第18話 アリオジェマの求愛
レティオール神殿とフルプレヌ小神殿を馬で往復するのは、アリオジェマでもきつかった。
それでもイシルに会えると思うと、小神殿に向かうときはどうしても馬を急かせたくなる。
反対に神殿に帰るときは後ろ髪を引かれてのんびりと帰りたくなる。一歩ずつがイシルから遠のいていると思うと切なかった。
途中で通過する町の評判のよい菓子店に寄っては、イシルへの土産にした。
町で買い物のついでに目にするウインドウの宝石を眺めて、いつかイシルの身を自分が選んだもので飾りたいと、アリオジェマは夢想した。何色が似合うかなど、夢は広がっていく。次はドレスと、果てしない。
馬をかけさせるアリオジェマの表情は、にまにまと緩んでいることが多かった。
イシルの教師役をするときには、アリオジェマはそのようなことが表に出ないように気をつけた。
それでも、笑ったり顔をしかめたり、怒ってみたり、表情豊かなイシルを見るたび、頬が緩むのだった。
『レザールさまとマルグリットにはお見通しですよね』
ある意味それは、アリオジェマの味方になってくれることでもあった。
イシルのクッキーを手渡すついでに、アリオジェマはリッシュ神官長にイシルのことを報告していた。神官長はいつも、ふむふむと聞いていた。
「ほう、そこまで癒しの力が強まっているのか。それは面白いのぉ」
したり顔の神官長に、アリオジェマはイシルについて隠したいと思うのだった。だがその一方、神官長はイシルにとって悪いことはしないという不思議な確信があった。
「このクッキーはほんに、寿命を延ばしてくれるの。心の臓の痛みが、ここしばらく楽になっていてのぅ。イシルには感謝してもし切れぬわ」
その言葉に、イシルは食べ物で神官長を味方につけたのかもしれないと、アリオジェマは考えた。
* * *
モルヴィニョン大神殿に向かう日が近づいて、アリオジェマはレティオール神殿で息を潜めて暮らしていた。
リッシュ神官長には、イシルの推薦神官になる許可をもらっていた。
だが、ナバロガン神官は、直前までアリオジェマを推薦神官にすることを諦めないだろう。ルルーがそれを執拗に望んでいるのだから。
ルルーはアリオジェマに執着していた。顔が好みだ。聖女になったら側付きにすると公言していた。
顔を合わせるたびに、ルルーはアリオジェマにすり寄ってきた。ときには抱きつくことさえある。その度にアリオジェマはなんとかルルーから離れ、頭を下げて素早く身を隠した。
フルプレヌ小神殿へ行っている間だけ、アリオジェマは緊張感から解放された。
ルルーのもつ気配が、アリオジェマは不快だった。
フルプレヌ小神殿をレザールさまとイシルが出発したと聞いて、アリオジェマも、彼らの大神殿到着の一日前にモルヴィニョン大神殿へと転移陣を飛んだ。
ナバロガン神官が気付く前に動くことができて、彼は心からほっとした。
そしてイシルに会える期待に胸を踊らせた。
「アリオ~。久しぶりね。
今回はレザールさまも来るんですって? 楽しみだわ」
アリオジェマがモルヴィニョン大神殿に到着するや、ミリアムが出迎えた。
「ミリアム、久しぶりだな。今回はよろしく頼む。
ちょうど話がしたかったんだ。忙しいだろうが、時間は取れるか?」
大聖女の侍女神官であるミリアムならば、いろんなことに融通が利く。アリオジェマは万全の体制でイシルを迎えたかった。
「その少女は、よほど素敵な人なのね」
ミリアムがアリオジェマの話を聞いて、突っ込んだ。
「アリオがそんなに熱心に人の世話を焼くのを、いままで見たことがないわ。
ねぇ、どんな人? 綺麗な人? かわいい人?」
ミリアムの勢いに、アリオジェマは頭を後ろにそらせた。
「そんなに食いつくな。
うん、綺麗な人だ、気配が」
「気配に惚れたの?」
惚れたと言われて、アリオジェマの頬が染まった。
「ほ、惚れたなど……、いや、惚れたのか……
姿をいえば、健康的でかわいい。笑うと花が咲いたように見える。声が綺麗。優しい。他人のために尽くせる人だ」
次々とででくる惚気の言葉に、ミリアムは笑った。
「はいはい、わかったわ。アリオの初恋なのね。応援するわ」
そう言われて肩を叩かれたアリオジェマは、さらに真っ赤になっていた。
* * *
モルヴィニョン大神殿でイシルと、そしてレザールさまミリアムと過ごした日々は、アリオジェマにとってとてつもなく楽しかった。
大神殿に滞在している間、推薦神官たちは大神殿での仕事を振り分けられる。アリオジェマはその合間をぬって、イシルとの時間を楽しんだ。
庭の散歩で袖が触れ合う距離を歩いても、イシルは嫌がらなかった。エスコートのように腕を差し出すと、イシルはそこに手を置いてくれた。
花を見て嬉しそうにする様子は、治療院でのピリリとした空気と真逆だった。
アリオジェマはどちらのイシルにも惹かれていた。
馬に一緒に乗ったときは、腕の中にいるイシルの香りと体の柔らかさに夢見心地になった。
このままいつまでも腕の中に閉じ込めておきたいと、何度思ったことだろう。
朝、隣の部屋からイシルが出てきて「おはよう」と言い、夜、「おやすみ」と言って隣どうしの部屋で寝ることも、アリオジェマはとても嬉しかった。レザールさまが一緒だったけれど。
逆に、レザールさまが一緒でなかったら……。アリオジェマは妄想が膨らみ始めるのを慌てて止めることもしばしばだった。
朝のまだ寝ぼけたイシルも、夜の眠そうなイシルも、とてもかわいらしかった。
* * *
聖女認定の儀を翌日に控えた夕方、アリオジェマが部屋に戻ってくると、イシルが一人で窓の外を見ていた。
「お一人ですか」
イシルはこくりとうなずいた。
アリオジェマはイシルと並んで外を見ながら、イシルの腰に軽く左手を添えた。
イシルはぴくりと体を震わせたが、何も言わなかった。ただ頬が上気した。
「明日のことで緊張していますか?」
その質問にも、イシルはこくりとうなずいた。
「もし聖女になれなかったら。そう思うとアリオにもレザールさまにもミリアムにも申し訳なくて」
イシルは顔を伏せた。
腰の左手はそのまま、アリオジェマはイシルに向き合い、右手で顔を上向け、目を合わせた。
「あなたがそのようなことを考える必要はないんですよ。そのときは、大聖女さまの見る目がなかった、ただそれだけです。
まあ、そんなことはないと信じていますけれど」
自分を信じられなくて瞳を揺らすイシルに、アリオジェマは言葉を重ねた。
「もし聖女に選ばれなかったら、神官として、私と一緒にどこかの神殿で暮らしましょうか。もしかしたらフルプレヌ小神殿で暮らせるかもしれませんし。
神官同士でも結婚はできますから」
「結婚……」
そのまま言葉を止めたイシルに、アリオジェマは甘くささやいた。
「愛しています、イシル。あなたを一目見たときから」
「あっ、あっ」
イシルの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「このいろいろが片付いたら、結婚してくれますか? 家族になりましょう」
イシルの喉は、詰まってしまったようだった。何度も唇を開け閉めして、やっと言葉が紡がれた。
「はい……、わたしもアリオのことを愛しています」
アリオジェマはイシルの顔を右手で固定したまま、そっと顔を近づけた。二人の唇が軽く触れ、すぐ離れた。
そして、アリオジェマの右手が背中に回され、もう一度触れ合った唇は、長い時間離れなかった。
「約束ですよ。明日の結果が、聖女であっても、聖女でなくても」
返事をしようとしたイシルの言葉は、もう一度触れたアリオジェマの唇の中に消えた。
レザールさまが神殿の用事をすませて部屋に入ってきたとき、イシルとアリオジェマは手を取り合ってソファーに座っていた。
その様子をみたレザールさまは、にこにこと笑って、黙ってお茶を用意してくれた。
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