第6話 はじめての一人暮らし
「イシルちゃん、クッキー二つね」
「はい。いつもありがとうございます」
「きゅぅぅぅ、いいねぇ、イシルちゃんの笑顔。今日もおじさんは癒されちゃったよ」
常連のおじさんが、クッキーを二袋買っていった。子どもへのお土産にするのだと、たまに寄ってくれる。一袋は自分が食べるんだと言いながら、イシルへのウィンクも欠かさない。
イシルはフルプレヌ町のデザラ菓子店で働き始めた。菓子を焼く手伝いをしたり、販売したり、できることはなんでもする。
学校に通っていたとき、友人と食べるためにたまにクッキーを焼いて持って行っていた。それが美味しかったと友人がここを紹介してくれたのだった。
店主夫婦は、店の三階の屋根裏部屋もイシルに貸してくれた。
家を追い出されたイシルは、フルプレヌ町に住む友人を頼った。友人の数は少なかったが、みんな親身になって仕事と住まいを探してくれた。
「イシルだから安心して紹介できるわ」
そう言ってくれる友人の言葉が、イシルは嬉しかった。
紹介されたときに「クッキーの美味しさは太鼓判」と言った友人のおかげで、クッキーの試し焼きをさせてもらえて、店のクッキーをすぐに任された。
イシルは嬉しかったけども、同時に責任がのしかかって苦しくなった。
お客様がイシルのクッキーを喜んで買ってくれて、今までよりクッキーの売り上げがいいと店主のシュクルさんに言ってもらえて、やっとイシルはホッとできた。
「イシルちゃんのクッキーを食べると、なんか元気になるのよね」
「また働こうという気になるよな」
お客様からそう言われることも増えてきた。
「ここに来てイシルちゃんの笑顔を見ただけで、腰の痛みがとれるよ」
そんなおばあさんもいた。
「イシルちゃんが来てから、お客さんが増えたわねぇ」
シュクル店主の奥さんのファリーヌさんの嬉しそうな声に、そこにいた常連さんも、
「そりゃイシルちゃんだから」
と訳のわからない賛同をしていた。
デザラ夫妻はまかないだと言って、イシルにも食事を振る舞った。
昼は交代だが、店を開ける前の朝食と店を閉めたあとの夕食は三人一緒に食べた。
デザラ菓子店で働き始めてから、イシルは家族団欒の中に入る心地よさを初めて味わった。
* * *
フルプレヌ町に来て一ヶ月、イシルは神官からフルプレヌ小神殿に行くように言われたことをやっと思い出した。
『たしか、オネット神官だったかな』
町の中心にあるフルプレヌ小神殿に向かいながら、イシルは記憶を掘り起こしていた。
自分を見つめる綺麗な瞳と、彼のまわりのキラキラが思い起こされる。
デザラ菓子店から歩いて着いたフルプレヌ小神殿は、小さいが綺麗な建物だった。
木でできた建物の上には緑の三角屋根がのっている。扉の上、その屋根に囲われた壁には、複雑な枠で囲まれた色ガラスの窓がはめてあった。正面扉は細かい彫り物がされていて、片側が開いている。
イシルは、小神殿の中が舞い踊るキラキラで埋め尽くされているように見えた。小神殿自体も、建物ごと光って見えたが、小神殿の中はさらに輝いていた。
こんなにキラキラしているのを、イシルは初めて見た。
開いた扉を入ると、正面に神の像があった。この国で広く信仰されている男神と女神。
『この国は二柱の神に護られている。男神は挑戦を司り、女神は癒しを司る』
イシルは学校で先生が教えてくれたことを思い出した。
キラキラが二柱の周りには他よりもいっぱい集まっていた。
「うわぁ」
キラキラに魅入られるようにイシルは足を止めて、二柱の像を、そして小神殿の天井を見上げた。そこには光の玉がいくつもふわふわと浮かんでいた。
「どうぞ。ご遠慮せず中へ」
そこにいた男性が、立ち止まったイシルに声をかけた。
「あの、神官さまにお目どおりを願いたいのですが。イシル・プレリアと申します。……オネット神官さまに言われて……」
学校で習った改まった言葉を思い出したことに、イシルはホッとしていた。小神殿の人だったら、失礼なことはしたくなかった。
すぐに中年の神官が現れた。
「お話は伺っています。どうぞ」
彼は、神殿の右横の扉から、廊下へと案内し、さらに小部屋に入った。
廊下もキラキラしていて、イシルはつい見回してしてしまった。それを神官は微笑んで見ていた。
「私はレザール・ノブルムと言います。イシル・プレリアさまですね」
勧められるまま向かい合って座ったイシルに、ノブルム神官は話を始めた。
「ようこそフルプレヌ小神殿へいらっしゃいました。
オネット神官は私の後輩でしてね。モルヴィニョン大神殿とレティオール神殿でともに勤めたことがあるのです。
私がここにいるからと、イシルさまを小神殿にお誘いしたのですよ、あれは。彼ができなかったことを私にさせようと。
あなたにお会いして、私も彼と同じことを感じました。あなたには私たちの知識をぜひとも注ぎ込みたい。
そして成長したあなたがとても楽しみですよ。
ああ、イシルさまはどのように輝かれるのでしょうか」
一気に言われた情報に追いつかないまま、イシルは一番最初に身がすくんだことについて話した。
「あの、わたしは『さま』と呼ばれるようなものではありませんので、どうぞ呼び捨てでお願いします。ノブルム神官さま」
「……できればイシルさまとお呼びしたいのですが。
それでは、イシルさんでよろしいですか? もちろん、私のこともノブルムと呼び捨ててくださいね。ああ、レザールと名前の方の呼び捨てでも構いませんよ」
にっこりとそう言うノブルム神官に、イシルは、両手を前に出して『イヤイヤ、まさか』横に振り
「ノブルム神官さん」
と言って、彼に首を振られ、
「ノブルム神官」
と言って、しぶしぶ了解をもらった。
レザール・ノブルム神官は、レザールと呼ばれる気満々だったのだが、目の前で真っ赤になって首を振るイシルに、妥協したのだった。
ノブルム神官は、初対面のイシルがもうすでに可愛くて仕方がなかった。
あっという間にノブルム神官はイシルと親しげに呼び捨てにするようになるが、イシルはそれでも親愛を込めてノブルム神官と呼んだ。
「アリオ、あ、オネットはアリオジェマと言うのですが、アリオに頼まれたのは、あなたの指導をして欲しいということでした」
目を丸くして見つめるイシルに微笑んで、ノブルム神官は続けた。
「学校に通っていらしたと伺っています。成績も良かったようですね。
ですので、一般的なことはすでに身についていると判断しています。
私がアリオに頼まれたのは、もっと専門的なこと。まあ、小神殿で教えるので、神様のことと考えてくだされば良いでしょう」
「なぜわたしが、それをノブルム神官から教わるのでしょう」
「アリオが、あなたが覚えた方がいいと判断したからです。私もアリオの判断を肯定します」
ノブルム神官は、イシルの周りの清浄な気を捉えることができた。小神殿の中にいてさえ、それは清々しく感じられる。
少し前に会ったイシルの妹だというルルーの穢れたような気配とは真逆だった。同じ家に住んでいた姉妹だというのに不思議なことだと、ノブルム神官は思った。
専門的なことを学べるというノブルム神官の説明に、イシルは抑えこんでいたもっと学びたいという気持ちを思い出した。
新しいことはなんでも、イシルをワクワクさせた。
それでも、イシルには問題があった。
「あの、わたし、一人で暮らしていかなくてはならなくて、お金がなくて」
イシルの小さな声に、ノブルムは机の上に乗っていたイシルの両手をとった。
「大丈夫です。あなたは時間を作ってこの小神殿に来てくださるだけで結構です。
今お仕事をしているなら、その空いている時間だけで。朝でも夜でも構いません。
それにもし必要なものがあるときは、すべてアリオから分捕りますから」
ノブルム神官は、両手をとられて固まっているイシルに、ウインクをひとつした。
「学びに通ってくださいますか、イシルさん」
ノブルム神官の手はあたたかかった。男性に手をとられて普通なら緊張するところだが、イシルは彼のウインクと優しい微笑みに、次第に緊張が抜けた。
「はい」
いつのまにかイシルはそう返事をしていた。
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