江蓮のふしぎな考察録3 ー呪いの仮面殺人事件ー
桜咲吹雪
プロローグ
犬彦さんは、前にこんなことを俺に教えてくれた。
悪というものには、種類があるのだ、と。
なぜそのとき、そんな話をすることになったのか、その過程については覚えていない。
だけど、犬彦さんが語ってくれた内容は、俺の心のなかに今も深く染み込んでいる。
悪というものを、必要以上に恐れなくていい。
しかし、その悪が、何に分類される悪であるのかを、見分けることは重要だ。
それは概ね、三つに分類できるだろうと、犬彦さんは言った。
「まず一つ、それは、価値観の相違からなる、悪だ。
わかりやすく、例え話をしてみよう。
江蓮、想像してみてくれ。
お前は、自分だけの大きな庭を管理している。
その庭はまるで楽園のように、さまざまな種類の木々が生い茂っていて、色とりどりの美しい花々が咲き乱れている。
その庭がそんなにも美しいのは、毎日毎日、水をやり、肥料を与え、雑草を抜き、動物に荒らされないように、庭の周囲に高いフェンスをたて侵入者を拒み、一生懸命にお前が守ってきたからだ。
そして美しいだけではなく、お前の庭には、とても希少な植物も栽培されていた。
もう外の世界では絶滅してしまった、この庭でしか生きていくことのできない、たおやかな花が、お前だけを頼りにして、ひっそりと咲いている。
お前はその花が好きだ。
もうこの庭にしか咲いていない絶滅寸前のその花を、守ってやれるのは、お前しかいない。
ずっと守ってやりたいと、お前は思っている。
だがある日、いつものように水をやろうと、その花の咲いている場所へ行ったが、もうそこにその花の姿はなかった。
何者かが、そこを踏みにじった足跡があり、花は根こそぎ抜かれていた。
そう、花は盗まれてしまっていた。
お前のまえから、あの美しい花はいなくなってしまった。
そしてそれは同時に、この世界から、一種の美しい花が絶滅し、完全に消え去ったことも意味していた。
なあ、そんなことをされたら腹が立つよな。
そんなことをする奴は、とんでもない悪党だと思うだろう?
だけどな、見方を変えると別の人間にとっては、庭を守っていたお前こそが、悪である場合もあるんだ。
その人間には、大切なひとがいた。
世界中のだれよりも、なによりも、大切なひとが。
しかし、その大切なひとは、重い病にかかっていた。
どんどん弱々しく、やせ衰えていく、そのひとを、どんなことをしてでも救ってやりたいと、その男は思った。
そして必死にその病について調べた結果、特効薬がひとつだけ、この世に存在していることを知った。
ある薬草を煎じて飲ませれば、彼女の病は治るかもしれないと。
しかしその薬草は、もうこの世界から絶滅してしまっていた。
そう、お前の大切な庭で栽培されている、あの花を除いては。
だから男は、お前の庭から花を盗むことにした。
他人の庭に不法侵入し、他人の大切にしていた花を強奪する。
そうして男がその花を奪った結果、貴重な花は絶滅してしまった。
男の行為は、決してほめられたものではないだろう。
他に方法はなかったのか?
花の持ち主であるお前に、わけてもらえるように頼めばよかったのに。
お前だって事情を知れば、無下に断ったりなどしなかっただろう。
頼まれたとき、きっとお前は、花の種が実り、その数が増えれば必ず分けようと、そう言ってやったはずだ。
それでも男はそれを選ばなかった。
もう少し待つことができたなら、盗人のような真似などする必要もなく、円満に薬草を手に入れることができた。
薬草を絶滅させることもなかった。
時間さえ待てば、これから根気よく栽培していくことによって、その花をもっと増やすことができたかもしれないし、彼女と同じ病にかかっている多くの人が救われただろう。
だが男は、自分の大切なひとを優先して、他の人々の大切なものを永久に奪った。
それは悪だ。
そんなこと、男にもわかっていた。
それでもだ。
こうすることこそが、男にとっての正義だったからだ。
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