第52話 スタオッド伯爵との面謁③

 スタオッド伯爵と別れの挨拶を交わして謁見の間から退室した土筆つくしは、行きと同様、大勢の使用人達に見送られてスタオッド伯爵家の別邸を後にする。


 馬車の中では宿舎へ迎えに来た初老の紳士が自らの身分を明かし、何代にも渡りスタオッド家に支えてきた騎士である事を土筆つくしは知るのだった。


「こちらはスタオッド様から預かって参りました紹介状でございます」


 馬車が宿舎に到着すると、オゼロと名乗った初老の紳士はスタオッド伯爵家の印璽いんじされた封書を土筆つくしに手渡す。


「スタオッド家より商業ギルドへは事前に連絡が入っておりますので、その紹介状を持参し商業ギルドを訪ねていただければ宜しいかと」


 土筆つくしはオゼロから紹介状を受け取ると感謝の気持ちを伝え、馬車が見えなくなるまで姿勢を正したまま見送るのだった……



 土筆つくしが宿舎に入ると、子供達がテーブルに付いておやつを食べている最中だった。


「ツクっち、おかえりっす」


 今日も当然のように子供達に紛れておやつを食べるコルレットの言葉を聞いて、土筆つくしが帰宅したことを知った子供達が口々に「お帰りなさい」と言う。


「ただいま。取り敢えず着替えてくる」


 土筆つくしはそう言い返して自室に向かい普段着に着替えると、おやつを食べている子供達の元に戻る。


「ちゃんとおやつ食べてるか?」


 土筆つくしはそう言いながら子供達の間を抜け厨房に入ると、自身のために飲み物を作り始める。

 ケトルに生活魔法で作り出した水を入れて火に掛けたところで、いつもの指定席で読書にふけるポプリからの訴えるような視線に気付いた土筆つくしは、問い掛けることもなくポプリの紅茶も一緒に用意するのだった。


「なあ、おっさん」


 ポプリのテーブルに紅茶を届け、空いてる席に座ってティータイムに入った土筆つくしにルウツが話し掛ける。


「ルウツ、お兄さんな」


 出会った時から白狼族の兄弟であるルウツとホッツは土筆つくしのことをおじさん扱いで呼ぶ。

 確かに中身は中年のおっさんではあるが、この世界では二十代のお兄さんである。


「おっさん、森に行きたいんだけど駄目か?」


 子供達が宿舎にやって来た時の約束事の一つに、当分の間、土筆つくしの所有する敷地内から出ないことを言い付けてある。

 それは決して悪意があっての言い付けではなく、当時はまだ東の森から大勢の避難民がメゾリカの街に流れて来ていたこともあり、もしもの事態に備え子供達の安全の確保を最優先にしたのだが、事情を知らない子供達にとっては窮屈きゅうくつに感じていたのかも知れない。


「お兄さんな。ルウツは森に何か用事でもあるのか?」


 土筆つくしの質問にルウツは素っ気なく答える。


「別にないよ」


 要するに、ルウツは森の中で遊びたいのだろう。


「手続きをすれば通行証は手に入るけど、今はまだ難しいと思う」


 土筆つくしはメゾリカへ避難してきた開拓村の人達の事務手続きがまだ終わってないことをルウツに説明する。


「そっか……」


 ルウツは事情を知ると残念そうな顔をする。


「でもお兄さんと一緒なら通行証が無くても街の外へ行けるから、これからは時間を見つけて東の森に一緒に遊びに行くのもいいかもな」


 土筆つくしやメルの付き添いとして同伴するのであれば、通行証が無くても門を通って街の外へ出ることは可能だ。


「おっさん、それ本当か?」


 ホッツのお兄さんと言ってもまだ子供であるルウツは、とにかく感情が顔に出やすい。


「ああ、エッヘンの街に行くまでまだ時間があるから、天気のいい日にでも皆で一緒に出掛けような」


 土筆つくしとルウツの会話を聞いていた子供達の雰囲気がわっと明るくなのだった……



 土筆つくしはおやつの後片付けを終えると、買い物がてら冒険者ギルドへ立ち寄った。


 特に義務が生じているわけでもないのだが、冒険者ギルドがスタオッド伯爵との謁見えっけんの仲介を行っていたことは明らかなので、メゾリカ支店の責任者であるゾッホには一応報告を行うべきと判断したからである。


「あら、土筆つくしさん」


 冒険者ギルド一階にある受付けに用件を伝えようとしたところ、土筆つくしに気付いたミアが声を掛ける。


「ミアさん、こんにちは」


 土筆つくしはミアとの軽い雑談の間にギルドへ来た用件を伝えると、ミアがゾッホの執務室へ案内してくれることになった。


「失礼します」


 ミアはゾッホの執務室の扉を四回ノックして部屋に入って行く。


「書類をお持ちしました。後、土筆つくしさんがお見えになってます」


 ゾッホは書類の山の上に追加される書類を見て頭皮まで青ざめると、後から入ってきた土筆つくしに気付く。


「おお、土筆つくしか……スタオッド伯爵との謁見は終わったのか?」


 ゾッホは神佑天助しんゆうてんじょとばかりに土筆つくしに歩み寄ると、もてそうとしてミアにお茶を淹れるよう指示を出す。


「あっ、スタオッド伯爵様との謁見えっけんが終わった事を報告しに来ただけなのでお構いなく」


 土筆つくしはゾッホの気持ちを知った上で断りを入れると、端的に報告を済ませゾッホの執務室を後にする。


 土筆つくしが退室したゾッホの執務室では、失望落胆しつぼうらくたんしたゾッホが書類の山に埋もれながら日が暮れるまで事務仕事に励むのだった……



 土筆つくしがもう一つの目的である買い物を済ませようと冒険者ギルドの出入り口に向かう途中、一階の受付カウンターでギルド職員と話込んでいた錬金術師のカリアナが土筆つくしを発見する。


「あっ、土筆つくしさん。ちょうど良い所にっ」

 

 カリアナはカウンター上に広げていた書類を手に取り土筆つくしの元まで駆け寄ると、土筆つくしの手を引いて飲食スペースのテーブルまで引っ張っていく。


「これはまた、積極的なお誘いだな」


 土筆つくしは「奢るよ」と見せられたメニュー表の中から柑橘系のジュースを注文する。


「私、情熱的な女の子なので」


 カリアナは土筆つくしと同じ物を注文して呼吸を整える。


「今日は蜂蜜酒じゃないのか?」


 土筆つくしの記憶の中でカリアナのイメージは蜂蜜酒と酔っ払いである。


「今日は大事な日なのでお酒は我慢してるんですよ……ところで、この前の約束覚えてます?」


 カリアナの言う約束とは、以前請け負った依頼の最中に土筆つくしの購入した雨合羽あまがっぱへ水弾きの付与を施した時のことだろう。


「ええ、覚えてますよ。確か、時間が合った時に一緒に素材採取に付き合うって約束でしたよね」


 土筆つくしは「時間が合った時」を強調して答えてみせる。


「そうです、それです。土筆つくしさん、今日って時間空いてます?」


 カリアナは期待に満ちた眼差しで土筆つくしに問い掛けるのだが、今はもう夕暮れになろうかと言う時間帯である。


「空いてなくはないけど、じきに日が暮れますよ?」


 夜になったからと言って街の外の生態系が変わるわけではないが、この世界に街灯が整備されているはずもなく、暗闇の中での素材採取は余りにも条件が悪い。


「はい、その通りです。採取したい素材が夜に咲く花なので夜じゃないと採取ができないのですよ」


 カリアナはそう言うと、先ほどカウンター上に広げていた書類の中から、夜に咲く花について記載されている羊皮紙を一枚抜き取って土筆つくしに見せる。


「この花は月下草げっかそうと言って年に一度しか咲かないとても貴重な素材なのですが、スタンビートの影響で開花の日がズレてしまって……」


 月下草げっかそうの花はある魔物が持つ毒に対しての特効薬になるのだが、その成分が抽出できるのは一年に一夜のみで花が咲いている時間だけである。

 更に咲いている花を摘み取ってしまうと抽出する成分が壊れてしまい効果が無くなってしまうので、抽出には特殊な錬金魔法を用いて現地で行わなければならない。



「その知らせが届いたのが今日の昼過ぎで、慌ててギルドへ依頼申請しに来たんですけど……」


 当日、しかも夜となると依頼を請け負ってくれる冒険者が現れる可能性は絶望的と言わざる得ないだろう。


「……でも、さすがに図々ずうずうしかったですね。ごめんなさい、忘れて下さい」


 切羽詰まった状況とは言え、土筆つくしの都合も考えずに強引に話を持ち掛けたことにカリアナは申し訳なさを感じているのだった。


「その話だと野宿する準備が必要になるな」


 土筆つくしは素材採取に必要になりそうな物を頭の中で揃えていく。


「後、夜の採取の護衛となるとメルの力も必要だな」


 カリアナの話では月下草げっかそうの群生地は東の森の中を南下するようなので、土筆つくしだけでは心許ない。


「どちらにしても一度宿舎に戻って準備をしないといけないから、準備が出来次第カリアナの工房に集合でいいか?」


 誰が見たって無茶だと分かる要求を、あっさりと受け入れた土筆つくしにカリアナは驚きを隠せなかった。


土筆つくしさん、本当に良いんですか?」


 土筆つくしが冗談でも言っているのだと信じることができないカリアナが問い掛ける。


「ん? 良いも何も、あの時約束したからな」


 土筆つくしはカリアナの心情を理解しつつも、照れ隠しで素っ気ない言葉を並べる。


「ありがとうございます。急いで準備して工房で待ってます」


 カリアナは深々と頭を下げると、小走りで立ち去るのだった。


「ちょっと格好つけ過ぎたかな……」


 照れ隠しと言えど、柄にもない台詞せりふを吐いてしまったことに体が拒絶反応を起こしたのか、全身がむずかゆくなり思わず呟く。


「いいえ、そんな事ないと思いますよ」


 土筆つくしとカリアナによる一連の遣り取りを偶然見ていたミアは、土筆つくしの耳元で囁く。


「……!?」


 思いも寄らない奇襲に声を失って驚く土筆つくしの反応にミアは微笑むと、満足そうに隣のテーブルに付いて食事を始めるのだった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る