第12話 モルヴィニョン大神殿の次期大聖女

 イシルは大神殿の神官たちが住んでいる北棟に部屋を与えられ、そこに落ち着いた。


 もともと大聖女の若い侍女であったカルネラ神官は、ひきつづき大聖女の侍女に加えてイシルの侍女もするようになった。大聖女の交代のときには、カルネラ神官が侍女頭を務める予定だ。


 イシルの侍女にもうひとり、イシルと同じ年のジュリア・ラッティ神官がついた。

 年代が上のカルネラ神官がイシルにミリアムと呼ばせているのを聞いて、ラッティ神官もジュリアと呼ぶようにと言って譲らなかった。


 イシルにとっては恐れ多いことに、大聖女エリア・ラフィネもまた、エリアと呼んでもらうことにこだわった。

「だってその方が、家族みたいな感じがしていいじゃない」

チャーミングに微笑みながら、大聖女はそう言うのだった。

 イシルは根負けし、エリアさまと呼ぶことで妥協してもらった。



 ノブルム神官とオネット神官は、大神殿を去っていた。

「少しの間だけのおいとまです。また会いしましょう、イシル

 それまで私を忘れないでくださいね。きっとですよ。

 ああ、手紙を送る魔法をきちんと覚えておけばよかった。そしてイシルにも教えておけば……」

「フルプレヌで待っていますよ」

 イシルは、手紙の魔法を覚えて手紙を送るとオネット神官に誓い、またフルプレヌに行くとノブルム神官に言った。


 二人との別れは寂しかったが、忙しい毎日でその気持ちも忘れていった。


 約束通りイシルは手紙を送る魔法を覚えて、オネット神官とノブルム神官に送った。デザラ夫妻あての手紙も、ノブルム神官に託した。

 オネット神官やノブルム神官からも、手紙が届いた。

 忙しい中での手紙のやりとりは、イシルの気持ちの安定剤になった。



 次期大聖女の一日の活動は、大聖女に準じて行われる。


 朝と晩、奥殿にて祈る。神さま一柱ずつの前で丁寧に祈るのだった。

 イシルは次第に、それぞれの神さまの出しているキラキラの違いがわかるようになった。見えるものだけでなく、肌で捉えられるものも違っていた。


 そんなことをラフィネ大聖女に話すと、彼女はイシルの話を喜んで聞いてくれた。

 この大神殿では、大聖女が神さまや人の見えないものの違いを一番わかっていた。大神官をはじめとして他の神官もわかるのだが、繊細さは大聖女の比ではなかった。

 だからこその大聖女とも言える。


 大聖女はイシルの話を詳しく聞き、大聖女が感じていることも話し、擦り合わせていった。そこにある共通の認識から、代々大聖女が伝えてきたいろいろなものを見分ける判断基準が浮かんでくる。

 大聖女はイシルにそれを、時間をかけて教えた。



 イシルは大神殿の治療院もまた任された。数日のうちの一日を大聖女が治療しているのだが、イシルの日がもう一日加わった。

 いままでフルプレヌ小神殿で治療していたように、癒しの力をイシルは使った。神さまの力が細かくわかるようになるにつれ、患者に必要な癒しの力や治療についても、適切に判断し使えるようになった。


 またイシルは、ラフィネ大聖女の治療を積極的に見学した。手伝いが必要なときは、手を貸した。

 大聖女の治療の力の流れを、イシルはわかるようになっていった。

 それにつれ、イシルの治癒の力も増していった。



 * * *



 ある日、ラフィネ大聖女の元に一人の患者が運ばれてきた。苦しみもがいているのだが、怪我は見当たらなかった。


 すぐ側に控えていたイシルに、大聖女は尋ねた。

「イシルには何が見える?」

 イシルはその患者を観察したが、外も内も何も見えなかった。ただ、気持ち悪い感覚があった。


 そう言うイシルに大聖女は、自分が今いる神さまの御許から降りてくるように言った。梯子を降りるようにイメージしてみろと。イシルはそれを実行した。


「あ……」

 先ほど何も見えなかった患者の体全体に、黒いものがべったりと大量についていた。

「中の観察も怠らないで」

そう言われて体内を覗いたら、そこもまた黒いものがうようよと見えた。


「見えた? さてどうすればいい?」

ラフィネ大聖女の言葉に、イシルは自分の中から答えを探した。

「この黒いものを光で浄化します」

大聖女がうなずくのを待って、イシルは手をかざした。

「変化を確認しながらね。体の中も忘れずに」


 光を当てると黒いものが変化し、それに合わせて、手から発する光も変化していくのがイシルにもわかった。

 体内を意識すると、そこの黒いものも徐々に消滅していった。


 黒いものがなくなったのを確認して、最後に全身に光を当ててから、イシルは顔をあげた。

「よくやったわね」

大聖女はイシルに声をかけた。

「そのままの感覚で、最後まで周りを観察してみて」

そう言って、ラフィネ大聖女は治療に戻った。



 その後イシルは、大聖女から説明を受けた。


 イシルがキラキラと言っている見えない世界は、神さまに近い世界だった。今日見た黒いものは、もっと低い世界だということだった。

 そこには、人の欲やエゴがある。嫉妬や恨み怒りが黒いものになって人につくのだった。

「神に近い世界を見ることができる人は、低い世界も見ることができるの。

 欲やエゴにまみれている世界を普段から見る人は、見ようと思っても神に近い世界は見られないのよ」


 イシルはルルーが見ている世界を思い出した。

「ルルーは……」

「あなたの妹だったわね。彼女がどんな世界を見ていたか知っている?

 あの子の世界は低かったわ。あの子も欲まみれね。

 それでも、あの子は聖女なの。黒いものが見えるからこそ、それに対処することができるのよ」


「でも、黒いものを自分の都合のよいようにコントロールしていました。それっていいのでしょうか」

 イシルは自分が不安に感じていることを吐き出した。

「そうね。だからこそ大聖女にはなれないの。

 ルルーの操れるものが低いために、患者や、世の中の人々が不都合をこうむることがあるわ。神殿の神官や大神官、そしてわたしとあなたが抑えるのよ」

 イシルはそれを聞いて、うっと詰まった。


 ラフィネ大聖女は、うふふと笑った。

「知っているわよ、あなたとルルーのこと。

 あなたはこれから大聖女と呼ばれるようになるの。それまでには公の顔で威厳を保てるようにならないとね。

 もちろんプライベートな部分は今のままでいいのよ。

 大丈夫、あなたならできるわ」


 そう言ったラフィネ大聖女のエリアとしてのプライベートな顔は、とても親しみやすいものだった。



ある日の勉強の合間の休憩中、

「甘いものが食べたくなったら、厨房のヤムに頼んだら何か用意してくれるわよ。

 木の上で食べるのが最高よ」

ラフィネ大聖女がイシルに教えると、その横でカルネラ神官がため息をついた。


「エリアさま、木から落ちないようにしてくださいね」

どんなやんちゃなことでもエリアが言い出したらやりとげることを、彼女はわかっていた。

「はいエリアさま、お伴します」

イシルはそんな大聖女に戸惑いながらも、従った。

「それではそのときには飲み物を確保しますね」

ラッティ神官ものりのりだった。



 大聖女とわからないように変装して街に出て、公園で遊んだり買い物したり買い食いしたりすることも、大聖女がイシルに教えた。


 そんなときには、大聖女は

「オネット神官はどんなのが好きかしら」

「オネット神官はどれを選ぶかしら」

「オネット神官はどれが似合うと言うかしら」

と、イシルをからかうのが定番だった。

 イシルがそれを聞いて真っ赤になるので、大聖女はよけいにオネット神官のことを話題にした。



 ラフィネ大聖女の指導は厳しかったが、イシルを大切に見守ってくれた。そんな大聖女を、イシルも慕った。家族にダメ姉扱いされて家族ではないように扱われて育ったイシルには、大聖女が母のような存在になった。

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