第59話 心配

 夕暮は一目散に家を飛び出して、マンションの前ですぐさまタクシーを拾った。


「どこに行くんでやんすかい?」

「あっ、えっとっ!」


 そして運転手に行き先を尋ねられたところで、夕暮は自分がどこを目的地としているのか分かっていないことに気がついた。


「ど、どこっ、に、いけばっ」


 政木の家に行けばいいのだろうか、それとも政木が向かう先の病院に行けばいいのだろうか。

 勢いのままに家を飛び出してしまった夕暮に、それを考えるだけの力はなかった。


「あのっ、あのっ」

「落ち着くでやんすよ」


 こういった客には慣れているのか落ち着いた様子の運転手とは対照的に、夕暮はどんどん焦りを感じる。

 どうしてそんなことも考えずに来たんだ、どうしたらいいのかなんで分からないんだ。そんな自分に対する怒りが、さらに頭の中をぐっちゃぐちゃにする。


 しかし、そんな夕暮に一本のメッセージ。


『港区竜の門病院』


 そのメッセージは、夕暮が唯一頼ることのできる友人からのメッセージだった。


「う、運転手さんっ! こ、ここっ、ここにっ」

「へい、任せなでやんすよ。――10分、いや、5分で着いてみせる」


 運転手はハンドルを両手で握ると、タクシーの力とは思えない加速力で走り出した。


 明らかに法定速度を違反してぶっちぎっているが、夕暮はそんなことすら気にしない。


(政木くん……、政木くん……っ!)


 夕暮は窓の外を見ながら、政木の無事を祈る。


 それと同時に、昔の思い出が夕暮の頭にふと甦っていた。


 夕暮の頭に思い浮かぶのは、高校生だった頃の自分だ。

 好きな人との念願だった初デートの日だった。


 その相手とはまだ付き合っていなかった。だからなんとかしてこのデートで付き合えるように頑張ろう……そう思った矢先に、電車が交通事故で遅延。人身事故だったようで、遅延は1時間以上になると構内でアナウンスがあった。


 初デートで1時間の遅刻はありえない。だからその時もタクシーを利用して待ち合わせ場所に急いだ。なけなしのデート代を全て使い切って。


 しかし結局、待ち合わせには30分の遅刻。さらに相手には『そんな下手くそなメイクをしてる暇があったらもっと早く家出ろや』と言われて、その場で振られてしまった。


 それからだろうか。夕暮が恋愛に対して一歩引くようになったのは。


「あっ、メイク忘れた……」


 そんな話を思い出していると、ふと自分の顔がすっぴんのままであることに気が付いた。服装も上下ジャージのまま。

 むしろ退化してるなぁ、なんて他人事のように思った。


「今回もダメだったかぁ~」


 夕暮の言葉には、『諦め』のニュアンスが含まれている。

 だがその諦めは、いまこの瞬間に湧きおこったものには思えなかった。むしろ「やっぱり」という言葉が先頭についていそうな、そんな諦め方だ。


(ーーいやっ、でも…………っ‼‼)


 しかしそこで、夕暮の気持ちは病院へと向く。今はそんなことを言っている場合ではない。大事なのは政木が無事かどうかだ。


「お願い、無事でいて……!」


 ぐんぐんと加速するタクシーの中で、夕暮はそう願っていた。






 病院に着いた夕暮は、そのまま全力疾走で受付へと駆けこんだ。

 受付の若い女性は、もちろん政木の病室や状態なんかは教えてくれなかった。そもそもこの病院には『政木有馬』として搬送されていなかった。


 だが受付には政木のマネージャーである大津がいた。彼女は彼女で先に事務手続きを済ませているらしい。

 そこで自分が『夕暮月日』であることを伝えると、大津は驚いた顔を一瞬だけ見せたが、すぐに病室を教えてくれた。


 夕暮はそれだけを聞くとまた走り出す。

 なかなかエレベーターがやってこないので、階段から上ることを決意。


「はあっ、はあっ……! なにこの階段、きっつッ‼」


 別に普通の階段だ。夕暮の運動不足がここに来て足にきているだけである。

 それでも夕暮は階段を上る足を止めなかった。手すりをたよりに、ひたすら歩き続けた。


 そして目的階へ到着。先ほど聞いた部屋番号が、すぐに見えた。


「まっ、政木くんっ――‼」


 病室のドアをがらっと勢い良く開け、そのままなだれ込むように入る。

 疲れで足の踏ん張りが効かず、床に倒れこんでしまった。


「政木……くんっ」


 そして顔を上げると、そこにいたのは。


「夕暮……さん?」


 ぽかんと口を開けて、目が丸くなっている政木の姿があった。


「あれ…………無事……なの?」


 病室の中には、驚いた顔を見せる政木がいた。点滴やらよくわからない機械やらで囲まれているが、政木は体を起こして元気そうにしている。

 状況が飲み込めない夕暮に、政木は恥ずかしそうに頬をぽりぽりとかいて答えた。


「えっと……貧血だったみたいで。そこに疲れとか他にも栄養失調気味だったのがダメだったらしく……」


 政木の心情としては、恥ずかしくて仕方なかった。単純に自己管理が甘かっただけで、たくさんの人に迷惑をかけてしまったからだ。

 大津はもちろん、事務所の人やリスナー。それに病院の人にも迷惑をかけてしまった。その事実を、いまここで言葉にすることで再認識させられてしまった、というわけである。


 だからはっきり言って夕暮に合わせる顔はない。政木は初対面からくる恥ずかしさ以上のものを抱えていた。


 だが、夕暮の方は政木の容態をそうは捉えなかった。


「そっ…………かぁ」


 緊張が解けたのか、床にへたり込む夕暮。


 それから目に涙が蓄えられていって、


「よかった……よがっだ…………!」

「夕暮さん⁉」

「政木くん、死んじゃうがど思ったぁ…………‼ ほんど、よがっだ………………!」


 大粒の涙を出して、泣き始めてしまった。


 病室に響き渡る夕暮の嗚咽おえつ


 だがそれは、赤ちゃんの泣き声に似た何かであった。聞いていて和むような、そんな幼い泣き方だった。


「あはは…………本当に心配させてしまって、申し訳なかった……です。ごめんなさい……」

「ぐすっ、うえぇぇぇええんっっっっっ‼」


 そしてそんな夕暮が泣き止むまで、政木はベッドの上でその光景を見ていた。


 なぜだか温かい気持ちになった、政木だった。

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