第5話 地妖精ドニとコルレット

 南西の門から南に向かって伸びる畦道を進んで行くと、生い茂る草木の向こうに目的地の宿舎が見えてくる。

 畦道と言っても道幅は十分に広いので、自生する草花が通行の妨げになるような心配は不要だ。


 先行していたメルが宿舎の手前まで辿り着くと、土筆つくしに向かって大きく手を振る。

 土筆つくしはそれに応えるように頷くと、小走りでメルの元へ駆け寄るのだった。


「おー来た来た」


 先ほどの不機嫌が嘘だったかのように、すこぶる上機嫌なメルが土筆つくしを迎え入れる。


「もぉ。女の子を待たせちゃ駄目なんだからねー」


 言葉とは裏腹に楽しそうに頬を膨らませる。

 土筆つくしは小言で応戦しようと考えたのだが今回は見送る事にした。

 控えめにごめんねのポーズを取ると、メルの横をすり抜け、メインの出入り口となる宿舎の西側の扉の前まで進み出る。


「では、早速入ろう!」


 メルは飛び跳ねる勢いで片腕を突き上げると、勢いそのままに進み出ようとするのだが土筆つくしに制止されてしまう。


「あわっあわわっ!」


 全くの予想外だったのか、メルは体勢を崩してよろめいた。


「ごめん。入る前にやることがあるから、少し待って欲しい」


 土筆つくしはそう言い残すと宿舎の南側まで移動し、片膝を突き地面に向かって手の平をかざしながら意識を集中させスキルを発動させる。


 土筆つくしの魔力に反応して小さな魔方陣が地表に浮かび上がると、新たな術式を書き加えながら展開を始める。

 やがて全ての術式が書き加えられると、その色合いが淡青から淡黄へと変化し、次の瞬間、急速に魔方陣が集束し爆ぜ散った。

 魔方陣の在った場所には魔力による煙霧が漂い、それが消滅し現れたのは、地面から突き出た黒茶色の片腕の様な何かしらだった。


「あっ、ドニちゃんだー。久しぶりー」


 土筆つくしによる精霊魔法を隣でしゃがんで見ていたメルが、地妖精ドニの登場に声を漏らす。

 地妖精ドニもメルの事をを認識しているようで、大きく手を開いて左右に振りながら応えている。

 土筆つくしはその光景に思わず笑みを浮かべると、召喚の応じてくれた地妖精ドニに対して語り掛けた。


「ドニ、呼び出しに応じてくれてありがとう。早速で申し訳ないけど、お願いした地域一帯にある石材を指定した場所に集めて欲しい。頼めるかな?」


 土筆つくしの語り掛けに答えるように地妖精ドニは元気よく拳を突き上げると、溶け込むように地面の中に消えて行った。


「あぁ……ドニちゃん行っちゃったー」


 隣でメルが残念そうな声を出す。


「これから毎日、荒れ地の整理をお願いするからまた会えるって」


 土筆つくしは立ち上がりざまにメルの頭を軽く撫でると、大きく伸びをしながら宿舎の出入り口に向かって歩き始める。


「それもそうだねっ」


 頭を撫でられ、少し恥ずかしそうな仕草をして見せたメルはそう言って頷くと、土筆つくしの後を追う為に立ち上がるのであった……



 再び宿舎の出入り口の前までやって来た土筆つくしとメルはモストン商会で受け取った鍵を使って開錠すると、取っ手を引いて扉を開ける。


 宿舎の扉はどれも年代物なので、さぞ年季の入った音を奏でてくれるのかと思いきや、意外にも音は無く、そして滑らかに開いた。


「一番乗りだーっ!」


 扉が開くのと同時に、すり抜けるように入り込んだメルが勝どきを上げると、振り返りざまにしたり顔を決めて見せる。

 特に動じる様子も見せない土筆つくしはそのまま扉を閉めると、すれ違いざまにメルの頭を軽くぽんっと触り、そのまま食堂兼休憩室として使われていた宿舎のロビーに向かって歩いて行った。


「もう何よぉ……スルーされると恥ずかしくなるじゃないっ」


 メルは今しがたの記憶を消し去るように、ほんのりと赤らめた頬に向かって両手で手うちわをするのだった……



 この宿舎は中庭を取り囲むように建物が建てられており、中庭を中心に北棟、東棟、南棟、西棟とそれぞれに名称が付けられている。

 地上三階建ての建築物は宿舎と呼ばれているものの、一階の外壁部分が石造りになっている為、初めて宿舎を見た人ならば、名も無き小さな砦と勘違いしてしまうかも知れない。


 宿舎の間取りはとても良く考えられていて使い勝手もよく、今後土筆つくし達が何か始める際には大いに役に立ってくれるはずである。


 土筆つくしは二階へと続く階段下の空きスペースに収納された掃除道具一式を確認すると、厚手の雑巾を取り出しメルに手渡した。


「まずはロビーの片付けから始めようか?」


 宿舎自体は古いものの、モストン商会が丁寧に管理してくれていたお陰で宿舎内は驚くほど綺麗だ。

 土筆つくしがざっと見渡した感じでは、直に修繕しなければならない箇所も見当たらない。

 しかしテーブルや椅子などの備品はそのまま譲り受ける契約だった為、宿舎内に残っている全ての備品は土筆つくし達が必要に応じて整理整頓をしなければならないのである。


 土筆つくしは手始めに窓を開けて周ると、休む間もなく黙々とロビーの片付けをこなしていく。

 メルはメルで、時折訪れる誘惑イベントに惑わされそうに成りながらも何とか持ち堪え、カウンター奥に残されていた様々な備品を吟味しては選別しているようだ。


 刻々と時は流れ、食堂と休憩室を兼ねたロビーの片付けが一段落した頃、土筆つくしとメルにとって見知った人物が来訪する。


「ぴんぽーん、ぴんぽーんっ!」


 その人物は、何故かこの世界には存在しない電子音が鳴る呼び鈴の音真似をし、間髪を入れずに扉の取っ手に手を掛ける。


「あれ? 開いてるやん……」


 扉に鍵が掛かっていない事に気付くと、土筆つくし達の返事を待つ事もなく扉を開け、そのまま躊躇せず宿舎の中に入って行く。


「あっ! ツクっちとメル先輩やー……どうもー。コルレットちゃん来たっすよー」


 作業の手を止めてコルレットを注視する二人に向けて、大きく手を振りながら満面の笑みでアピールしているこの女性はコルレット=ラザ=フリルと言い、こちらもメルと同じく天使である。


 素性については全て彼女の自称という形になってしまうのだが、立ち位置としてはメルの後輩になるらしい。

 しかし、メルが戦士として天界の陣営に加わっていたのに対し、コルレットは後方支援が専門だと話している。

 正直、雲を掴むようで彼女の本性を推し量ることが出来ない状態ではあるが、土筆つくしとメルを引き合わせたのは彼女であり、その後も事ある毎に二人をサポートし続けている事は紛れもない事実である。


「あれー? どうしたんすか? 二人とも固まっちゃってるっすよ? もし視界に入れて貰えてないって話なら、コルレットちゃん傷心で涙ぽろぽろもんっすよー」


 相変わらずな濃い目のキャラクターに若干引き気味の土筆つくしではあるが、メルに限っては生理的な面でも苦手ならしく、今も口元が引き攣ってピクピクしている。


「悪い悪い……あまりにも突然だったから理解するのに時間が掛かってしまった……」


 土筆つくしは移動しようと持ち上げていたテーブルを床に戻すと、テーブルに手を置いたままコルレットに問い掛ける。


「ところで今日はどうしたの?」

「どうしたもこうしたもないっすよー。今朝女神様の所にツクっちがここを購入したって報告が届いたから飛んで来たっすよー」


 コルレットは両手を小刻みに上下させながら力説して見せた。


「そう言えば、この世界では契約するとその内容が女神様の元に届くんだっけ?」

「そうっす! 女神ミシエラ様はこの世界のあらゆる契約を司ってるっすよー」


 コルレットは腰に手を当て踏ん反り返ると、鼻息荒く声を張り上げた。


「なんでコルレットが得意気になってるの?」

「さぁ?」


 メルの至極ごもっともな疑問に土筆つくしは返す言葉を見付ける事が出来ず、困った仕草を交えながら受け流すのがやっとだった。


 土筆つくしとメルの困惑を他所に、その後もコルレットの話は続いていく。

 話の内容もどんどん脇道に逸れて行き、何時まで経ってもコルレットが此処ここにやって来た理由を知る事が出来ない。

 流石のメルも我慢の限界に達したのか、一瞬の隙を突いてコルレットの話に割って入る。


「ねぇコルレット?」


 話の腰を折られる格好になったコルレットではあるが、特に気にする様子もなくメルの問い掛けに耳を傾ける。


「何すか?メル先輩」

「結局、何しに来たの?」


 メルの率直過ぎる問い掛けに鼓膜を揺さぶられたコルレットは、メルを見つめたまま暫し固まってしまう。

 そして天井に目線を向けた後、何かを思い出したのか納得した様子で手を打った。


「そうっす! 忘れてたっす! コルレットちゃんは井戸の状態を確認しに来たっすよー」


 世紀の大発見をしてしまったと言わんばかりに目を輝かせながら、コルレットはようやく宿舎を訪ねた理由を説明するのであった……



 土筆つくしはコルレットを連れ、ロビー奥にある南棟への通用口から中庭へと案内した。

 中庭のほぼ中央には古びた井戸があるのだが、土筆つくしの目には特に変わった様子は窺えない。


「いやー、ビンビンっすねー」


 しかしコルレットは何かを感じ取っているのか、興味深そうに井戸に視線を送っている。


「さっきツクっちにも説明したっすけど、コルレットちゃんの見立て通りなら、あの井戸の中で間違いないっす」


 コルレットの説明によると、土筆つくしが神から啓示けいじされた使命である『この宿舎を手に入れろ』と言うミッションは、井戸の管理権を手に入れる為のものだったらしい。

 そして、この古めかしい井戸の底には始祖と呼ばれる古代種族が地底に移り住む際に施した結界があるのだが、その結界が長い年月を経て不安定になってきた為、彼らとの盟約に従って修復を行う事になったのだ。


「まぁ、始祖とか古代種族とか結界とか小難しい言葉多いっすけど、要するに緩んだ靴紐を結び直すようなもんすっよー」


 土筆つくしの表情を見て気を使ったのか、コルレットは悪戯っぽい表情で軽口を叩くと、この異世界には存在しない日本国民にはお馴染みのあの体操を始める。


「イチ、ニッ、サン、四。五、ロク……」


 所々突っ込みたくなる動きがあるものの、人を魅きつけるには十分過ぎる華麗な身のこなしに土筆つくしが見惚れていると、突然コルレットが声を張り上げた。


「あっ、忘れてたっす」


 コルレットは体操を一旦休止しこめかみにゲンコツを添えると、舌をぺろっと出しながら片目を瞑ってテヘペロのポーズを決め、目の前の空間に向けて円を描くように指先をクルクルと回した。


「ツクっち、これにサインして欲しいっす」


 コルレットの神力に反応したのか、土筆つくしの目の前に光文字が浮かび上がると、文章の末尾には署名する為の欄も用意されている。


「今回の件は天界からの過剰な干渉に該当するので所有者の許可が必要になるっす……って、ツクっち? どうしたっすか?」


 目の前に浮かび上がる文章を、真剣な表情で一字一句読み漏らさないように確認する土筆つくしを見たコルレットが思わず声を上げる。 


「ん? だって内容を確認しないと署名できないだろ?」


 この世界に転生して間もない頃、土筆つくしはコルレットからの依頼書によく確認もせずに署名して酷い目にあった事がある。

 この世界での契約は女神ミシエラの名の元に絶対的な効力を有するので、知らなかったでは済ませられないのだ。

 土筆つくしはあの時の辛い経験を無駄にしない為にも、契約に関しては人一倍慎重になるようになったのである。


「ツクっち……もしかして、まだあの時の事根に持ってるんすか?」


 コルレットは恐る恐るパンドラの箱に手を伸ばす。


「そうだな……根に持ってないと言えば嘘になるかもな」


「そっ、それはあんまりっす……あれはツクっちがこの世界で立派に生きて行く為に仕方なくやった事っすよ? コルレットちゃんも心の中では号泣してたっすよー」


 疑いの目で見る土筆つくしを前に、余計な事を聞いてしまったと後悔するコルレットだった。


「まぁ、今思うと確かに必要だった気もするけどね……」

「ツクっちぃぃぃ」


 土筆つくしから発せられた救いの言葉に、コルレットは思わず目を潤ませる。


「それもメルから裏話を聞かなかったらの話だけど……」


 和やかに語る土筆つくしの背後から、どす黒いオーラが放出されている事を察したコルレットは恐怖で縮みあがるのだった。


「一先ず問題はないみたいだな」


 そんなコルレットを余所に、内容の確認を済ませた土筆つくしは、指先で署名欄にサインをする。


「これで良い?」


 土筆つくしのサインを確認したコルレットは小刻みに何度も頷くと、もう一度目の前の空間に向けて円を描くように指先をクルクルと回す。

 すると、浮かんでいた光の文字達は螺旋状に渦を巻きながら発光し天高く飛んで行くのだった。


「ツクっちサンキューっす。それではコルレットちゃんは井戸の状態を調べに行くっす」


 コルレットは土筆つくしに向かってビシッと敬礼のポーズをすると、回れ右をして井戸に向かって歩き始めた。


「あっ! 終わったら顔出すんで、部屋の片付けでもやってて下さいっす……待ってても服は脱がないっすよー」


 先ほどの仕返しとばかりにからかってみたコルレットだが、振り返って見ると土筆つくしの姿は其処そこには無く、既に立ち去っていたのだった……

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