ここからは、青春のターン。

@avanty

ここからは、春宮響のターン――認める勇気。

「懲役40年」



「仕事、明日からでしょ。ちゃんと準備出来てるの?」



「仕事ならもう始まってるよ。入学式が明日からなだけ……」



「あら、そうなの? 始まってるならもっと早く言いなさいよ……。それで、うまくやれてるの?」



「……別に」



「あんたねぇ……まだむくれてるの? ちゃんと話し合いはしたし、それであんたも納得したでしょ?」



「………」




 納得なんてしていない。



 納得は、してない。




「やめてよね、他の先生方の前でそうムスッとするの……すごく失礼よ? 明日から生徒さん達にも会うんでしょ? もっと明るく愛想よくしなさい」



「別にムスッとしてるわけじゃない。今日も学校に行って会議とか色々な雑務やらされて疲れてるだけだから……明日も早いしもう切るよ」



「待ちなさい、まだ言いたいことは言えてないの。何のために電話したと思ってるの?」



「いや知らないし。………なに?」



「あんたは、もう立派な社会人よ。これからは自分で稼いで、自分のお金でご飯を食べていくの。あんたの中では折り合いがついてない部分もあるんでしょうけど、一旦ここでリセットしてまた一から頑張りなさい」



「……リセット」



「仕事を始めたらこれまでの経歴や学歴は関係ない、その職場の中で何もかもが一から始まるの。どれだけの学歴があっても失敗したら関係なく怒られるし、成功したら評価もされる。その中で新しく一から自分の経歴を作っていくの」



「………」



「特にあんたの場合は人と人との繋がりが大事なお仕事。ただ勉強を教えていたらいいなんてそんなこと思ってないわよね? ちゃんと、生徒のことを観てあげなさい。何か伝えたくても自分からは伝えられない子だっているはずよ」



「………あぁ」



「周りの先生からのアドバイスをちゃんと聞いて、その意味を理解する努力をしなさい。中にはめちゃくちゃなことを言ってくる先生だっているかもしれないけど、その言葉には先生なりの苦労や経験があった上でのアドバイスだから、正しく受け止めることが出来ればきっと価値あるものになるはず」



「うん」



「ま、母さんから言えるのはこのぐらい。……いい? 今のは母としてじゃなく人生の先輩としてのアドバイスだからね。今は主婦だけど母さんにだって仕事してた時代はあったんだから」



「……わかったよ。ちゃんと聞いた」



「ならばよし、明日早いならもう寝なさい。たくさん寝て、明日にしっかり備えること。じゃあね!」




 そう言われて、電話を切られた。


 4月5日、時刻は21時を少し回った頃合い。

 


 明日から教員として本格的に働き始める息子に母なりの渇を入れようとしてくれたのか、つい先ほど就寝目前で電話が入った。



 母さんの声、久しぶりに聞いた気がする。


 年始年末の帰省で実家に帰った時にも声は聞いたはずなのに、それがずいぶん前のことのように思えて。




 社会人としてのアドバイスか……。

 



 話はちゃんと聞いたけど、今の自分にはあまり響かなかった。


 母さんなりの経験があって、母さんなりに思っての言葉なんだろうけど、そこまでは感じない。



 代わりに、揚げ足を取るかのように否定的な部分だけを見つけてそこに反応してしまう。




 昔からの悪い癖だな……。



 素直に受け入れられず、どこかで隙を見つけては斜に構えてしまう。


 自分守ることを優勢して、改めるどころか真っ先に言い訳を考えてしまう。

 




 でもな、母さん……。



 違う。それは違うよ。




 どう足掻いたってリセットなんて出来やしない。


 部分的に都合の悪いとこだけを消して、修正なんて出来やしない。



 ましてやこれまでの全てをなかったことにして、また一から始めるだなんてそんなものは無理だ。



 そんな都合のいいふうに考えちゃいけない。



 三年浪人したという経歴は残り続けるし、就活に失敗したという挫折もこれから先背負い続けることになる。

 

 



 だから、リセットなんてものはどこにもないんだよ。





――――(♠️)――――





 中学高校と、とても成績が良かった。


 当然だ、勉強しかして来なかったんだから。



 親や先生からは優秀であると褒め粗やされ、それが気持ちよくて一層に励んでいたら気が付けば受験生。



 周りからは、お前なら東大に入れるんじゃないかと妙な期待をされたり。

 

 親からも応援するよなんて言われて、それで勘違いしてしまった。




 結局、現役の時は落ちて一浪二浪とまたまた落ちて、三浪目にしてようやく合格出来た。


 合格した時、受かって嬉しかったというよりもどうしてここまで意地になっていたんだろうと先に疑問が湧いた。



 その疑問に気付いてからは多浪したという事実にずっと縛られ続けることになる。



 今まで掛けてきた時間、努力、三浪したという経歴の末に得られた東大という学歴。


 これから先の人生は今までの懸けてきた全てに対して、その価値に見合う生き方をしなければならない。



 大学に通いながら、いつしかそんなことを考えるようになっていた。




 友人らしい友人も作れないまま時間は過ぎていき、いざ就活が始まるとこぞって一流企業のみを受け続けた。



 エントリーシートを書いて、面接を受けて、落ちる。


 ずっとこれの繰り返し。



 周りが次々と内々定を勝ち取っていくなか自分だけが決まらず一人取り残され、気が付いたらゴールデンウィーク直前の4月末。


 落ちた理由をろくに考えすらせず、大丈夫まだ時間はあるからと自分に言い聞かせていたら、そんな日常に終わりを知らせるかのように両親が突然訪問して来た。




――就活はうまくいってるのか?




 開口一番父さんにそう言われて、咄嗟に誤魔化そうとしたけど付け焼き刃の嘘で誤魔化せるほど甘くはなく、すぐに現状の全てが筒抜けになった。



 そこからは父親としての説教が始まり、自分自身の甘い考えを全て見透かされ、糾弾された。


 一度にあまりに多くのズボシを突かれヤケが回った俺は、就活なんて今年がダメならまた来年頑張ればいい、そう叫んでしまって……。



 すると返ってきたのが平手打ち。



 ふざけるな、お前一人にどれだけ金が掛かってると思ってる。これ以上お前にける金なんてどこにもない。




 そう、怒鳴られた。





 だったらどこでもいいよ?



 なりふり構わず面接受けまくってクソみたいな会社に就職してやる。


 レベルの低い会社に入ってレベルの低い人生送ってやるよ。



 反射的に、思ってもないのにそう言葉が口に出て……さっきと同様平手打ちが返って来るかと思いきや、そうではなくただただ軽蔑の眼差しを向けられた。





 お前みたいな人間採りたい会社なんかあるもんか……自惚れるのも大概にしろ。




 その一言で頭が真っ白になって、父さんに掴み掛かろうとして、母さんに止められた。

 


 今思えばこの時の一言が決定打になったのだと思う。






 後日、母さんから電話が入り父さんとの一件をなだめられ、これからの話をして、最終的には公務員試験の受験を勧められた。



 公務員試験といっても職種によってたくさんの試験がある中、勧められたのは教職に就ける教員採用試験で……。




 理由としては大学で教職課程を履修し、教育実習を含めた必要な単位を取りきった上、見込みではあるものの教員免許を取得していたこと。


 企業への就活は三浪以上からフィルターが掛かかると言われているけど、公務員試験ならある程度の年齢までは寛容なこと。 



 教員になるならないは置いといて、保険という意味でも一応受けておきなさい。


 母さんにそう言われて、言われた通り教員採用試験を受けることになった。



 教師になるつもりがなかった俺は断ろうとはしたけど……ここで断るとまた両親が出張って来る気がして、それが嫌で致し方なく願書を書いてしまったことを今でも覚えてる。


 


 教員採用試験を受けながらも企業への就活は続き、自分の学歴に見合う会社、これまでの苦労に見合う会社をと、



 受けて受けて受けて、、


 落ちて落ちて落ちて。。





 結局のところ、最後に残ったのは教員採用試験の合格通知だけだった……。

 






 かくにも、時間は流れ大学を卒業して、今に至る。



 就活浪人なんて父さんが許してくれるわけもなく、教師になるという選択を選ばざるを得なかったわけで……。




 結果、進路は決定した。








 あぁ……。



 寝ないといけないのに、母さんの声を聞いたせいで色々なことを思い出してしまった。



 明日は学校の始業式があって、これからは社会人として本格的に忙しくなっていく。



 すでに仕事は始まっているけど、教員同士の顔合わせだったり新入生を迎える準備だったりと大半は事務的なものに限り、そういった意味では教師としての第一歩を踏み出すのは明日からだと言えるだろう。





 目を閉じて、寝る努力をして。


 不意にこんな言葉が頭をよぎる。





「懲役40年」


 


 これは偉人が残した言葉ではなく、ましてや自分自身で生み出した造語というわけでもない。



 何も考えずにボーッとネットを見ていてそこで知ったネットスラングのようなもので……。


 社会に出てから定年するまでの約40年間、働きたくもないのに働かざるを得ないこの状況を刑罰に例えて懲役40年と、そう言われていた。




 働くことを苦に感じるなら、意味合いとして大きくは外していない。


 働くことを苦に感じないなら、この言葉はそぐわない。




 就いてる職やその時の自分の気持ち、環境、いくらでも状況によって見方は変わってくるわけで。


 それでも、今の自分にはこの言葉が妙にしっくり嵌まってしまう。


 

 どう足掻いたって変えることの出来ないこの現状。




 寝て、起きて。


 そうしたら嫌でも社会人が始まる。





 懲役40年という長い長い刑罰の、輝かしき第一日が始まるのだ。

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