第8話 土筆の長かった一日

 土筆つくしが目を覚ますと、その視界には不規則に揺れる突起物と心配そうに見つめるミアの顔、そして夕焼けに染まったラズタンテの空が映し出されていた。


「あっ、土筆つくしさん。お目覚めですか?」


 淑やかな口調でミアが語り掛けると、土筆つくしは照れくさかったのか、右腕手で視界を遮り控えめに頷いてみせる。


「無理はしないで下さいね。魔力切れの症状が出ていましたから……」


 魔力切れとは、魔法やスキルを発現させる際に消費される魔力が限界値を超えてしまった時に起きる現象で、多くは船酔いのような症状を発症するが、深刻な症状になると精神崩壊を起こし廃人になってしまう場合もある。


 土筆つくしは今の状況に至るまでの経緯を思い起こそうと、ガス欠状態の脳をフル回転させるのだが、何度繰り返しても鉄砲水に巻き込まれた後の事は思い出せなかった。


「あの親子は?」


 土筆つくしは視界を遮っていた腕をずらし、怯えるような目でミアを見つめる。


「二人とも無事ですよ。大事をとって診察を受けてもらおうと、ギルド職員と一緒に冒険者ギルドへ向かっています」


 先ほどと変わらない淑やかな口調のまま、諭すようにミアは答えるのだった。

 土筆つくしはミアの言葉を聞いて安心したのか、ずらした腕を元に戻すと、再び眠りにつくのであった……



 次に土筆つくしが目を覚ましたのは、冒険者ギルド内に用意された宿泊施設のベッドの上だった。

 土筆つくしは気怠さを感じながらも体を起こすと、ベッド横の机に置いてある照明用の魔法石に魔力を送り光を灯す。

 どれくらい眠っていたのかは分からないが、窓の外は真っ暗で静まり返っている。


 土筆つくしは状況を確認しようと起き上がりベッドから出ると、自身が一糸纏わぬ姿である事に気付く。

 取り敢えず何か着る物がないかと辺りを見回したその時、ノックの音と共に勢いよく誰かが部屋に入って来たのだった。

 

土筆つくしさん、入りま……」


 冒険者ギルドで医療班の職員が身に着ける制服を着た小柄な兎人族の女の子は、間が悪かったのか、素っ裸で立ち尽くす土筆つくしを見て固まってしまう。

 咄嗟とっさの出来事であったのが災いしてか、土筆つくしも素っ頓狂すっとんきょうな対応をとってしまうのであった。


「…………」


 長いようで短い時間が流れ、先に金縛りから解放された兎人族の女の子は頬を真っ赤に染めると「先生を呼んできます」と言い残し部屋から飛び出して行くのだった。


 その後も生まれたままの姿で固まっていた土筆つくしだったが、兎人族の女の子が先生を呼んでくると言い残して部屋を出て行った事を思い出し、慌てて椅子に置いてあった鞄から予備の着替えを取り出すと身に着けるのだった。


 着替えが終わり、ベッドの側面に腰を下ろして落ち着きを取り戻した頃、先刻とは違い控えめなノックの音が土筆の耳に届いた。


 土筆つくしが返事をすると、白衣を身にまとった羊人族の男性と先ほどの兎人族の女の子が軽く頭をさげて入室する。


土筆つくしさん、容体は如何ですかな?」


 羊人族の男性は落ち着きのある音調で土筆つくしに容体を尋ねた。

 その羊人族の男性の後ろには、先ほどの兎人族の女の子が気まずそうにしている。

 土筆つくしは兎人族の女の子に気を使わせないよう、平静さを保ちながら淡々と羊人族の男性の問い掛けに答えるのだった。


「はい……気怠さが少々残っている感じがあります」


 羊人族の男性は土筆つくしの会話を聞いて何度か頷くと、部屋に置いてあった椅子をベッドの横に移動して腰掛けた。


「左様ですか……では少しばかり診させてもらいますかな?」


 羊人族の男性はそう告げると、土筆つくしの手をゆっくりと引き寄せ、土筆つくしの手のひらに自らの手のひらをかざしスキルを発動させる。


「うむ……完全に魔力が回復してはいないが、これならもう心配はないじゃろう」


 羊人族の男性は土筆つくしの手をそっと戻しながら安堵の表情を見せた。

 その後、土筆つくしと羊人族の男性が軽い雑談をしていると、ノックの音と共にミアの声が聞こえてくる。


土筆つくしさん、入りますよ」


 土筆つくしの返事を待ってから扉を開くと、ミアとゾッホが中に入って来るのだった。


「これはロザフ先生、お疲れ様です」


 ミアが軽く頭を下げて会釈をすると、羊人族の男性も軽く頭を下げて挨拶を返す。


「キュキュルちゃんもお疲れ様です」


 ミアはキュキュルと呼ばれた兎人族の女の子にも笑顔で挨拶をすると、キュキュルは恥ずかしそうに俯いて、小さな声で挨拶を返すのだった。


「先生、土筆つくしの容体はどうなんだ?」


 ゾッホは腕を組んだままの姿勢でロザフに尋ねると、ロザフはゾッホの方に体の向きを変えて質問に答える。


「魔力切れに関しては心配ないが、完全に回復はしておらんので休息が必要じゃろうな」


 そう言うとロザフは立ち上がり、ゾッホの肩を軽く手で数回叩くと、無言で部屋から出て行った。

 ロザフが部屋から出て行くのを見ていたキュキュルは、土筆つくし達に向かって深々と一礼をすると、扉を閉めてロザフの後を追うのだった……



 二人の足音が聞こえなくなるまで扉の方を見ていた土筆つくしに対し、ゾッホが口を開いた。


「今日はご苦労だったな。報告は明日で構わないから、今日はゆっくり休んでくれ」


 ゾッホは土筆つくしにそう告げると、後をミアに任せて退室する。

 ミアは去り行くゾッホに向かって立礼をして見送ると、ベッド横の机に軽食が入った包みを置いた。


土筆つくしさん、これ良かったら食べて下さい」


 土筆つくしが御礼を言うと、ミアは優しく微笑んで言葉を続ける。


「今日はこのままこちらの部屋で眠って頂いても結構ですし、ご自宅に帰られても構いませんよ」


 ミアは土筆つくしが尋ねようと思っていたことを先回りして答えるのだった。


「……それなら家に帰ろうと思います」


 宿舎に残してきたメルの事が気になったのと、引っ越し初日から外泊するのも少々味気ない気がした土筆つくしは帰宅の意思を伝える。


「分かりました。ではそのように手配します」


 ミアは土筆つくしに向かって軽くお辞儀をすると、きびすを返して部屋を出て行くのだった……



 ミアが退室した後、土筆つくしは帰り支度を済ませ、忘れ物が無い事を確認し、冒険者ギルドの受付カウンターへ向かった。


 既に夜も更けていたらしく、一階にある酒場を兼ねた共用スペースに居る人もまばらで、その人達の多くは酔い潰れてテーブルに突っ伏している状態だった。


 土筆つくしが受付カウンターの前に立つと、カウンターの奥にある事務室で作業をしていた夜勤の男性職員が顔を出す。


「今晩は。ご用件を伺います」


 事務作業に追われていたのか、夜勤で眠たいのかは判断できないが、男性職員は疲れた表情でカウンターの椅子に腰を下ろすのだった。


「宿泊施設の宿泊を取り止めたのですが……」


 男性職員は土筆つくしの話を聞き終えると「どっこいしょ」と声を漏らしながら立ち上がり、事務室にある棚からファイルを取り出して土筆つくしの用件について調べ始めた。

 土筆つくしがその様子を遠くから見守っていると、事務室の奥からミアが現れる。


土筆つくしさん、早かったですね」


 ミアは男性職員に事情を説明し、そのまま業務を引き継ぐと、土筆つくしの元までやって来て羊皮紙に署名をするよう求めた。

 土筆つくしが内容を確認して署名をすると、ミアはその羊皮紙を回収し、代わりに土筆つくしが着ていた服を手渡す。


「これ、乾いてたのでどうぞ」


 土筆つくしはお礼を言い服を受け取ると、宿舎に向かう為に冒険者ギルドを後にするのだった……



 普段は夜遅くまで賑わっている商用通りも、今の時間となると深閑しんかんとしていた。

 街明かりは殆どなく、存在するのはこの異世界の夜を照らす、月の代わりのような天体の輝きだけで、自分の足元を確認するのですら困難な状態である。

 土筆つくしは鞄から探索用の魔法具を取り出すと、魔力を供給して明かりを灯し、南西の門の先にある宿舎へ向かって歩き出すのだった……



 魔法具の発する明かりと虫の鳴き声を背景音楽に、土筆つくしは抜けない気怠さを感じつつも、どうにか宿舎まで辿り着く。


 合鍵を使い宿舎の出入り口の扉を開けて中に入ると、土筆つくしは忘れないように施錠を行い、ちゃんと鍵が掛かっている事を確認する。

 静まり返った宿舎内で耳を澄ましてみれば、食堂兼休憩室の方からメルの寝息らしき音が聞こえてくるのだった。

 土筆つくしは持っている魔法具を寝息が聞こえる方へ向けると、幸せそうにテーブルに突っ伏して寝ているメルの姿が照らし出される。


 土筆つくしは物音を立てないように注意しながら、まだ片付けていない荷物の中を探って毛布を取り出すと、起こさないようにそっとメルの背中に毛布をかけ、自身はメルの向かい側の席に腰掛けるのだった。


 土筆つくしは抜けない気怠さに若干のストレスを感じながら、肩に掛けていた鞄を床の上に置くと、楽な姿勢をとってメルの寝顔を眺める。


 きっと美味しい物を食べている夢でも見ているのだろう。

 だらしなく緩んだ口元から涎を垂らし、時折むにゃむにゃと咀嚼らしい動作をしては満足そうに獣耳の片方をぴくぴくさせる。


 土筆つくしはメルのほっぺたを突っつきたくなる衝動を抑えながら、夢の中でメルが美味しそうに食べている物が何なのかを何となく考えていた。

 幾つかの料理を思い浮かべた時、土筆つくしはふと冒険者ギルドでミアから貰った軽食が入った包みの存在を思い出すのだった。


 土筆つくしはメルを起こさないように、鞄の中から軽食が入った包みを手探りで取り出すとテーブルの上に移動させた。

 その折、軽食が入った包みの口元が緩んだのか、食欲をそそる香りが辺り一面に広がるのだった。


 何時もなら、食いしん坊なメルがこの香りに気付いて飛び起きるはずなのだが、今日ばかりは引っ越し作業や部屋の片付けで疲れていたのだろう。

 包みから漏れる香りに尻尾は顕著に反応を示すのだが、メルは眠ったままだった。


 そして、それは土筆つくしにも当てはまる事だった。

 包みから漏れる香りを前に、体は空腹感を露わにし食欲を掻き立てるのだが、何処からともなく抗うことができない猛烈な眠気が押し寄せ、土筆つくしもまた深い眠りに落ちていくのだった……

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