第4話 土筆とメルと蜂蜜パン

 通用口を抜け外壁の外へ出ると、そこは既に土筆つくしがモストン商会で購入した土地の敷地内である。


 今まで大人しく付いて来ていたメルが突然土筆つくしの前に飛び出し、嬉しそうにステップを踏むと、振り返り様に両手を大きく広げたポーズを決めて見せる。


「見るからに荒れ地だねー」


 言葉とは裏腹に、心底楽しそうな表情を浮かべていたりする。


「まぁ、ここ数年は最低限の管理しかしてなかったみたいだからね」


 まだこの地域一帯が戦線と呼ばれていた頃には、騎士団の訓練や最前線へ向かう部隊の中継地として一定の需要があったようなのだが、戦線が遠ざかった今となってはそれも遠い昔の話である。

 しかし、例え使われなくなったとしても害虫等の大量発生を防いだり、人にとって危険となり得る生物の排除など最低限の管理は必要になる。

 しかも、ここは小さな街であればすっぽりと入ってしまうような広大な敷地である。

 草刈りを行うだけでも大量の人材と予算が必要になり、最低限の管理だとしても莫大な費用が必要になっている事は想像に難くない。


「でも大丈夫なの? 色々と約束事があるって言ってたけど……」


 見えぬ南端に向かって大きく深呼吸をしていたメルが振り向く。


「大丈夫じゃないかも知れない……」


 予想外の回答だったのか、メルが目を大きくしたまま固まってしまった。


「えぇぇっ、大丈夫じゃなかったの?」


 一人時間差で驚くメルさん。

 意外とツボにはまったのか、土筆つくしは悪ふざけに興ずる事にしたのだった。


「あぁ……実を言うと、新しく与えられた使命を全うする事で頭が一杯で……後々の事まで考える余裕が無かったんだ……」


「えぇっ! そうなの? 全然気づかなかったよ?」


「あぁ、メルに心配をかけたくなかったからさ……」


 土筆つくしは笑いを必死に堪えながら俯いて見せる。


「ご、ごめんっ。全然気付かなかった……」


 土筆つくしに連れられてか、メルも俯く。


「いいんだ。メルにはいつも助けられてるし、心配も掛けたくなかったからさ……」


 土筆つくしはそう言うと、顔を背けながら目を閉じ、そっとメルを抱き寄せる。


「でも、もし約束事破ったら大変なんでしょ?」

「あぁ……最悪、奴隷落ちしなければならないかも知れない……」


 奴隷と言う言葉に反応したメルは心配そうに土筆つくしの顔を覗き込んだ。


「んぬっ?!」


 流石のメルでも何かに気が付いたようだ。

そんなメルの動向に気付かぬまま、土筆つくしは悪ふざけに没頭しているのだった。


「でも、心配しないで欲しい。責任は全て僕が請け負うから……君には……」


 土筆つくし気障キザな台詞を永遠と囁く中、メルはそのニヤニヤした表情を見て真意を察してしまう。

 大きな瞳を満たしていた涙は一瞬で蒸発し、下がっていた眉尻が徐々に吊り上がり限界まで達すると、メルは土筆つくしの腰の辺りに細い両腕を回し、一気に締め上げた。


「……だから、メルには……うぐっ」


 土筆つくしがメルの表情の変化に気付いた時には既に手遅れだった。

 見た目がか弱い女の子でも歴とした天使、しかも戦士である。

 当然の事ながら、その腕っぷしの強さは人族最強の戦士を用意したとしても比べものにはならないのだ。


「ちょっ、ちょっ、メル。タンマっ、マジでタンマっ!」


 土筆つくしの体が曲がってはいけない方向にメキメキと音を立てながら海老反る。

 

「聞こえないなー」


 メルは和やかな表情を浮かべたまま、更に締め上げる力を強くする。


「折れるっ……マジで折れるってっ」

「聞こえないなー」


 聞こえてないのに何故適時に返事ができるのか突っ込むべき場面ではあるのだが、土筆つくしの上半身がイナバウアー状態で息をするのも厳しく、そのような突っ込みを入れる余裕は全く以て無かった。


「ごっ、ごめんなさい。調子に乗り過ぎました」


 息も絶え絶えに訴える土筆つくしの言葉が届いたのか、漸くメルの締め上げから解放されるのであった。


「本気で死ぬかと思った……」


 尻餅をついたままで腰を擦りながら、土筆つくしは安堵の息を吐いた。


「もう、本当に心配したんだからねっ!」


 メルの怒りはまだ収まってはいないみたいで、獣耳をツンと立てたまま、ほっぺたを軽く膨らませ唇を尖らせている。


「だから悪かったって……」


 土筆つくしは立ち上がると、ズボンを軽く叩いて埃を払い、鞄の中から宿屋で購入した生地に蜂蜜が練りこまれた甘いパンが入っている包みを取り出した。


「これでも食べて機嫌を直そうよ……ねっ!」


 メルはご機嫌斜めな態度は崩さないものの、包みから微かに漏れる甘い香りには反応しているようである。

 土筆つくしはもうひと押しが必要だと判断して言葉を続ける。


「ほらっ、メルの好きな蜂蜜パンだよ?」


 土筆がどうぞと言わんばかりに蜂蜜パンが入った包みを差し出すと、一段と増した甘い香りがメルの鼻孔をくすぐる。

 頑なにご機嫌斜めの態度を保ってはいるが尻尾は正直なようで、ゆらりゆらりと揺れる尾がメルの心の声を鮮明に映し出していた。


「出来立てを買ったからまだ温かいよ? ほらほらっ!」


 土筆つくしは止めを刺すかのように、蜂蜜パンが入った包みをメルの胸元に押し付ける。

 メルは反射的にのけ反るような反応を示したものの、結局蜂蜜パンが入った包みを受け取るのであった。

 

「べっ、別に蜂蜜パンに釣られた訳じゃないんだからねっ」


 そう言いながらも包みから蜂蜜パンを取り出し、クンクンと香りを楽しんだ後に美味しそうに頬張る。


「ん~ん……にゃふにゃにぃ、にゃふぃにゃふぃにゃふぃにゃにゃふにゃふにゃぁ」


 もぐもぐと食べながら話をするので何を言ってるのかは聞き取れないが、やっぱり蜂蜜パンは美味しいなぁとでも言っているのだろう。

 メルの機嫌が直った事にホッと胸を撫で下ろした土筆は、先ほどメルがした質問に対しての返事をする。


「そう言えばさっきの質問だけど……対応についてはちゃんと考えてあるから大丈夫だからね」


 予想されていた通り、蜂蜜パンの虜になっているメルに土筆つくしの言葉が届く事は無かった。


「本当に敵わないなぁ……」


 土筆つくしは頭を掻きながらそう呟くと、幸せそうに蜂蜜パンを頬張りながら宿舎に向かって歩くメルを追い掛けるのだった。

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