第5話 聖女候補ルルー
ルルーやイシルのプレリア家は神殿にお参りする習慣がなく、ルルーはフルプレヌ小神殿に初めて足を踏み入れた。
小神殿に入って正面に二柱の像があった。
『ふーん、神様の像かしら。男と女ね。顔がぼんやりしていて、なんか変。
この神殿も古臭いし。なんかいるだけでわたしも古臭い女になっちゃいそう』
ルルーはそんな感想を持ちながら、きょろきょろしていた。
「お待ちしておりました。どうぞ」
神の像の横に控える神官に父セーヴが名前を告げると、彼は右脇にある扉を開け、中へ招いた。
廊下がつながっており、その両側に簡素な扉が並んでいた。
「こちらです」
開かれた扉の中には、すでに昨日家に来た二人の神官が座っていた。
奥の窓を背にしたナバロガン神官は一人がけの椅子に座ったままこちらを向き、オネット神官が立ち上がって三人を迎え、手前に空いていたソファーに座らせた。ルルーはきょろきょろと周りを見回しながら両親に挟まれてそこに座った。
案内してきたこの小神殿のノブルム神官は、扉の横に控えた。
オネット神官は、ナバロガン神官の横の椅子に座ってプレリア一家に向き合った。ルルーは初めてオネット神官を見て、そのまま吸い寄せられたように彼を見つめた。
オネット神官は、プレリア家を訪ねたときと同じ質問をした。
ルルーはオネット神官と目があって、ほんのりと顔を染めた。彼女にとっては見たこともない整った顔の男性だった。
「はい、他の人が見えないものが見えます。それであと少しで死んでしまう人がわかったり、怖いことをしようとしている人がわかったりしました」
「ふむ。これは聖女かもしれぬな」
ナバロガン神官はニヤニヤしながらオネット神官に言った。
そう言われてルルーはナバロガン神官を見た。
彼女の目にはナバロガン神官は、彼女が好むくらいの黒いものに覆われ、中に赤黒いものや焦茶のものが少し混じっているように見える。
『ニヤニヤと笑う気持ち悪いオヤジだけど、話は合いそうね』
彼女はそう思った。
ルルーはオネット神官に目を移した。彼の周りには黒いものは全然見えなかった。
『お姉ちゃんと同じ、つまらない人かしら。でもハンサムだから見ているだけでもいいよね』
ルルーの視線はオネット神官から離れなかった。
何気なく視線が合ったとき、彼女の頬がまた染まった。そのまま彼の視線がそれていっても、ルルーの頬の赤みはとれなかった。
ルルーは、二人の神官のいるレティオール神殿で数年修行をして、その後モルヴィニョン大神殿にて聖女認定の儀を受けることになった。
レティオール街は、遠い。両親はかわいいルルーを手放すのを渋った。
「まだルルーは十二歳です。一人で行かせるのは可哀想です」
ルルーをすぐに連れ帰りたい神官たちは、両親に譲歩した。
住むのは神殿だが、月に何回かある休日にはルルーが両親と会うのを許した。ただ休日は決まっていない。馬車で何日もかかるレティオール街に、両親がコトー村から通うのは無理だった。
両親は、レティオール街に移住することに決めた。小さなアパートと仕事を神殿が斡旋してくれることになった。ルルーが聖女候補だからこその計らいであった。
コトー村の土地と家は貸すことになった。
両親は、アパートの手配が住み次第移住することにし、先にルルーだけ神殿に行くことが決まった。
ルルーはその話をぼんやりと聞いていた。
『別に一人でも大丈夫なのに。この綺麗なオネット神官の顔をときどき見れたらそれだけで。
都会だし、きっと他にもハンサムな人がいっぱいいるよね。
この古臭い神殿に住むのじゃなくて、ほんとよかった』
ルルーは、新しいところでも、今と同じようにちやほやされるのだと信じ切っていた。自分は特別だから優しくしてもらって当たり前、自分の思っている通りにものごとが進んで当然だと思い込んでいた。
彼女の頭の中には、にっこり笑って手ずから果物を差し出すオネット神官の姿まで浮かんでいた。
『わたしが聖女になれば、夫に指名できるかも。そしたらオネット神官のハンサムな顔も独り占めできるかな』
ルルーの頭の中はお花畑だった。
話がすっかり決まり、自分たちが聖女候補のルルーを連れて帰ることができるとなって、ナバロガン神官はニンマリとしていた。
自分の神殿から聖女がでることになったら、神殿の名誉だけでなく、大神殿から聖女の修行代としてたっぷりとお礼が入ってくる。聖女を見つけた自分の出世も見込める。
ナバロガン神官は腹算用に余念がない。
オネット神官は厳しい顔をしていた。
彼には、目の前のルルーが聖女に見えなかった。
『神聖さがまったくない、どちらかというとくすんだ女の子だ。子どもが本来持っている無邪気さまで、くすんでいるように見える。
あの清麗な畑や、澄んだ家に住んでいる子どもだと思えない。そう考えると、両親もまた畑や家にそぐわなくくすんでいる』
オネット神官の脳裏には、ダメ姉と言われたイシルの周りの澄んだ空気が浮かんだ。
『どちらかというと、あの子こそ聖女なのではないか』
その考えに、オネット神官は首を振った。
オネット神官は、昨晩、イシルをルルーと一緒に神殿に連れて帰りたいと提案して、ナバロガン神官に断られていたのだった。
ルルーはとても可愛らしい顔をして、ナバロガン神官の興味を引くような会話をしていた。姉のイシルは整った顔立ちだったが、媚びはいっさい見られず、部屋の外で静かに控えていた。
ナバロガン神官は、ルルーを聖女と判断したようだった。そうなったら、昨日興味を惹かなかったイシルについてこれ以上何か言っても、聞いてくれないだろう。
オネット神官は、ナバロガン神官の言うことに黙ってうなずくしかないのだ。
『聖女は清いものだ。この人は本当に清いものがわかっているのだろうか。汚らしいものに惹かれているとしか見えない』
まだ若くて決定権がなく、派閥が違うナバロガン神官にまったく意見を聞いてもらえない自分が、オネット神官は情けなかった。
『昨日ノブルム神官に会うように言っておいてよかった』
オネット神官は、昨日の自分に感謝した。
* * *
ルルーが聖女候補になったと聞いて、イシルは驚いた。
『あの感じ悪いものを心地よいというルルーが聖女なのだろうか』
そして両親もレティオール街に引っ越すと聞いて、うろたえた。
「わたしも一緒にレティオールに行くのですか? それともここで一人で畑仕事をするのでしょうか」
その質問に両親は首を振った。
「レティオールで借りるアパートは狭い。お前と一緒には暮らせない。
かと言って、この畑を女手一人で管理はできない。この家と畑、牧場は貸すことにした。もう手続きは済んでいる。
お前のいる場所はない」
「それではわたしはどうしたら……」
「おまえももう十五で成人している。どうとでもすれば良い」
イシルは両親を呆然と眺めた。
今まで養ったのだから畑仕事をするようにと言って、イシルがフルプレヌ町で仕事を探すのを止めたのは両親だった。
本当はイシルは上の学校に行くのが夢だった。先生にも奨学金が取れたら親に負担をかけずに行けるから、挑戦だけでもしてみればよいと言われた。
その話も、父の
「娘は結婚するまで親元から離れるべきでない。ましてやお前は跡取り娘だ」
という言葉で諦めたのだった。
『家を貸すことができるのだったら、もともと跡取り娘も何も関係なかったのではないか』
口に出せない気持ちが、イシルの胸を焼いた。
成人パーティだってやっていない。
本来なら、大人の仲間入りと結婚できるようになったお披露目を兼ねて、パーティを開くものだった。決まっている許嫁と結婚するという宣言か、結婚相手募集中の意味があるので、よほど貧乏な家でない限り、成人パーティは行われた。
成人パーティをするという話が出なくて、イシルはずっとこの家で両親の世話をして過ごすのだと考えていた。が違ったようだ。
『わたしには成人パーティを開く価値がないと、お父さんもお母さんも考えていたのね』
イシルは悲しみ、またため息とともに諦めた。
「わかりました」
イシルはそれだけを両親に伝えた。
イシルから両親との縁を切った瞬間だった。
ルルーは自分の部屋で荷物を詰めていた。
「お姉ちゃん、これ、お姉ちゃんは使わないよね」
と言いながら、通学時に体裁を保つために両親がイシルに与えて、今ではときどきルルーが使っていた髪飾りやアクセサリーを、全部自分の荷物に詰めた。
何を言っても、どうせ手元には戻ってこないと、さらにイシルは諦めた。
『一人で暮らすようになれば、もう自分のものを取られることもない』
イシルはそう考えて、自分を納得させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます