第35話 土筆と厄介なはぐれモノ①

 子供達が宿舎にやって来てから一週間が経ち、当初慌ただしかった宿舎内も、今ではすっかりと日常生活を取り戻していた。


「ますたー。おちち、いってきまーしゅ」


 ミルクを入れるための空瓶を持ったエトラと手を繋いでいるラーファが、厨房で朝食の後片付けをしている土筆つくしに声を掛ける。


 コルレットが予想した通り、始祖の魔素による雌ゴトッフ達への影響は継続的なものであることが確定となり、数日に一度の搾乳さくにゅうが必要になったのだが、白狐族姉妹の妹ラーファが自分がやりたいと手を挙げたため、姉のエトラとゴトッフの搾乳さくにゅう担当を受け持つことになったのである。


 ゴトッフ達にとっては災難以外の何物でもないのだが、土筆つくしにとっては新鮮なミルクが定期的に調達できることになり、食事や飲み物のレパートリーも増え、正に勿怪もっけの幸いとなっている。


 宿舎中庭に干してあったボア肉もいい感じに仕上がり、厨房奥にある食材置き場の在庫も十分だ。

 同じく中庭に移植した土根も枯れることなく順調に育っていて、種を採取したら宿舎の外に畑を作って本格的に栽培を始める計画である。


 子供達が宿舎にやって来てから一度も冒険者ギルドへ出向いていない土筆つくしは、昼食を用意した後、情報収集がてら顔を出そうと思い身支度をする。


 メルは相変わらず自身が食べたいと思った肉を狩りに行っては狩り過ぎた分をギルドに卸しているようだが、時事に全く興味を示さないメルに話を聞いたところで敲氷求火こうひょうきゅうかでしかない。


 土筆つくしは昼食の後片付けを終わらせると、肉を狩りに行くメルを呼び止め、冒険者ギルドまで一緒に行こうと誘うのだった。


「おっ、一緒にお肉狩りに行っちゃう?」

「俺としてはメルと一緒に行きたいところだけど、残念ながら今日はギルドで情報収集さ」


 残念そうに断る土筆つくしを見て、メルは明るく残念だと身振りをする。


「宿舎も落ち着いたことだし、次は一緒に肉狩りに行きたいから、その時は宜しくな」


 土筆つくしは建前ではなく、本心からそう思っているのだった。


「うん、そん時は一緒にお肉狩りに行こうねっ」


 メルも土筆つくしと同じ様に建前ではなく、本心からそう思うのだった……



 冒険者ギルドの前でメルと別れた土筆つくしは、子供達の一件からどうなってるのか想像を膨らましながら、ゾッホとだけは鉢合わせしないよう祈りつつ冒険者ギルドへ入って行く。


「あっ、土筆つくしさん」


 土筆つくしが冒険者ギルドに入った瞬間、何処からか土筆つくしを呼ぶ声がする。


「オー、マイガーっ」


 ゾッホから声を掛けられたと勘違いした土筆つくしは、両手で頭を抱えると、思わず声を上げる。


「……土筆つくしさん?」


 頭を抱える腕の隙間から駆け寄って来るのがミアだと気付いた土筆つくしは、誤魔化すために髪を整える仕草をして軽く咳払いをする。


「……これはミアさん、ゾッホさんと見間違えてしまいました」


 内心はまだ焦っていたのか、普段ならあり得ない失言をしてしまう。


土筆つくしさん……女性に対してゾッホさんと見間違えたってかなり失礼ですよ?」


 ミアは孤児の扱いを巡ってゾッホと土筆つくしの間に何があったのかを知っているので、言葉使いとは裏腹に怒る様子は見せなかった。


「それは申し訳ない。ゾッホさんと鉢合わせしないように祈ってた最中だったもので……」


 心の中の焦りはまだ解消していないらしく、冷静沈着な土筆つくしの言動とはかけ離れた会話になってしまっている。


「それは残念でした。ゾッホから土筆つくしさん宛に招集要請が出ています」


 ミアは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、土筆つくしの所へ持っていこうと用意した書類を取り出して見せるのだった……



 ギルド内で会ってしまった以上、用事があるからと断る訳にもいかず、土筆つくしは渋々ゾッホの執務室へ案内されることにした。


「失礼します」


 ミアは四回扉をノックすると、ゾッホの返事を待って扉を開ける。


「どうした? 忘れ物でもしたか?」


 先ほど出て行ったばかりのミアが戻ってきたこともあり、ゾッホは忘れ物でもしたのかと声を掛ける。


「いえ、土筆つくしさんを連れて参りました」


 ミアの発言を聞いたゾッホが冗談だろうと笑い飛ばすと、気まずそうにした土筆つくしが入って来るのだった。


「偶然、ギルド一階でお会いしましたので」


 先日の件以降、土筆つくしと面会するための心の準備ができておらず、不意を突かれた格好になったゾッホは何度も咳き込むと、最後にもう一度咳払いをして息を整え立ち上がる。

 土筆つくしはミアに促されるようにソファーに腰掛けると、ミアから手渡された招集用紙を受け取るのだった。


「あー、その、なんだ……土筆つくし、お前に一つ依頼をお願いしたいと思ってな」


 普段のゾッホとは違い、遠慮気味に話し難そうにしているのがとても新鮮である。

 土筆つくしがミアから受け取った招集要請の内容を確認してみると、招集要請を断っても罰則が科せられないよう配慮されているのだった。


「ゾッホさん、子供達を引き取って間もないから無理して来させなくていいって言ってましたよ」


 ミアはテーブルに紅茶を置くと、土筆つくしの耳元でそっと囁く。


「こっ、こらミア。余計な事を言うんじゃねえ」


 頭皮を薄っすらと紅潮させたゾッホが照れ隠しで一喝すると、ミアは子供っぽい表情を作りペロリと舌を出して返事をするのだった。


「とっ、とにかく、これが依頼書だ」


 もう一度咳払いをして場を仕切り直したゾッホは、ミアがテーブルの上に置いた資料の中から依頼書を取り出すと土筆つくしに手渡す。


「ちょっと厄介な案件でな……お前以外に適任者が見当たらなかったんだ」


 土筆つくしが受け取った依頼書の標題は”村の防衛業務”と記されている。


「……防衛、ですか?」


 依頼書の標題だけを見る限り、とても土筆つくし向けの依頼には見えない。


「ああ……内容的には王国軍が来るまでの繋ぎだがな」


 土筆つくしはゾッホに促され依頼内容を一読する。依頼内容はゾッホが言っていた通り、王国軍が到着するまでの村の防衛業務なのだが、そこに至るまでの状況が訳有りで濃厚、且つ、土筆つくしが宿舎に籠っていた七日間の間に世の中の情勢は目まぐるしく変化していたのだった。


「すみません……何から質問すればいいのやら分からなくなりました」


 情報処理能力には自信がある土筆つくしでも、依頼書の内容に付いていけずに白旗を上げる。


「まあ、そうだろうな」


 ゾッホは何故か悦に入った表情で土筆つくしの言葉を受け入れると、依頼内容の説明を行うようミアに指示するのだった。


「それでは、東の森で発生したスタンビートの近況から説明致します」


 東の森で発生したスタンビートは進路上に点在する開拓村を破壊しながら北上し、現在は東の森の北側に位置するユヘラ大湖付近で東方面と西方面の二手に別れながらも移動を継続していることが確認されているようだ。

 ユヘラ大湖より北側の森林地帯には現在人族が暮らす集落は存在しないのだが、ユヘラ大湖から西方面に進路を取った魔物の群れの進路次第では、現在ユダリルム辺境伯が治めている北の主要都市エッヘンを通過する可能性があり、予断が許されない状況である。


「この件についてはユダリルム辺境伯から既に冒険者ギルドへの協力要請が入っている。メゾリカ支店からは俺自らが陣頭指揮を執って近々エッヘンへ入る予定だ」


 辺境伯ともなればかなりの兵力を保有しているはずなのだが、それでも冒険者ギルドへの協力要請を行ったと言うことは、魔物の群れもそれ相応の規模に膨れ上がっているということだろう。


「そして、今回土筆つくしさんへの指名依頼となっている”村の防衛業務”についてですが……」


 ミアは心の中でため息でも吐いたのか、一呼吸置いてから土筆つくしへの指名依頼の内容の説明を始めるのだった。


 今回の指名依頼で舞台となっているボルダの村近辺は、ここメゾリカの街を含めた地域一帯を治めているスタオッド伯爵と先程話題に上ったユダリルム辺境伯との間で領土問題が起きている地域に位置し、今回のスタンビート予想進路からは外れているものの、不測の事態に備えて部隊を配備しなければいけないのだが、双方が自身の主張を譲らず防衛線の空白地となっているのである。


「まあ、ここまで至るのにも、それなりに複雑な理由があるんだがな……」


 そして、この空白地の防衛が今回のスタンビートで問題視されているのは、この地域には大河を渡るための橋が架かっているからである。

 もし仮にユヘラ大湖から西方面に進路を取った魔物の群れがボルダの村を通過するルートを選択した場合、整備された街道を使って橋を渡り王国内部まで進行を許す事になる。


「それを見兼ねた国王が問題になっている紛争地域を一時的に召し上げて直轄地にし、防衛の要となるボルダの村へ王国軍を派遣することにしたんだが……」


 ゾッホは指先で自身の頭皮を数回撫でると、心底げんなりした表情を見せる。


「所有を主張している領地を一時的とは言え国が召し上げることに対して、辺境伯と伯爵が激しい抗議を行ったために兵の派遣が遅れてしまったんです」


 結果、王国軍がボルダの村に到着するまでの繋ぎとして、独立した立場にある冒険者ギルドへ”村の防衛業務”依頼が出されることになったのである。


「エッヘンにも冒険者ギルドはあるんだが、あちらはスタンビートの本命ルートだからな……対応できそうな規模で一番近かったのがうちのギルドだってことだ」


 ゾッホとエッヘンの冒険者ギルドがどのような関係なのかは知らないが、ゾッホがエッヘンを心配しているようには見えない。


「そこで土筆つくしさんには王国軍がボルダの村に到着するまでの間、冒険者三十人規模で結成された防衛チームの指揮をお任せしたいのです」


 ミアとゾッホの説明を受けて、今回の指名依頼の内容と背景を理解した土筆つくしは、もう一度依頼書の内容を確認する。


「話は分かりました。ただ依頼中宿舎を離れることになりますので、一度持ち帰って相談させてください」


 国王からの依頼であれば冒険者ギルドもぞんざいに扱うわけにもいかず、依頼報酬もかなりの好条件が提示されている。

 依頼遂行中に関わる全ての問題は冒険者ギルドが責任を負い、請け負う側への努力義務は明示されているものの逸脱行為が確認されなければ罰則もない。


「ああ、それで構わない」


 ゾッホは説明が終わると、書類が山積みになっている自身の執務机へ戻って行く。


「防衛チームを結成して出発するのが明日の昼前を予定しておりますので、返事が決まり次第ご連絡ください」


 ミアはボルダの村への出発スケジュールが記載された羊皮紙を土筆つくしに渡すと、もう一度土筆つくしの耳元で囁く。


「ゾッホさん、あれから避難民受け入れについての取り決めを徹底的に見直したんですよ」


 ゾッホが執務机でわざと聞こえるように大きな咳払いをすると、ミアは本日二回目となる子供っぽい表情を作り、ペロリと舌を出すのだった……

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