第5話 地妖精ドニとコルレット
南西の門から南に向かって伸びる畦道を進んで行くと、生い茂る草木の向こうに目的地の宿舎が見えてくる。
畦道と言っても道幅は十分に広いので、自生する草花が通行の妨げになるような心配は不要だ。
先行していたメルが宿舎の手前まで辿り着くと、
「おー来た来た」
先ほどの不機嫌が嘘だったかのように、すこぶる上機嫌なメルが
「もぉ。女の子を待たせちゃ駄目なんだからねー」
言葉とは裏腹に楽しそうに頬を膨らませる。
控えめにごめんねのポーズを取ると、メルの横をすり抜け、メインの出入り口となる宿舎の西側の扉の前まで進み出る。
「では、早速入ろう!」
メルは飛び跳ねる勢いで片腕を突き上げると、勢いそのままに進み出ようとするのだが
「あわっあわわっ!」
全くの予想外だったのか、メルは体勢を崩してよろめいた。
「ごめん。入る前にやることがあるから、少し待って欲しい」
やがて全ての術式が書き加えられると、その色合いが淡青から淡黄へと変化し、次の瞬間、急速に魔方陣が集束し爆ぜ散った。
魔方陣の在った場所には魔力による煙霧が漂い、それが消滅し現れたのは、地面から突き出た黒茶色の片腕の様な何かしらだった。
「あっ、ドニちゃんだー。久しぶりー」
地妖精ドニもメルの事をを認識しているようで、大きく手を開いて左右に振りながら応えている。
「ドニ、呼び出しに応じてくれてありがとう。早速で申し訳ないけど、お願いした地域一帯にある石材を指定した場所に集めて欲しい。頼めるかな?」
「あぁ……ドニちゃん行っちゃったー」
隣でメルが残念そうな声を出す。
「これから毎日、荒れ地の整理をお願いするからまた会えるって」
「それもそうだねっ」
頭を撫でられ、少し恥ずかしそうな仕草をして見せたメルはそう言って頷くと、
再び宿舎の出入り口の前までやって来た
宿舎の扉はどれも年代物なので、さぞ年季の入った音を奏でてくれるのかと思いきや、意外にも音は無く、そして滑らかに開いた。
「一番乗りだーっ!」
扉が開くのと同時に、すり抜けるように入り込んだメルが勝どきを上げると、振り返りざまにしたり顔を決めて見せる。
特に動じる様子も見せない
「もう何よぉ……スルーされると恥ずかしくなるじゃないっ」
メルは今しがたの記憶を消し去るように、ほんのりと赤らめた頬に向かって両手で手うちわをするのだった……
この宿舎は中庭を取り囲むように建物が建てられており、中庭を中心に北棟、東棟、南棟、西棟とそれぞれに名称が付けられている。
地上三階建ての建築物は宿舎と呼ばれているものの、一階の外壁部分が石造りになっている為、初めて宿舎を見た人ならば、名も無き小さな砦と勘違いしてしまうかも知れない。
宿舎の間取りはとても良く考えられていて使い勝手もよく、
「まずはロビーの片付けから始めようか?」
宿舎自体は古いものの、モストン商会が丁寧に管理してくれていたお陰で宿舎内は驚くほど綺麗だ。
しかしテーブルや椅子などの備品はそのまま譲り受ける契約だった為、宿舎内に残っている全ての備品は
メルはメルで、時折訪れる誘惑イベントに惑わされそうに成りながらも何とか持ち堪え、カウンター奥に残されていた様々な備品を吟味しては選別しているようだ。
刻々と時は流れ、食堂と休憩室を兼ねたロビーの片付けが一段落した頃、
「ぴんぽーん、ぴんぽーんっ!」
その人物は、何故かこの世界には存在しない電子音が鳴る呼び鈴の音真似をし、間髪を入れずに扉の取っ手に手を掛ける。
「あれ? 開いてるやん……」
扉に鍵が掛かっていない事に気付くと、
「あっ! ツクっちとメル先輩やー……どうもー。コルレットちゃん来たっすよー」
作業の手を止めてコルレットを注視する二人に向けて、大きく手を振りながら満面の笑みでアピールしているこの女性はコルレット=ラザ=フリルと言い、こちらもメルと同じく天使である。
素性については全て彼女の自称という形になってしまうのだが、立ち位置としてはメルの後輩になるらしい。
しかし、メルが戦士として天界の陣営に加わっていたのに対し、コルレットは後方支援が専門だと話している。
正直、雲を掴むようで彼女の本性を推し量ることが出来ない状態ではあるが、
「あれー? どうしたんすか? 二人とも固まっちゃってるっすよ? もし視界に入れて貰えてないって話なら、コルレットちゃん傷心で涙ぽろぽろもんっすよー」
相変わらずな濃い目のキャラクターに若干引き気味の
「悪い悪い……あまりにも突然だったから理解するのに時間が掛かってしまった……」
「ところで今日はどうしたの?」
「どうしたもこうしたもないっすよー。今朝女神様の所にツクっちがここを購入したって報告が届いたから飛んで来たっすよー」
コルレットは両手を小刻みに上下させながら力説して見せた。
「そう言えば、この世界では契約するとその内容が女神様の元に届くんだっけ?」
「そうっす! 女神ミシエラ様はこの世界のあらゆる契約を司ってるっすよー」
コルレットは腰に手を当て踏ん反り返ると、鼻息荒く声を張り上げた。
「なんでコルレットが得意気になってるの?」
「さぁ?」
メルの至極ごもっともな疑問に
話の内容もどんどん脇道に逸れて行き、何時まで経ってもコルレットが
流石のメルも我慢の限界に達したのか、一瞬の隙を突いてコルレットの話に割って入る。
「ねぇコルレット?」
話の腰を折られる格好になったコルレットではあるが、特に気にする様子もなくメルの問い掛けに耳を傾ける。
「何すか?メル先輩」
「結局、何しに来たの?」
メルの率直過ぎる問い掛けに鼓膜を揺さぶられたコルレットは、メルを見つめたまま暫し固まってしまう。
そして天井に目線を向けた後、何かを思い出したのか納得した様子で手を打った。
「そうっす! 忘れてたっす! コルレットちゃんは井戸の状態を確認しに来たっすよー」
世紀の大発見をしてしまったと言わんばかりに目を輝かせながら、コルレットはようやく宿舎を訪ねた理由を説明するのであった……
中庭のほぼ中央には古びた井戸があるのだが、
「いやー、ビンビンっすねー」
しかしコルレットは何かを感じ取っているのか、興味深そうに井戸に視線を送っている。
「さっきツクっちにも説明したっすけど、コルレットちゃんの見立て通りなら、あの井戸の中で間違いないっす」
コルレットの説明によると、
そして、この古めかしい井戸の底には始祖と呼ばれる古代種族が地底に移り住む際に施した結界があるのだが、その結界が長い年月を経て不安定になってきた為、彼らとの盟約に従って修復を行う事になったのだ。
「まぁ、始祖とか古代種族とか結界とか小難しい言葉多いっすけど、要するに緩んだ靴紐を結び直すようなもんすっよー」
「イチ、ニッ、サン、四。五、ロク……」
所々突っ込みたくなる動きがあるものの、人を魅きつけるには十分過ぎる華麗な身のこなしに
「あっ、忘れてたっす」
コルレットは体操を一旦休止しこめかみにゲンコツを添えると、舌をぺろっと出しながら片目を瞑ってテヘペロのポーズを決め、目の前の空間に向けて円を描くように指先をクルクルと回した。
「ツクっち、これにサインして欲しいっす」
コルレットの神力に反応したのか、
「今回の件は天界からの過剰な干渉に該当するので所有者の許可が必要になるっす……って、ツクっち? どうしたっすか?」
目の前に浮かび上がる文章を、真剣な表情で一字一句読み漏らさないように確認する
「ん? だって内容を確認しないと署名できないだろ?」
この世界に転生して間もない頃、
この世界での契約は女神ミシエラの名の元に絶対的な効力を有するので、知らなかったでは済ませられないのだ。
「ツクっち……もしかして、まだあの時の事根に持ってるんすか?」
コルレットは恐る恐るパンドラの箱に手を伸ばす。
「そうだな……根に持ってないと言えば嘘になるかもな」
「そっ、それはあんまりっす……あれはツクっちがこの世界で立派に生きて行く為に仕方なくやった事っすよ? コルレットちゃんも心の中では号泣してたっすよー」
疑いの目で見る
「まぁ、今思うと確かに必要だった気もするけどね……」
「ツクっちぃぃぃ」
「それもメルから裏話を聞かなかったらの話だけど……」
和やかに語る
「一先ず問題はないみたいだな」
そんなコルレットを余所に、内容の確認を済ませた
「これで良い?」
すると、浮かんでいた光の文字達は螺旋状に渦を巻きながら発光し天高く飛んで行くのだった。
「ツクっちサンキューっす。それではコルレットちゃんは井戸の状態を調べに行くっす」
コルレットは
「あっ! 終わったら顔出すんで、部屋の片付けでもやってて下さいっす……待ってても服は脱がないっすよー」
先ほどの仕返しとばかりにからかってみたコルレットだが、振り返って見ると
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