名人というのは服を着るだけでもそのブランドの宣伝になり、飲食店を訪れればそれが店の宣伝となる。望むと望むまいと日常生活が何かの宣伝となってしまう、いわば歩く広告。それでいて会社と違いそれは人間の意思決定だから、宣伝する意図も複合的になる。どこからNGとすべきかが難しいのだ。


 例えば、有名人が店に入ると色紙や壁にサインを求められることが多々ある。そして店側はファンだからとかサインを貰ったからとかで、会計をまけてくれたりタダにしてくれたりもするだろう。

 このサインというのは、別にその店が気に入ったとか関係なくファンサービスとして応じる人は応じる。気に入ったからといって「サイン書いてやるよ」と自分から言い出すような根っからのスターは昨今だと少数派だろう。だがこのサインが店に飾られることで有名人のお墨付きみたいにも見えるし、店がそのように振る舞うこともよくある。

 結果でみれば、このサインは宣伝広告である。経験上宣伝に利用されることも知っているし、サインと引き換えに割引されることもある程度期待してはいるだろう。見せかけの宣伝に協力に対価が生じていて、その認識もしているわけだ。

 じゃあサインを断るべきかというと、SNSで悪口を書かれるかもしれないなどイメージ商売として難しい。そこで会計での割引を断るべきというのも一つのポリシーとしてアリだとは思うが、それはそれで有名人に不利なルールとなる。サインや写真を求められたりの私生活におけるデメリットは我慢して、サービスされたりのメリットは全て捨てろというのは、現実的に見て厳しすぎる意見だ。そうする人のポリシーは尊いが、スタンダードにすべきかというと合意しかねる。

 そしてどのみち、このくらいは許してやれよと思うのが多数派だろう。私が言いたいのは、有名人の私生活領域においては、単純な定義だけで「問題行為」や「ステマ」としての評価まではできないということだ。

 「宣伝」と「対価」について1か0かだけの条件で定義された「営利広告」は、必ずしも「ステマ」と呼ぶべき問題にはならないのである。

 

 ならば、具体的な態様から検討すべきである。

 その検討の指標としては、ステマの何が問題なのかを基準とすべきである。ステマの本質は表現の社会的信用毀損であるから、一番重要なのは「ヤラセかどうか」だろう。つまり見た人に真実を誤解させることが一番の問題性なのだ。


 その点で言うと、本件にそうした誤解を誘導するような要素はなかった。 

 その具体的な態様としては、件の美容院は9人の女子アナたちのSNS上の写真を転載した上で「このヘアカットをしたのはウチです、○○という手法を使っています」「この艶すごいでしょ?ケアしているのはウチです」「このパーマいい感じでしょ?ウチです」というような旨の投稿を多数していて、そうした投稿を自由に行うことを一括許可する対価として、彼女らの利用料を毎回無料としていた形である。つまり女子アナたちが自らのSNSで美容院を宣伝したり評価を述べたりするような方式ではなく、その美容院が「この髪はワシが育てた」的な主張をすることを予め許可しただけである。

 美容院の宣伝広告となるのは美容院側のSNS投稿であり、一連の的な投稿について嘘や誇張は無い。女子アナたちは無料パスという対価を貰っているわけだが、「彼女のヘアスタイリングをしたのはこの美容院である」「こういう処理をしている」という投稿内容は全て純然たる事実なのである。

 宣伝ではあるが視覚的な事実により宣伝しているのであり、個人の感想とかよりもよっぽど信頼してよい情報である。少なくとも「この髪型にしてほしいな」「同じところで切りたいな」というような消費者の反応に誤解の要素はない。


 無論、広告には明示的な表現内容以外にも副次的な情報が発生する。例えば、それらの投稿は結果的に「この美容院は女子アナ御用達である」という事実も伝える。これ自体も真実ではあるが、「それだけ芸能人などから評価されている凄い店なんだな」というイメージを誘導することになる。しかし女子アナたちには利用料無料という前提もあるから、無料じゃなければ行かなかったのかもしれない。となれば、「女子アナ御用達の凄い美容院」というような、副次的な付与価値イメージには一部瑕疵が生じ得る。


 その点について言うと、少しグレーなところはある。女子アナがというよりも、その美容院のもともともの戦略がステマ的なのだ。

 件の美容院というのは元から多くの有名人のカットを行っていて、同じようにSNSにそれらの写真をアップしてきている。つまり女子アナたちに限らず、おそらく元からテレビタレントは広告利用の代わりに無料というシステムになっていて、これに女子アナたちも参加してしまったという形だ。無料でカットできるという前提ありきで有名人御用達という状態が形成されていて、値段もその付与価値込みで社長のカットは3万と表参道としても高めに設定されている。

 客は有名人御用達だからこそ高めの料金設定でも利用するのであるが、そのインセンティブ自体が有名人割引システムで作られてきたものでもある。

 このやり方自体はたしかにステマ的であるから、これに協力してしまった女子アナはステマに協力したという論理にもなり得る。

 

 ただし、美容院の場合は無料だろうと腕に不満があればその店は選ばないはずだ。カットしてもらってもダサくなるならかえって損をするだけで、その評価基準も女子アナや芸能人となれば一般人よりもシビアだろう。容姿と人気が仕事やその後のキャリアに直結する彼女らにとってヘアスタイルに妥協は許されないものである。

 特に頻繁に利用していた女子アナに至っては利用料換算で90万円分=約30回ほど利用しているというのだから、無料ながらも提供サービス自体には満足もしていたということである。

 つまり、少なくとも「キー局看板女子アナが満足するクオリティのカットを提供している」こと自体にも違いはない。このシステムは5年も前から行われているようで、結果的には5年にわたり何人もの有名芸能人らのヘアカットを担当してきた実績も事実である。

 女子アナみたいなモテカワ女子になりたくて来る利用客らにとって、その店を選ぶ理由としてはそれで十分に思える。「同じようにカットしてほしい」「同じ人にカットしてほしい」というのが意思決定の本質的理由だ。女子アナたちがそのヘアカットに満足もしているならば、やはり消費者にとって不利益な誤解は生じていない。

 そして、結果的には有名人御用達となっている以上、そこで提供されたヘアスタイルも結果的に流行るのだ。流行ファッションというものはデザイナーやインフルエンサーの提案が受け入れられる形で作られるものだから、これをステマというとファッション全般が悉くステマである。このファッション業界の性質を考えると、「モデルに気に入っていないファッションをモデルに褒めさせる」など内心と表示に不一致があるならステマと言うべきで、本人も好んで利用した分にはステマとは言えなくなるだろう。


 そしてそもそも美容院というのはカットモデルなど一般人相手でもタダにするケースが多々ある。それは周知の事実である。むしろちょっとしたカットモデルをタダにする業界で、SNSでの宣伝に利用している常連有名人に定価を払わせるというのもおかしい。計90万円分とか数字を使えば不当な印象にも見えるが、「毎回無料でカットしてもらっていた」と聞いてもあまり驚かない。有名人は無料でカットしているという前提の違いは、「まあ、考えてみればそうだろうな」と思うだけだろう。


 以上のことをまとめると、彼女らは対価を主たる理由としてその店を選択していたわけではないし、女子アナが求める水準のサービスを提供できる店であるのは事実だし、その利用に芸能人割引などが適用されていたであろうことも平均的に予想できたものである。

 写真利用の許可という宣伝協力はしていたが、彼女らがカット自体のクオリティにも満足していたなら、その宣伝は消費者の行動選択を左右する部分に不当な誤解を与えていない。

 消費者心理を歪めていない以上はこれをステマとは評価できないのであり、美容院側が普段からステマをやっているとしても、満足した彼女らが宣伝利用を許可をするだけの行為はステマにならない。

 この問題は、「女子アナによるステマ」ではないのである。


 では、何が問題だったのか。


 とりあえず世間にとって印象が悪かったのは、利用料換算で90万円分など受けた利益の大きさだと思われる。大衆やアンチに反感を生じさせているのは、ステマがどうとかはあまり関係がなく、芸能人割引を存分に利用していた彼女らの姿勢なのだろう。

 断続的で偶発的に訪れた店などから芸能人割引を受けることは許せても、これが女子アナ数名による集団単位での継続的常態的に受ける形となり具体的な数値化もされると印象が異なる。いわば、芸能人が積極的にその立場を利用して過度に得をしているような、カンジの悪い印象になるのである。

 要するにブスや貧乏人の嫉妬である。

 それにこの90万円というのも、そもそもカット代が「有名人御用達」の付加価値込みで高いだけであるから、有名人である彼女らにとっては90万円の利益供与にならない。芸能人というのはファンだからとかで行く先々の会計がタダになるもので、よくある有名人割引を受けていただけのことである。


 一方フジテレビ側としては、これはおそらく契約違反にあたる。

 彼女らの広告契約締結権はフジテレビにあり、会社を通さない営利広告契約を禁止するといった旨が契約書に明記されているはずだ。フジテレビの局アナという肩書と会社のマネジメントを前提に活動するのだから、局アナである限り広告利用権も会社に帰属するのが必然だ。

 今回の件は宣伝広告であることには違いがなく、サインだとか日常的で偶発的なファンサービスなどの結果として広告利用されてしまう場合は別としても、明示的で継続的で対価性のある事前約束に基づいているとなれば広告契約だと評価するほかない。ステマのような社会的悪影響のある行為ではないが、会社に対しては契約違反だから叱られるものである。

 といっても、自分から営業をかけにいったわけではないだろうし、対価も報酬とまでいうべきものではなく、取引相手としても広告内容としても芸人の闇営業ほど会社と具体的な利害対立があったわけでもない。軽微な違反でもある。


 文春などのマスコミはキャッチーさを狙って「ステマ」と飛躍させていて、大衆は芸能人割引が不当だと批判していて、フジテレビは契約違反だから怒っている。

 批判者がそれぞれ問題にしていることが違うため、結局何がどういけないのかわかりにくいのが本件の特徴である。

 だがこれらをそれぞれ具体化してみれば、大した問題ではないのがわかる。ステマにはあたらないし、大衆の批判は今更な有名人への僻みだし、問題なのは会社との契約違反でしかなくそれも軽微だ。

 なんということはない、女子アナに社会人としての自覚がちょと足りなかっただけであり、処女という設定上なら仕方ないで済ませられることだ。タレント気取りで芸能人コミュニティを利用していたら謎の炎上をしてしまっただけである。


 おそらく実態というか女子アナたちの主観としても、対価の方を目的として宣伝に協力したのではなく、宣伝協力によって料金をタダにしてもらうという価格交渉の感覚だったのだろう。察するに、店から写真を使わせてくれるならタダでいいよと言われて応じ、職場の仲間も同じ条件でいいから連れて来てくれと頼まれたとかそういう流れが容易に想像できる。これが客観的には契約っぽくなってしまったわけだ。 


 女子アナ目線に立ってみれば、それなりに擁護ることもできる。

 SNS社会となってから女子アナに求められる容姿への支出が従来よりも上がっているはずであるが、かといって上司ら上の世代は理解が足りないから、そのための予算をちゃんと出してもくれないだろう。女子アナというのは人気女性タレント同等の好感度が求められる一方で、CMなどの稼ぎ方もできず正社員として予算の制約は強い。

 一応、税法上の特定支出控除などである程度は負担を抑えられるが、フリーアナウンサー・タレント・Youtuberなど自営業主の損益通算に比べると、容姿にかけられる費用が少ない。

 ヘアカット代というのは、彼女らとしては切実な問題ではなかろうか。若者の人気がテレビからYoutubeに移っていく中、彼女らができる努力は自分の価値を高める事だけだ。そうして容姿を高めること、SNSで可愛い自撮りをアップすることは彼女らのキャリア形成であり会社の利益でもある。そこに自分の広告力というカードを使って美容院のフリーパスを買ったわけだ。

 

 一見楽そうだし他の芸能人も同じように利用しているものだが、大卒の20代にとって馴れ馴れしい中年店主というのは結構ウザいものだ。

 私も近所のラーメン屋に顔を覚えられていて、頼んでもいない玉子をサービスされる。サービスマウントというか、頼んでもいないサービスをしてくるようになったのと同時に馴れ馴れしくタメ口で話しかけてくるようになってきて、ウザいので通うのをやめた。

 サービスしてもらえるから行くというわけではないだろうし、SNSに投稿する度に胡散臭い自称カリスマ美容師みたいなオッサンから「この髪カットしたのは僕です」とか自己主張されるのはなかなかウザいだろう。件の美容師のアカウントはアイコンからも業界人気取りな雰囲気が滲み出ていて、これはウザいだろうなと思う。


 会社のルールには違反したが、これが立場を利用した受益でしかないように捉えるのは間違いだろう。彼女らなりの日々の努力ともとれる。我々男性視聴者からすれば、それで彼女らのシコリティが高まるのなら一向に構わないものである。可愛くなりたいというのは悪いことじゃないはずだ。

 

 今回の件はむしろ、ステマという漠然とした言葉で禍根を残さないように、報道局が率先して問題を具体化して弁明すべきだろう。

 そして女子アナたちは芸能人気取りで胡散臭い美容師に髪をいじらせたことを深く反省しつつ、自分たちがまだ処女であるという設定をカミングアウトして国民を安心させるべきだろう。

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