15-20

 茜さんは、『仮面の亡霊』と遭遇してしまった驟雨さんが、その出来事は自分の幻覚かあるいは夢だと思った…そう思いたかった、と話していたことについて、それは臆病者の行為だとか信じられない思考的逃亡だ、みたいなことを言って非難してたけど、今の俺には驟雨さんの気持ちがよく分かる。


 突然、現実とかけ離れた、本当に不可思議な出来事に遭遇してしまったとき、冷静な思考なんてとてもじゃないけど持てない。

 あれは夢だったんじゃないかって、俺も思い込みたくて仕方がなかった。


 確かに俺は『仮面の亡霊』に出会った。

 それは間違いないのに、不思議と現実感が俺のなかから抜け落ちていた。


 だから、御霊さまがワープ能力を持っているんじゃないか、なんて仮説が本気で出てくるのだ。


 だってそう考えれば、つじつまがつく。


 ザクロのおばあちゃんの家、御霊さまの神社、そして松林の奥の広場、…全部、それぞれの場所は遠く離れている。

 そして、そのとき俺がどこへ立寄り、どこへ行くのか、もちろん『仮面の亡霊』は知らない。


 だけどその視線は、…そして『仮面の亡霊』の姿は、まるで知っているみたいに、俺の行く場所へその気配を現すのだ。


 どうして、そんなことができるのか?

 そんな当たり前な疑問も、俺を追っかけてきた御霊さまが、そのつどワープしていたのだとしたら、説明が出来るじゃないか。


 驟雨さんも言っていた。

 彼の部屋の窓を叩いた『仮面の亡霊』は深夜に突然やってきたって。


 それもワープ能力を使った結果なのかもしれない…!



 「そうだよ、夜中に驟雨さんの部屋に『仮面の亡霊』が現れたときだって、ワープ能力を使ってやってきたのかもしれないよ!」



 熱く俺がそのように力説したとき、それまでフムフムと聞き手に回ってくれていた樹雨くんの表情が、サッと変化した。



 「シュウ兄の部屋に『仮面の亡霊』がやってきた? どういうことだよ、それ」



 「あっ」



 勢いにのってペラペラとしゃべっていた俺は、樹雨くんの表情を見てその意味を悟り、口を噤んだ。


 そうか…驟雨さんは、自分が『仮面の亡霊』に遭遇したことを、樹雨くんたちに話していないんだ…!

 

 きっと心配をかけたくないと思った驟雨さんは、あえてそのことを黙っていたに違いない。

 それなのに俺が勝手に、樹雨くんに話してしまうなんて最低だ!


 樹雨くんはジッと俺のことを見ている。

 驟雨さんの部屋に『仮面の亡霊』がやってきたという話について、もっと詳しい事情が説明されるのを待っているのだろう。


 だけど俺はただ、あわあわすることしかできなくて、ひたすら言葉をにごすだけだった。

 自分のことならまだしも、これは驟雨さんにとってデリケートな問題なのだ、彼が弟に知られたくないと思っている話の続きを、俺がベラベラと話すわけにはいかないじゃないか。


 とは言っても樹雨くんはもう、驟雨さんに部屋に『仮面の亡霊』が現れた、という出来事を、俺のせいで知ってしまったわけで…ああ、この状況を俺はどうやって回避したらいいんだろう!?


 うぐぐ…と俺が頭を抱えていると、クールで淡々としているように見えて意外と気ぃつかいの樹雨くんは、それでなんとなく俺の苦悩を察してくれたんだろう、息を吐くように小さなため息をついた後で、彼の方から話題を変えてくれた。



 「なんかややこしいことになっちまったな、まったくタイミングが悪い。

 こんなことになるなら、あんな油絵なんか持ってくるべきじゃなかった」



 そう言って樹雨くんは壁に立てかけてある、わざわざ倉庫から持ってきてくれた油絵が入っているらしい額縁へ、ちらりと視線をやった。


 その言葉を聞いた俺は、あせって答える。



 「ごめん! そんなことないよ、せっかく持ってきてもらったのに、俺が頼んだんだから、ねえ、見てもいいかな」



 そろそろ『仮面の亡霊』の話題から離れたい、そして、このオカルトめいた雰囲気を払拭して、楽しい気持ちに戻りたい。

 それには樹雨くんの描いた素晴らしい絵を見るのが一番だろう、そう考えた俺は返事も聞かずに立ち上がると、絵が立てかけてある壁際まで歩いていって、伏せてあるそれを見やすいように、よいしょとひっくり返した。


 人生はいつだって後悔先に立たず、俺が見やすいポジションに絵を表に向けたのと、「おい、それ見ないほうがいいぞ」という樹雨くんの言葉はまさに同時だった。

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