第42話 土筆と厄介なはぐれモノ⑧
冒険者ギルド職員デリスの元には、今日も大量の伝票が届く。
普段、デリスは冒険者ギルド・メゾリカ支店で経理を担当している職員であるが、今回ユダリルム辺境伯からの要請を受けてエッヘンの街に一時的な拠点を置くこととなり、ゾッホの補佐として会計、経理、財務を一手に引き受けることになったのである。
デリスは融通が利かないところはあるものの、その能力はミアと比べても引けを取らないほど優秀である。
そのデリスが一枚の請求書を前に固まっているのだった。
「意味が分からないと思ったら、またメル案件ですか……」
デリスはそう吐き捨てると、机に両肘を突いて頭を抱える。
デリスが頭を抱えた請求書とは、昼間メルが岩トカゲづくしに舌鼓を打った料理店からの請求書である。
「何で請求書なのに、請求額がマイナスになっているのでしょうか?」
昼間メルが解体施設で証明書を見せ、支払いは全部ゾッホが持つと言ったことなどデリスが知る由もなく、経理としては有り得ない請求書の前にどう処理すべきか悩んでいるのだった。
「あーっ、
デリスは勢いよく立ち上がると、メル案件の請求書を手にドスドスと足音を立てながらゾッホの執務室に向かって歩き出す。
冒険者ギルド・メゾリカ支店エッヘン出張所は、エッヘンの冒険者ギルドから提供された仮の作業拠点だけあって、デリスが事務作業をしている部屋からゾッホの執務室まで目と鼻の先である。
執務室で事務処理を行っているゾッホは、聞き覚えのある足音が迫ってくるのを感じるとため息を吐いて筆を置く。
足音がゾッホの執務室の前で止まり荒々しいノック音が四回室内に響き渡ると、容赦なく扉が開かれ鬼の形相をしたデリスが現れる。
「よう、デリス。何かあったか?」
ゾッホは十中八九メル案件だと予想しながらも、努めて平穏に話し掛ける。
「はい。お察しの通りメル案件です」
デリスはそう言うと、手に持った問題の請求書をゾッホに突き付ける。
「どれどれ……ほう。食事の請求書がマイナスとか、また斬新だな」
ゾッホは料理屋の全メニューが記載された請求書の請求額がマイナスになっている原因を読み解く。
「あー、多分これだな……請求書の最後に書かれてる岩トカゲの肉ってのが、飲食代金の合計よりも高くてマイナスになってやがる」
ゾッホは斬新な請求書の謎を解き明かすと、得意気に笑みを浮かべる。
「そんな事は請求書を見れば分かりますっ。何故、食事を食べに行って岩トカゲの肉がマイナスになってるんですか?」
デリスはゾッホの得意気な笑みに
「そりゃ、お前……請求書でマイナスってことは、メルの嬢ちゃんが岩トカゲの肉を店に売ったってことだろう」
ゾッホの見解は正しいのだが、メルのことを良く知らないデリスが納得できるはずはなかった。
「で、す、からっ。なぜ食事をしに行ったメルさんが、岩トカゲの肉を店に売るんですか?」
デリスの質問にゾッホは又しても名推理を展開する。
「そりゃ、あれだろ? メルの嬢ちゃんが食事に行ったら店の人に岩トカゲの肉を切らしてて作れないとか何とか言われて、なら狩り行こう! ってなったんじゃないか」
今度もゾッホの見解は正しいのだが、到底デリスが納得する話ではない。
「もう少し真面目に考えてくれませんか? どこの世界に岩トカゲの肉を切らしたからと言われて、お花摘みに行くみたいな感じで、さくっと、しかもソロで狩りに行く冒険者が居るんですか?」
メルが倒した岩トカゲは、以前東の森でゾッホが仕留めたバーグベアよりも数段危険な魔物として登録されているのである。
「俺は至って真面目に答えてるつもりなのだが……」
ゾッホが困り果てていると、冒険者ギルド・エッヘン支店のお偉いさんがゾッホに用事があると訪ねて来るのだった。
「失礼します。これはゾッホさんお久しぶりですな……おや、お取込み中でしたかな?」
冒険者ギルド・エッヘン支店のお偉いさんの訪問に、さすがのデリスも場を弁える。
「いや、大丈夫だ。それよりもエッヘン支店の副長さんがアポも無しでどうしたんだ?」
スタンビートについてはユダリルム辺境伯の部下から達しが届くはずなので、エッヘン支店の副長の用件はそれとは別の何かである。
「それは申し訳ないことを……実は本日昼間、メルと言う名の冒険者がユダリルム辺境伯の証明書を持ってやって来ましてな……」
エッヘン支店の副長はアポなし訪問について謝罪をし頭を下げると、メルが岩トカゲを三匹持ち込んだことを報告し、岩トカゲの素材の買い取り代金を届けに来たことを告げるのだった。
「やっぱり、そう言うことだったか……なっ」
ゾッホはメルが岩トカゲ三匹分の肉を一緒に居た料理店の大将に卸したとエッヘン支店の副長から聞いて、後ろで控えているデリスに話を振る。
「はい。そうであれば請求書のマイナスも理解できます」
デリスはゾッホの物言いたげな表情にイラっとするものの、エッヘン支店の副長の前で地を出すわけにはいかない。
「お話中のところ申し訳ないのだが……彼女から代金の支払いはメゾリカ支店長のゾッホ宛にと申し付けられているので、ここに運び込んでも宜しいかな?」
エッヘン支店の副長はゾッホの返事を待たず、廊下で待機させていた従業員に手押し荷台に積まれた岩トカゲの素材買い取り代金を運び込むように指示を出す。
「彼女が持ち込んだ岩トカゲの状態がすこぶる良いもので、相応の代金を以て購入させて頂きました。お手数でなければ、エッヘン支店が大変感謝していたと彼女にお伝えください」
ゾッホの執務室に設置されているローテーブルに一番大きなサイズの金貨袋が三つ並べられる。
さすがのデリスも目の前の光景に息を呑むのだった。
「それではこちらに署名をお願いできますかな?」
職員が運び込んだ金貨袋の中身を確認したゾッホが代金受け取りの書類に記されている金額と一致していることを確認して署名をすると、エッヘン支店の副長は署名された書類をゾッホから受け取って挨拶の言葉を残して去っていく。
「……」
常識の遥か斜め上を行く展開にデリスは放心したまま固まっている。
「デリスや……お前の用件は片付いたって事でいいか?」
ゾッホが放心状態のデリスを現実世界に引き戻すと、デリスが持ち込んできたメル案件が解決できたかどうかを確認する。
「はっ、申し訳ありません。現実逃避しておりました」
デリスの反応に過去の自分を重ねたゾッホは、デリスの背中を気合いを入れる意味合いで軽く叩いた。
「まっ、気にするな。その内慣れるさ」
ゾッホは豪快に笑い声を上げて、先ほど突き付けられたメル案件の請求書をデリスに渡す。
「それで、これはどう処理すればいいのでしょうか?」
デリスはローテーブルに置かれた金貨袋を指差して支持を仰ぐ。
「これはメゾリカに戻ってから依頼報酬と一緒に処理しようと思う」
ゾッホの指示を確認したデリスは、先日ゾッホが言った言葉を思い出すのだった。
「先日の話では、メル案件については全てゾッホさんの責任で面倒を見るとのことでしたので、こちらの金貨袋の処理もゾッホさんでお願いします」
デリスはそう言い放つと、一礼をしてゾッホの執務室から去って行く。
去り際の手痛い仕返しに苦笑いを浮かべるゾッホの元に、ユダリルム辺境伯の遣いが書状を持って訪れたと連絡が入る。
「ようやく出番か……」
ゾッホはユダリルム辺境伯の遣いの者と直接会って書状を受け取ると、ユダリルム辺境伯の要請に応じ、メルを含めた冒険者を集め出動するのだった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます