「なんか、違うんだよな」




 なんか……凄く、疲れた……。



 職員室へと続く廊下を歩きながら、すでに今日起きた出来事で頭がいっぱいになる。


 入学式では挨拶をとちって、生徒の誘導に出遅れ主任に怒られ、最後には伊藤と暁からの猛攻を受けた。



 教室での進行もいまいちだったし……結局、何一つスマートにこなせなかった。

 


 ここまで何も出来ないのかって、無能さに失望してはこれだけの出来事があってまだ午前中だという事実に絶望する。




 この後も仕事は残っていて。


 はぁ……後何時間この場所に居たら帰れるんだろ。




「るんるんるーん♪ みんな可愛いかったな~」

 



 絶賛憂鬱な気持ちに浸っていたら、ご機嫌なスキップに鼻歌を乗せて一人の教員が隣を通り過ぎていった。



 染められた茶髪に、吹き抜けるような女性らしい可愛い声。


 通り過ぎる際の僅かに香る家庭的ないい匂い。




 愛沢先生か……。




 同じ新卒で今年からこの学校に赴任された同期。


 前に一度、顔合わせで挨拶をしたことがある。



 さっきの演台での挨拶で、後続を務めた女性教員でもあったり。




「あれ……? 春宮先生じゃないですかっ!」




 そのまま直進して欲しかったけど、立ち止まった愛沢先生に声を掛けられる。



 嫌ってわけじゃないけど……なんか、気まずい。




「ああ、どうも」



「今から職員室ですか?」



「そうですね、生徒達は帰れても教員はそういうわけにいかないので……。愛沢先生も職員室ですか?」



「ええ、私も職員室です。せっかくですし一緒に行きましょうか!」




 何でもないかのように自然と隣までやって来て、歩く速度を合わせてくる愛沢先生。


 何かいいことでもあったのか、ニコニコと笑みを浮かべている。



 ……と、一緒に行く流れになってるけど誘い方がスマート過ぎて全然俺とは違う。




「いや~、新入生のみんなすっごく可愛いかったですねぇ……。初々しくて見てるこっちまでそわそわしちゃいました」




 そりゃ会話はするよな……用もないのにわざわざ戻って来たりはしないし。



 お互いがどうだったかの探りを入れに来た可能性はある。




「そう……ですね。初々しいというか、腕白な子が多かった気がします」



「腕白……いい響きですねぇ…。きっと元気でいい子達なはずです。あ~、学校生活が楽しみだなぁ」




 ずいぶん希望に満ちていらっしゃる。


 うらやましいことで。




「どうですか……? クラスの生徒達と上手くやっていけそうですか?」



「もちろんですよっ! 私とあの子達がいれば間違いなく最強のクラスが出来ます! 春宮先生のクラスには絶対に負けませんからっ!」 




 何の勝ち負けかわからないけど、もしかして同期に対する対抗意識があったり?



 ま、それはどうでもよくて……探り合いというなら一つ聞いておきたいことがある。




「あはは、それは恐い。……ちなみに、変わった子とかいました?」




 伊藤と、暁と。


 二人から受けた謎のハメ技、その衝撃は今に至ってまだまだ記憶に新しいとこだけど……ああいう類いの歪な生徒が他にいるのか、是非とも知っておきたい。



 その有無によってはこれからの学校生活が一変してしまいそうな、一教員として死活問題にもなり得る。




「変わった子ですか? うーん……ちょっぴりヤンチャそうな子はいましたけど、少し話してみたらどの子達もいい子そうでしたよ?」



「ええっと、そういうベクトルではなくて……。頭のネジが飛んでそうな、明らかに狂った感じの生徒はいませんでしたか?」 



「あ、頭のネジッ!? あなた生徒に向かってなんてこと言うんですかっ!?」 





 うおっ……いきなり、怒られた。





 しかも、ポンって……。


 ポンって、胸を小突かれた。




「や、今のはただの比喩っていうか」



「例え比喩でもそんなこと言っちゃダメです! 春宮先生って生徒に向かってそういうこと言える先生なんですか!?」




 小突かれた胸がムズムズする……なんだこれはって。




 だけどまぁ、色々と理解もした。



 なるほどね……この人はこういう系か。




「そ、そうですね……すみません。……あっ、そろそろ着きますよ?」




 説教されそうな雰囲気になったので、会話を切って職員室へと逃げ込むことにする。



 今日はもういい……これ以上は止めて欲しい。

 



「あぁ、ちょっと待ちなさい! 春宮先生、待ってくださいっ!」




 年下から待ちなさいなんて初めて言われたよ。



 愛沢先生か……、熱いな。





――――(🖤)――――





「何とか、今年も入学式を無事終えることが出来ました。春宮先生も愛沢先生も、緊張したかと思いますがひとまずはお疲れ様です」




 三人で輪になるように向かい合い、そのうちの一人である学年主任の橘先生がねぎらってくれる。




「お、お疲れ様です」



「こちらこそお疲れ様ですっ!」




 先輩教員を前にして緊張の面持ち。



 特に橘先生の場合は常に評価されてるような視線を感じて、より萎縮してしまう。




「入学式と教室での生徒達との顔合わせと、愛沢先生はいかがでしたか?」



「はい、凄く楽しかったです。あんな大勢の人の前で挨拶するなんて初めてのことでしたし、とてもいい経験になったと思います。生徒達も可愛いくて授業をするのが本当に待ち遠しいです」




 目をキラキラさせながら答える愛沢先生。


 眩しいなぁ……。




「プラス一点、とてもいい感想です。大変よろしい」



「ありがとうございますっ!」




 社交的な笑顔とは思えないほど屈託のない満面の笑み。


 愛嬌があって、こういう人が気に入られるんだろうな……。

 



「春宮先生は……全然でしたね。入学式での挨拶、あれは何ですか? 軽く注意はしましたけど緊張するにしても限度があるはずです」



「あっ……はは、すみません」




 知ってる。




「クラスの方はいかがでしたか?」



「え、えと、そっちの方はばっちりでした! 生徒が凄く可愛いくて、きょ、教師になってよかったなって……」



「はぁ……そうですか」




 愛沢先生が、少し引きぎみにこっちを見ている。



 しょうがないじゃないですか、主任が前にいるんだから。




「愛沢先生と春宮先生もクラスの方で自己紹介は済ませたかと思いますが、一つの区切りとして私達教員の方でも改めて自己紹介といきましょう。まずは主任の私から、次に愛沢先生、春宮先生でお願いします」 



 

 橘先生が目配せして、お次は教員間でも自己紹介の流れらしい。


 ずいぶん前の顔合わせでとっくに済ませてはいるけど、ここでもするのかぁ……。




「1年1組の担任、橘真喜子たちばなまきこと申します。担当教科は国語、加えて今年1年間1年生の学年主任を務めさせていただきます。教師を始めて今年でちょうど20年、愛沢先生や春宮先生からすれば年齢もキャリアも二周りほど上ではありますが、今だに失敗することや判断に迷うことは多々あります。あなた方お二人を指導する立場ではありますが、共に助け合い、共に成長しながら充実した1年間を過ごしていきたいなと思っています。どうか、よろしくお願いします」




 深く頭を下げ、綺麗なお辞儀で締める橘先生。


 洗練されたその様に、ただの自己紹介一つ取って経験の差を思い知らされる。



 社会人だな……。




「かっこいい……」 




 パチパチパチと軽く手を叩きながら、愛沢先生が呟いた。



 自分達新卒からすればこの人が社会に出て初めての上司、これから先お世話になることも学びを得ることも多分にあると思う。


 何となくだけど、こう……橘先生には迷惑を掛けそうな、そんな予感がする。



 そう思いながら、釣られるようにして小さく手を叩いてみる。




「次は私が自己紹介します。1年2組の担任、愛沢由あいざわゆうです。担当教科は社会です。大学を卒業して社会人1年目、何事においても全力で取り組んでいきたいと思います……。モットーは元気っ! 同じ立場で考えて、少しでも生徒の心に寄り添っていけるような、そんな教師になりたいです。今年1年間よろしくお願いします!」




 愛沢先生がぺこりと頭を下げ、橘先生が拍手で労う。



 あれ……なんか、レベル高くないか?

 

 こういう自己紹介求められるの?



 いや困るよ……いきなり自己紹介しましょうなんて言われてこんなノリで…。




「プラス一点、素晴らしい自己紹介です。教員を続けていると思い通りにいかないこと、嫌な思いをすることもたくさんあるかとは思いませが、その気持ちを忘れないように大切にしてください。あなたならきっと良い教師になれますよ」



「あっ、ありがとうございます……嬉しいです…」




 次、春宮先生お願いしますと橘先生が目で伝えてくる。



 若干ながらもしんみりした雰囲気に流されてはくれないかと期待するも、そうはいかないと。


 

 でもまぁ……雰囲気は察したよ。


 ただ自己紹介をするだけではダメらしく、社会人として何か一言求められる。



 前二人を見ていると、そういうことなのだろう。


 郷に入れば郷に従え、そのやり方に習わせてもらう。





「1年3組の担任、春宮響はるみやきょうです。担当教科は数学です。学生時代は勉強ばかりしてきました。経験は乏しく無知な部分は多いですが、勉強だけは無駄に出来るので学業面で貢献していけたらなと思っています。正直言って数学以外のどの教科でも教えられますから、担当教科の先生が苦手で質問に行けなくて……みたいな、そんな生徒にこっそり教えてあげられる影の立役者的ポジションの教員を目指してます。どうかよろしくお願いします!」





「……………」



「うわ……」








 あれ?



 拍手の音が聞こえてこない。


 


 えぇ……。





「……何ですか、その自己紹介?」



「なんか、ちょっとむかつきます」




 ドン引きといった様子で二人の教員から厳しい視線を向けられる。



 今のダメ?




「……ダメでした?」



「ダメに決まってます。もしかしてわざとですか?」 



「春宮先生……こういうときは、ちゃんとしないと」




 いや、素なんですけど。



 いまいちわからないまま硬直してしまう………これは、どういう空気?


 


「いいですか春宮先生、そもそも教員が学業面で貢献するのは当然のことです。教員と言っても与えられる役割は色々ありますが、生徒に勉強を教えて学力を向上させる、まずここが基本です。そんな当たり前のことをわざわざ自己紹介で言う必要はありません」



「……あぁ」




 まあ、確かに。


 手厳しい気はするけど。



 でもそうか……ここにいる教員はみんな教員採用試験を受けて適性があると判断されて教師になったんだよな。



 勉強が教えられるのは当たり前のことか。


 ただ俺は……その中でも勉強が出来ますよって、アピールしたかっただけなんだけど。




「それだけじゃありません。他の教科を担当する教員を前にして何でも教えられますというのは配慮に欠ける発言です。どの教師も受け持つ教科に対して自分なりの考えや自信があります。関係ない他の教科の先生から勝手に教えられるなんてたまったものじゃありません。結構ですっ!」


「そうですそうです。みんなプライドがあるんです! 余計なお世話ですよ!」




 めっちゃ怒られた……。



 えっ、そういうもの?


 結局それで生徒の学力が上がるなら学校としては悪くないと思うけど。



 教師としての立場を尊重しろってことか……。




「ごめんなさい」




 とりあえずは謝ってみよう……よくわからないけど。




「今日は入学式、祝いの日ですからこれ以上深追いはしませんけど、くれぐれも今のような発言は他の教員達の前ではしないでくださいね。普通に失礼です。あとマイナス一点」



「……はい」




 前から気になってたけど、このマイナス一点ってなんだろう。


 貯まり続けると何かペナルティでもあるのかな?



 なんでもいいけど。




「さあ、自己紹介はここまでにして切り替えていきましょう。明日から学校が始まりますが、初日に行われるのは学級活動と身体測定。土日を挟んで本格的な授業が始まるのは月曜からです。愛沢先生も春宮先生も気合いを入れていきましょう」




 愛沢先生と、声を被せながら返事をする。



 愛沢先生は嬉しそうに。


 俺は少ししんみりと。




 時計を見ると、時刻は11時30分。


 今日一日の仕事の半分が終わったと言えなくもない。

 


 たった半分なのに、色々とわからないものが多すぎた……。



 マイナス一点というのが何を指すのかわからない。


 教師としての立場やプライド、空気がわからない。

 


 わからないもので溢れかえって、その一つ一つがしこりとなって心の奥に蓄積されていくような……。


 そんな違和感を抱えたまま、職員室にて自分の席に腰を下ろす。

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