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そんなわけで永多は業務中、たまたま五月女と廊下で二人だけになったとき、ささっと手早く、彼女へこんなことを吹き込んだ。
「なあ五月女、森田のあの顔の怪我のことだけどさ、どう思う?
あれは完全に人から殴られてできた怪我だよな」
「ええ? なによいきなり、森田くんの顔の怪我?
まー…そうかもね、本人は自転車で転んでああなったって言ってたけど、テレビのニュースなんかで見る、試合に負けちゃったボクサーとか、森田くんみたいに痛々しく顔が腫れ上がっちゃってるし、エイダの言う通り、もしかしたら誰かに殴られてできた怪我なのかもしれないわね、だけど、そんなこと別にどうだっていいじゃない。
社会人としてはあんな怪我してるのはみっともないけど、彼だっていい大人なんだから誰かとトラブルを起こしていたとしても、自分で解決できるでしょ、業務に直接影響が出る案件じゃなきゃ、私には関係ないし」
「何言ってんだよ、五月女ぇ、関係大アリだぞ!
五月女センパイともあろう者が、けっこうニブいんだなぁ、ん?
森田は、あきらかに誰かから殴られているのに、それをチャリでコケて自爆したせいだからって周囲に説明して加害者をかばっているんだぞ? なんでだか分からないか?」
「…何が言いたいのよ、エイダ」
「訴訟ざたになってもおかしくない怪我させられているのに、相手をかばう…。
それはなぜだ? 考えられる仮説はいくつもないぞ。
仮説その①、森田は自分でも、その相手に殴られても仕方がないような非となる理由があったと自覚しているから、後ろめたさのせいで黙っている。
仮説その②、暴力を振るわれても森田は、その相手のことを愛しているから黙っている。
いいか、ちなみにあの顔の腫れっぷりからすると、森田をぶん殴った相手は男だと高確率で想定される。
まあそれか、ムキムキのプロボクサーしてる女だ」
「いいわ、つまりアンタは…森田は赤間部長に殴られたんじゃないかって言いたいのね。
まあ確かに…有力な仮説ではあるかも、私も気づいてたんだけど今日の森田はなんとなくいつもと雰囲気が違くて、今まで部長のケツばっかり追ってうろちょろしてたくせに、何か部長から距離とってるみたいなのよね、理由は謎だったけど…でもそれが、部長から殴られたせいだって言うの? けどなんで部長が、森田を殴ったりするのよ?」
「ばっか、そりゃアレに決まってるだろ、痴情のもつれってヤツだよ(ここだけ小声)」
「……」
ひそひそとそれっぽく永多がそんなことを五月女に囁いたとき、彼女は無表情のまま、黙り込んで返事をしなかった。
しかし、五月女と長い付き合いのある永多には分かっていた。
今、じわじわと五月女の空気が、うれしいテンションへと変わりつつあることに。
よし、これはあともう一押し!
そう確信した永多は、五月女へと一気にたたみ掛ける。
「まーあれだけ森田が強く殴られたってことは、いつだって冷静さを失わない部長であっても、よっぽど腹に据えかねるようなことが森田との間であったんだろうなー。
こりゃダメだな、森田もせっかく部長とお近づきになれたってのに、これで破局だな」
「そんなのエイダが勝手に言ってるゲスな推測にすぎないでしょ、本当のところは当事者たちに聞いてみないと分かんないわよ。
部長か森田のどちらかに直接訊いてみるとか…」
「いや、それはやめとけよ、五月女だって森田の様子がいつもと違っておかしいって分かってたんだろ、これ以上追い詰めてやるなって。
森田がかわいそうだろ、部長にとってももう忘れたい過去になってるかもしれねーんだからさ。
いいか、これはセンシティブな問題だから、誰にも言うなよ、ここだけの話で終わらせておこうぜ、営業部の平和を取り戻すためにもな」
「…わかった」
永多が真面目な口調で最後にそう締めくくると、五月女もまた、神妙な顔でうなずきながら真剣な声で同意した。
クールな態度でスタスタとそのまま五月女は廊下の向こうへと去っていく。
その場で一人、立ち止まったままの永多は、彼女のそんなクールな背中を見送りながら考える。
…ありゃダメだな、ぜったい五月女のやつ、あとで森田にちょっかいかけるぞ。
そう、五月女の扱いになれている永多には、すぐ分かった。
永多の提案に賛成したものの五月女は、今めちゃくちゃうずうずしている、森田と赤間部長が別れたのがうれしくて、その真偽をはっきり確かめたくて仕方ないのだ。
それが分かっていたからこそ永多は、こうして森田と五月女の動向にさっきからずっと注意をしていたのだ。
そしたらほら、案の定、五月女が森田にからんでいる。
ここで面倒なことはすべて終わりにしたいから、自分が上手くフォローしないと。
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