第8話 モルヴィニョン大神殿

 半日の休暇をもらってコトー村に戻ってきたイシルは、いつも一人で過ごしていた小さな川のほとりにいた。


『まあ、しばらくイシルには会えないのね』

川面にキラキラとした光を瞬かせながら、リュイは寂しそうな声を響かせた。

『またおまえがこうやってわたしの足元に座って、おまえの経験してきたことを話してくれるのを待っている』

さらさらと柳の葉を揺らしてキラキラを舞い散らせながら、ソールが言った。


「あなたたちがいたから、わたしは子どもの頃から耐えてこられたの……

 戻ってくるわ」



 * * *



 イシルはノブルム神官と一緒に、馬車でモルヴィニョン大神殿へと向かっていた。あちらでオネット神官と合流する予定だった。

 なんのために行くのか、イシルは尋ねたが、教えてもらえなかった。アリオが説明するからとノブルム神官は言っただけだった。


「こんなときじゃないと大都市を見る機会はありませんからね。

 おいしいだけではなく綺麗なお菓子があるのですよ。一緒にたべましょうね。こちらでは食べられませんから」

「うらやましいわ。わたしもついていきたい」

ノブルム夫妻にそう言われても、イシルは気が乗らなかった。


『この町で満足よ。フルプレヌ町とコトー村。

 大好きな人たちがいるそれが、わたしのすべて。それだけでいいの』

 そんなことを考えているイシルを、ノブルム夫婦は必死で説得した。根負けし、今、イシルは馬車に揺られている。


「イシル、すみませんね。フルプレヌ小神殿に転移陣があればモルヴィニョン大神殿まですぐだったのですか。

 大神殿と神殿には転移陣があるのですが、小神殿までは置かれていないのです」

「え、転移陣って……」

「ああ、このことは教えていませんでしたね」

と、ノブルム神官続けた。


「これは最初にお話しましたけれど……。

 我がフルプレヌは小神殿。小神殿は神官が一人だけの神殿です。わかりやすいように通称で小神殿と言われています。人々が神と近い気持ちでいられるように、国中に散らばっています。

 レティオール神殿は、神官が複数いる神殿です。いろいろと大掛かりなことは、このような神殿が受け持ちます。ナバロガンもアリオもレティオール神殿の神官ですが、他にも数名神官がいます。ここの責任者が神官長です」

覚えているかと問いかけるように、ノブルム神官は言葉を切って、イシルを見た。

 イシルはこっくりとうなずいた。


「それらを取りまとめるのが大神殿です。この国にはただ一つ、モルヴィニョン大神殿だけです。

 ここには大神官と大聖女、そして多くの神官が勤めています。

 ああ、神官には女性もいることは知ってますよね。大聖女には女性の神官が侍女としてつきます。

 小神殿は地域の人々に近いために神殿より軽視されることが多いです。が、あくまで通称であるように、本来の姿は大神殿が頂点で、その下にすべての神殿が同じ扱いです。

 まあ、実際は」

言葉をとぎれさせて、皮肉な笑みがノブルム神官の表情に浮かんだ。


「と、ここまでが復習ですね。

 転移陣は、大神殿と小がつかない神殿に置かれています。神殿間を自由に行き来するためです。

 それを使うと、一瞬で移動ができるのですよ。馬車一台くらいは一度に移動できます。

 小神殿は数が多く神官が一人しかいないためか、除外されています。ですので、私たちはこうやって七日間かけて馬車で向かっているわけです」


「レティオール神殿でオネット神官と合流して、一緒に行くのでは」

「そういう方法もあるのですが」

と、そこで言葉を切り、ノブルム神官は首を振った。

「アリオから直接モルヴィニョン大神殿に向かうように言われたのです。

 レティオール神殿からはナバロガン神官が大神殿に向かうことに決まったようで。

 私はナバロガン神官とは相性が悪いのですよ」

大袈裟に嫌そうに顔をしかめたノブルム神官の表情に、イシルは声をたてて笑った。

「わたしも、ナバロガン神官は苦手です」

「それは気が合いますね」

と、ノブルム神官も笑い声を出した。


「他の神殿からも人が行くのですか」

「そうですね。何人もいますし、それぞれ滞在場所も違いますから、ナバロガン神官とはほとんど話さずに済みますよ。私も極力視界に入らないように努力しますし。

 一緒にかくれんぼしましょうね」

 まるで何か企む同志のように瞳を煌かせたあと、彼は別の話題へと切り替えた。

 イシルも、大神殿でオネット神官に聞けばわかると、それ以上質問することはやめた。


 通過する小神殿で世話になりながら、馬車は大都市モルヴィニョンへと走った。

「アリオほどではなくても私も強いので、安心してくださいね」

と杖を見せてノブルム神官は言ったが、ありがたいことにその出番はなかった。



 * * *



 モルヴィニョン大神殿のあるモルヴィニョンは、この国の首都だ。

 街に入ってから一時間馬車で走ってもモルヴィニョン大神殿にたどり着かないのは、イシルにとって信じられないことだった。


 大都市の入り口である門の手前からすでに、雑多な建物が所狭しと並んでいた。街道の両側だけでなく路地にも、馬車から見える限り建物が広がっていた。


 ノブルム神官が窓から何かを見せて、門はスムーズに通ることができた。門を抜けた先には、高い建物がずらり並んでいた。

 馬車はガラガラと音を立てて石畳を走っていく。いくら走っても、建物は続いていた。



「フルプレヌ町とは全然違うでしょう」

ノブルム神官の問いに、イシルはこくりとうなずいた。彼女は圧倒されていた。


「門に入る手前は、街から溢れた人たちが自然発生的に作った場所です。正確にはモルヴィニョン街は外壁で囲まれた部分、門の内側を指します。

 建物が、ゴミゴミとした雰囲気から徐々に落ち着いた雰囲気に変わっているでしょう。このあたりは、暮らしに余裕がある人たちの住まいになっています。私たちは南門から入ったのですが、別の門から入ると、工業街もありますよ。

 これから商店街に入り、その先は裕福な家族の家や各地域の富豪の別荘、そして国とこの街の政の建物が固まっています。

 その境目には、大きな公園があるんですよ。それがこの街の中央です。

 そして中央からさらに北に、私たちの目的地、モルヴィニョン大神殿があります」


 道の先に緑が見えた。イシルはほうっと吐息を吐いた。気づかないうちに、息を詰めていたようだった。

「ずっと圧迫感があったのですが、緑があると生き返りますね」

「そうですね」

内緒のように体を近づけて、ノブルム神官はしてやったりという顔をした。

「実は、建物は必ず中庭を囲って建てられているのですよ。ですから緑がないわけではないのです。

 あなたなら、感じられるでしょう」


 イシルは固まって建つ建物に意識を向けた。その真ん中から、微かなきらめきがふわりふわりと立ち上っている。

「ああ、本当ですね。木々が日を浴びて喜んでいます」

そうでしょうと言うように、ノブルム神官は目を細めた。


 南門からの道を横切るように作られた大きな公園は、そのまま道に沿って北に伸びていた。その重なる部分に、大きな噴水がある。

 そこから道は、公園を挟んで二本並んで走っている。


 公園は、木々が生い茂り花々が咲き乱れていた。ふわふわと淡い光があちこちで踊っている。ここに生えているものは皆、生き生きとしていた。

 馬車は、噴水を大きく迂回し、公園の横をまっすぐ進む道に沿って、さらに北へと進んだ。



 しばらく経つと、イシルはノブルム神官に窓から前方を覗くように言われた。

 その景色に、イシルは息をのんだ。


 道の先に門があり、その両側に白い壁が続いている。門の向こうには建物の屋根が光っている。

 門の中はキラキラと光り輝いている。その光は空中を舞い、開いた門から溢れ出て、街へと広がっていた。


「すごい。小神殿もキラキラでしたが、大神殿はその何倍もキラキラですね」

「そうですね。神様はどこにでもいらっしゃいますが、大神官や大聖女がいらっしゃるのは、大神殿ですからね」

 キラキラと言うイシルにノブルム神官はうんうんとうなずいた。

 彼は、イシルが言うキラキラは見えなかったが、清浄なものを捉えることができた。ノブルム神官にはそれは空気の透明度に感じられた。

 ノブルム神官は、自身が捉えているものとイシルのキラキラが同じものであると確信していた。


 馬車は大神殿の門を入り、中央に真っ白に聳え立つ巨大な建物の真ん中の扉の前で停まった。

 二人は馬車を降り、ノブルム神官は、扉を衛るように立っていた人の一人に声をかけた。


 それほど待たずに、神官の格好をした女性が一人現れた。

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