「社会人、始まる」



「あの、あの、あの、あのですね……。わ、私は、今年の春に、春にですね、えーっ……だ、大学をですね、そ、卒業してですね……こ、この学校に、ふ、赴任されました……。あっ……な、名前はですね、は、はは春宮響はるみやきょうと言います」




 やばいやばいやばい。


 人めっちゃいる。めっちゃ恥ずかしい。



 めっちゃ噛む。




「なにあいつ……」



「あれ担任じゃね?」



「きんもっ」




 子供達の声が恐い。




「と、とにかく、今年一年精一杯頑張りますのでどうかよろしくお願いします!」




 無理だ……。


 こんな状況でまともな挨拶なんて出来るわけがない。

 


 視線が、雰囲気が、圧倒的にアウェイ。





「………………」





 あれ……? 



 なんだ、挨拶ならもう終わったけど?



 名前もちゃんと言った。


 よろしくお願いしますって終わりの雰囲気も出した。




 もしかして、短すぎてNGとかあるの?





「春宮先生……今のでもうおしまいですか?」




 挨拶をしている演台の近くに、一人の若い女性教員が近づいて来た。

 


 この人は……確か、同じ新卒の……。




「はい終わってます。話すことは何もありません」



「………えっと、なら代わってもらっていいですか?」



「あぁっ、ははいっ!」




 なるほど、自分から離れないとダメなのか。



 てっきり拍手なり何なりの合図があって、その後に演台から離れるものだと思ってた……。


 他の教員の挨拶もちゃんと見ていたはずなのに、いざ自分の番となると……ダメだ、まるで頭が回ってない。




「じゃ、交代ですね」




 女性教員に手を差し伸べられ、マイクを手渡す。



 演台から離れる際、申し訳程度の小粒な拍手がぽつぽつと聞こえてくる。


 この程度かよと思わなくもないけど、あの程度の挨拶ならこの程度の拍手が相応しいのだろう。




 いいから、早く退散したい……。




 階段を降りて、舞台を後にする。


 教員達が並ぶ元いた場所へと滑り込んで、何となく姿勢を正してみる。



 ポーカーフェイスを装って何もなかったかのように凛として見せるも……。




「挨拶短すぎ」

 


「緊張してんなーお前。力抜けよ」




 両隣に並ぶ先輩教員達から、軽く背中を叩かれた。



 あはは……。


 やっぱり、周りから見ても相当苦しく映っていたらしい。





「今の人、挨拶短かったですね~。えっ、もう終わりですかって、びっくりしちゃいました! 安心してください、今短かった分も含めて私がなが~い挨拶をさせてもらいますから。……えっと、まず私の名前は愛沢由あいざわゆうと申します。いきなりなんですけど、私の夢は校長先生になることで、その夢を叶えるために教員を志望して……」






――――(☆)――――






「ご来賓の全ての皆様にお礼を申し上げ、これにて令和3年度第67回合縁中学校入学式の閉会の挨拶とさせて頂きます。一同、起立」



 

 からの礼をして、入学式終了。


 長かったし恥ずかしかったです。




 大勢の人間の前で挨拶することの緊張感、圧迫感……中々に厳しいものがあった。


 今は解放された安心感が凄いけど、これから先こういった機会も増えていくんだろうな……。



 なんて、先を考えては憂鬱になったり。




「ぼさっとしない。他の先生方はとっくに動かれてますよ」 

 


「うおっ」




 突然、隣から声を掛けられる。

 

 さっきまで隣に立っていたのは男性教員だったはずで、予想外にもいきなり女性の声が聞こえて変な声が出てしまう。




 この人は……えっと、橘先生だったか?



 俺よりもずっと年上の中年女性。


 落ち着いた雰囲気に黒縁メガネが印象的な二周り近くは上であろう先輩教員で、俺が受け持つ学年の主任でもある。




「早くクラスのところへ行ってあげてください。みんな待ってますよ? 一組二組三組の順で体育館を出ますので、春宮先生の三組は二組の愛沢先生に続く形で」



「あ……はい」




 そうだ、この後は生徒を引率して教室まで戻るんだった……。



 緊張してるとはいえ流石にボケすぎだ……急がないと。




「お待ちなさい」



「えぐっ」




 急いで戻ろうとするも、今度は襟元を掴まれ変な声が出てしまう。




「マイナス一点です。さっきの挨拶といい気が抜けすぎですよ。初めての入学式で緊張するのはわかりますが、それは生徒も同じこと。担任がその調子だと困るのは生徒の方です。もっと慎みを持ちなさい」



「ご、ごめんなさい」




 ごめんなさいって言っちゃった……。


 こわ。




「ほら、さっさと行く」



「はいっ」




 クラスの方へと指を差され、速やかな行動を指示される。

 

 

 距離的にはそう遠くない。


 出来るだけ早く歩いて、自分の持つクラスまでそう時間も掛からない。




 掛からないん、だけど………。





 あれ?


 えっと、確かここら辺だよな……。



 付近まで来たはいい、どっちが三組だっけ?



 今いるのが新入生ゾーンだろ。


 真ん中が二組は確定として両端が一組と三組。



 普通は左側の方に若い数字を置くはずだから、右側が三組で合ってるか?



 色々な人間の顔を見すぎて生徒の顔なんか全然覚えちゃいない。


 そもそも顔合わせ自体、さっきの教室でチラっとしただけだし……とりあえず、右。





「ピンポン♪ はい正解っ!」


「やっと来た」


「先生おそーい」 


「今間違えそうになってたよな? 連れてきたの自分のクセに」




 うおぉ……めっちゃ突っ込まれる。



 まぁ、生徒達からの洗礼はスルーするとして何とかクラスには辿り着けたらしい。




 いかん。



 今日の自分はあまりにもダメすぎる。


 ホント無能もいいところで、ここからは切り替えていかないと……。





「パ~ンチ」




 なんて自分なりに渇を入れた直後、可愛いらしい少女の声が聞こえるのと同時に鋭い痛みが足を襲う。




 いっっっ……。





 いきなり、脛を殴られた。




「えっ、なに……? なんで?」 



「遅れて来たから罰ゲーム」




 先頭から二番目に座る女子生徒が身を乗り出すようにして先頭まで来ている。



 どこからどう見ても痛みの原因はこの子らしく、いきなりの言動に驚きつつもその外見的華やかさに別の意味で二重に驚かされる。




 日本人離れした白い肌に、少し長めで色素薄めのブロンドふうな髪色。


 丸くてほんのり青み掛かった瞳に、どこか勝ち気で挑発的な笑みを浮かべている。




 もしかして……ハーフ?



 相当可愛いらしい女の子だけど……普通、こういうのって男子がやるものなんじゃないの?




「遅れてごめん。でも暴力はやめような?」



「そ・れ・は・ムリッ! パ~ンチパ~ンチ!」




 友好的に接したつもりが、さらに脛を集中攻撃されてしまう。



 え……ちょちょっ、なにこの子…。




「やめ……やめてくれない?」



「ムリ」

 



 初撃に比べればずいぶんと加減はしてくれているものの、パンチするのは全く止めてくれない。



 これ、どうしたらいいの?


 どう対処すんの?




伊藤いとううざ~い! 後ろいってよ!」


「お前中学でもそれやんのかよ。いい加減卒業しろって」


「せんせぇー、二組もう行きましたよー」




 や……ホントに、次から次へと勘弁して欲しい。


 こんなの相手してたら桐ないからとにかく動かないと。




「君は……伊藤さんって言うのかな? 今は急いでるからまた今度な」




 周りの反応を見るに、攻撃を仕掛けてくる女子生徒は伊藤さんというらしい。



 かなり洋風な見た目だけにめっちゃ日本の名前だな、なんて思いつつも軽く実力行使に出る。



 緩く腕を掴んで、やんわりと後ろへ返す。




「あん? 遊びじゃねえから」

 



 無視しよう。まともに取り合っていたら一生終わらない気がする。



 今は時間がない……。


 クラスの生徒、全体を見回して、一度ゆっくり深呼吸。




 ふぅ……。


 


「みんな、今から教室に戻るから列を乱さずにちゃんと着いて来てください。あと、私語は厳禁です」




 ちゃんとは着いて来てくれないんだろうなと思いつつ、願うような思いでそう言った。





――――(★)――――





 挽回するならここしかない。



 入学式での挨拶といいクラスの引率といい、今日一日で色々とやらかしすぎだ。


 生徒から見ても何となく頼りがいのない先生だと思われ始めてることだろう。



 付き掛けてるイメージを払拭するためにも、ここは一つ巻き返しを図ることにする。




――自己紹介。

 

 

 生徒達が嫌がるであろう進級クラスでの名イベントの一つ。



 当たり前だけど、大勢の前で挨拶をするということは恥ずかしいこと。


 ましてや進級ではなく新入なので、初対面の人間も多くいるなか自己紹介をするというのは普段に比べてその恥ずかしさも一入ひとしおのものとなる。



 おそらくは大半の生徒がだれてグダグダな自己紹介が始まるんじゃないか……?




 で、そこからが教師の出番。



 テンポよく回していき、時折先生の方から適度な質問なんかも挟みつつ進行の上手さを生徒達に見せつける。


 全員が評価してくれるってことはなくても、ああっ、さっきまで先生も緊張してたんだ、全然しっかりしてるじゃん……と、見直してくれる生徒が一部でもいるならそれで十分。



 大丈夫、さっきの失敗は大勢の教員と保護者達に見守られ緊張してしまったが故に起きた偶発的な事故のようなもの。


 今目の前にいるのはついこないだまで小学生をやっていたようなただのキッズ達。



 焦る必要も緊張する必要もない。


 子供なわけだから、大人として少し下に見るぐらいでいいんだよと自分に言い聞かせることにする。

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