第7話 イシルは兼業中

 デザラ菓子店の休みの日や菓子店が早く閉まった日に、イシルは小神殿に通った。ノブルム神官はいつでもイシルを快く迎えてくれた。

 デザラ夫妻も神殿に貢献ができると、快くイシルを送り出した。


 イシルは小神殿に来るとすぐに、男神と女神の像に手を合わせる。

「いつもありがとうございます」

そう唱えると、神様の像のキラキラが増えるようにイシルは感じられた。


 この国では、二柱の神様の他にも、さまざまな神様が信仰されている。小神殿でも、二柱の神の両側や左右の壁の前に、神々の像が鎮座していた。


 ノブルム神官からイシルは、それらの神の正式名称と恩恵についてだけでなく、神殿のあり方や、神殿での作法や行事のいろいろについて習った。

 国のあり方について学んでいたときは、イシルは神殿と関係はないのにと感じたのだが、国と神殿の深い繋がりにも気づくことができた。


 やがて多くの祝詞を唱えることができるようになり、神の恩恵で人が使える力についても理解し少しずつ力をふるえるようになった。



 月に一回ほど、オネット神官がフルプレヌ小神殿を訪ねた。あまり時間がとれないからと、馬車を使わずに一人で馬で通っていた。


 護衛もつけずに途中危険ではないのかとイシルが聞いたら、

「わたしは強いのですよ」

と、オネット神官はさわやかに答えてくれた。

 そのついでのように、彼の手がイシルの頭に乗せられ、さらさらと髪を撫でた。


 ひょろりと背が高く、力仕事の使用人に囲まれて育ったイシルから見ると都会の優男だったが、オネット神官は見た目とは違うようだった。


 あるときイシルは、どうやって敵を倒すのかオネット神官に聞いた。

「これを使うのです」

オネット神官の手には、腕の長さくらいの杖が握られていた。杖の先端は木の瘤のように丸まっていて、その中に赤と青の石が一つずつはめ込まれていた。

 オネット神官は庭に移動して杖を振り回して、

「これで敵をぶん殴ります」

と笑った。


 彼はさらに自分の顔の前に杖を構えた。

「こんなこともできるのですよ」

片手で近くの岩に向けた杖から火が吹き出し、岩の表面を焼いた。次には水が吹き出し、熱せられていた岩はあっという間に水浸しになった。


「私は癒しの魔法よりも、攻撃魔法の方が得意なのです。

 危険を感じたときはお知らせください。イシル、あなたに怪我ひとつさせないと誓いましょう」

 オネット神官はそういうと、大げさな動作でイシルの手を取って、甲に唇を落とす真似をした。唇はイシルの手に触れなかったが、それでも彼女は真っ赤になって下を向いた。

 そんなイシルを、オネット神官は嬉しそうに眺めていた。



 オネット神官が神殿に滞在している間は、イシルはシュクル店主にお願いして菓子店を休んで、オネット神官から直接いろんなことを学んだ。

「ここに来るとイシルがいてくれる。私のささくれだった心は、イシルの笑顔で癒されます」

そう言うオネット神官に、イシルは神殿に勤めているのに心がささくれ立つのは何故だろうと不思議そうに首を傾げた。そう聞いてみても、オネット神官は「あなたはまだ知らなくてよいのですよ」と微笑むだけだった。

 そんな二人を、ノブルム神官はにやにやしながら見守っていた。



 一年経つ頃には、イシルは小神殿でノブルム神官の祭祀を手伝い、癒しの力をふるうまでになっていた。


 ノブルム神官は、小神殿で医者にかかれない怪我や病気の人のための治療院を開いていた。

 彼は医術の知識が深かった。その知識で治療したり、必要なときは回復のために癒しの力を使ったり。ノブルム神官の奥様のマルグリットも助手として活躍していた。


 ノブルム神官は治療費を請求しなかったが、彼のおかげで治った人たちは、庭で採れた野菜や、近くの山で獲った山鳥、数日こつこつと貯めたお金などで無理のない範囲で支払っていた。中には治療費の代わりに小宮殿の補修や庭の手入れをしてくれる人もいた。

 たまたま医者が匙を投げたお金持ちが治療院で治って大金を寄付してくれたり、ノブルム神官を崇拝する町の人たちが善意の寄付をしてくれたりで、治療院は続けられていた。



 イシルは、数日おきに小神殿でノブルム神官の治療の手伝いをしていた。


 治るまで長くかかる怪我や、寝込むほどの病気の者が、小神殿にイシルがいると知ると担がれてくる。イシルはその人たちに祝福を与え、癒した。


「イシルちゃんのクッキーを食べるようになってから風邪をひかなくなったんだけどね、さすがに怪我は防げなかったな。ありがとうよ」

常連のおじさんはそう言って、傷が塞がり痛みが消えた手で、イシルの頭を撫でた。

「またお店でクッキー買ってくださいね」

イシルも髪をくしゃくしゃにされながら、軽口で応えた。


 足を折って大量の出血をしながら運び込まれた人が、傷を塞いで歩けるようになったのを確認して明日からまた仕事に行くと言ったときには、イシルは声を荒げた。

「何をバカなことを言っているんです。まだめまいがするでしょう。

 血をいっぱい失ったんです。今日明日はゆっくりと休んでいっぱい食事をしてください。

 お仕事に行くのは、めまいがなくなってからですよ」

イシルに怒られた人は、しゅんとしながらもきちんとイシルの話を聞いていた。



 治療の間のほんとのちょっとの時間、オネット神官とイシルは、休憩用にしている部屋のソファーで向かい合っていた。テーブルには、お茶の他にイシルのクッキーとオネット神官のお土産の菓子が乗っている。


 オネット神官は、フルプレヌ小神殿を訪れるときは必ず何か甘いものを持ってきてくれた。イシルが気に入ったものは、また次にも持ってきてくれた。それは、オネット神官が帰った後、デザラ夫妻に味見してもらうほどあった。

 デザラ夫妻は目新しいそれを、いつも分析しながら食べていた。そしてデザラ菓子店に新メニューが誕生するのだった。


「イシルは、あっという間に癒しの技を身につけましたね」

レティオール街から一日以上かけてやってきたオネット神官が褒めてくれるのが、イシルは嬉しい。

『がんばってよかった』

イシルは頬を赤くした。


「癒しの前に、目の前の患者がどういう状態かよく観察するのが、これからの課題ですね。

 先程の患者ですが……」

表情も言葉も優しいが、オネット神官の指導は厳しい。イシルのちょっとした気の緩みも容赦無く突いてくる。

「はい」

イシルは顔を引き締め治療に向かい、ノブルム夫妻と交代した。



 イシルが患者を観察し、オネット神官がその内容を書き取っていく。


「お二人さん、いつもお似合いだね」

持病でよく治療院を訪れる人が、二人をからかった。

「そうでしょう。もっと言ってやってください。

 私は彼女をいつも口説いているのですが、全然相手にしてくれないんですよ」

オネット神官の軽口に、イシルは赤くなった頬をパタパタと仰いだ。

「早く結婚するといいさ。

 神官さまだって、聖女さまだって結婚するんだ。イシルちゃんも結婚したって、ずっと俺らを診てくれるんだろう」


「そんなことを言えるようだったら、今日の治療はいらないですね」

イシルは照れ隠しに患者に言った。

「そんなこと言わないで、診てくれよう」

と患者が弱音を吐いたので、イシルは笑って治療を続けた。

 痛みをごまかすための軽口だと、イシルも本当はわかっていた。


『それでもオネット神官とお似合いだなんて、ありえないこと言わなくてもいいのに』

イシルはそう思った。

 そんな自分をオネット神官が優しい瞳で見つめていることに、イシルは気づいていなかった。



 イシルは大抵の怪我も病気も治した。小神殿とイシルの評判は、次第に広がって行った。

 徐々に押しかける人が増えてきたが、ノブルム神官や奥さんのマルグリットがそれを上手にさばいた。

 物見遊山の人は追い返し、治癒力を高めた方がいい人はノブルム神官が癒し、医者の処置が適切な人は医者へと回した。


 そしてノブルム神官はイシルに、小神殿以外では身内以外の治療を絶対するなと、口うるさく言った。治療院の患者たちにも、イシルの治療はここだけで受けられると徹底した。

 おかげで、イシルも小神殿以外での治療を断ることができ、デザラ菓子店に病人が押しかけることもなかった。



 デザラ菓子店のクッキーの評判も高まり、イシルは菓子店でも忙しく過ごしていた。


 イシルが菓子店と小神殿の往復だけの毎日になると、ファリーヌ奥さんはイシルの友だちに連絡をして、イシルを町の買い物に行かせたり、ピクニックに町の郊外まで行かせたり、強制的に休ませた。

「人生楽しんでなんぼだよ」

感謝の言葉を言うイシルに、ファリーヌはもっと休んで遊べと言うのだった。

 おかげで、小神殿で治療のないときに菓子店を早めに抜けて、コトー村の見えない友人たちと会う時間もイシルはとることができた。



 そんな感じで、フルプレヌ町に来たイシルは毎日を楽しんだ。



 先に家を出てしまい、家を綺麗にして明け渡すんだよと言っただけで別れの言葉もなかった両親とは、それ以来音信不通だった。

 ルルーのいるレティオール神殿から来るオネット神官も、ルルーについて一言も話すことはなかった。

 イシルの気持ちは家族から離れていたので、消息を聞きたいとも思わなかった。


 菓子店と小神殿と友人と、イシルの心はそれだけで占められていた。

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