第13話 早退の理由

 ミーティングから1週間、『歌ってみた』で歌う曲が決まりすぐにスケジュールの調整がなされた。


 いつまでに歌を収録するのか、いつまでに動画用の絵を描き上げてもらうのか、いつまでに動画を投稿するのかといったことだ。


 そしてその流れでスタジオでの歌の収録が2週間後になったのだが。

 スタジオはもちろん平日しか空いていない。


 ということは、その日は仕事を早退しなければいけないということだ。


「はぁ? 仕事を早退したい? お前みたいな役立たずが仕事を先に切り上げていいわけがねえだろ!」

「いえ、ですからどうしても外せない理由があって……」

「お前みたいな仕事もできないクズに外せない理由なんてねえよ‼」


 そうなると越えなければならない関門は、当然これである。


 政木がVtuberを兼業でやっていることを知っているのは、人事の一部の人間と会社の社長だけだ。

 だから政木の直属の上司である課長は当然ながらそのことを知らない。


「いや、本当に大事な用事で……」

「そういうのは仕事が一人前になってから言え!」


 けたたましい声がオフィス内に響くが、政木が怒鳴られているのはいつもの光景なので誰も気にした様子はない。


 そしてまともに取りあってくれない課長。さすがにこれには政木も焦る。


 しかしここで思わぬところから助け船が出た。


「課長、それはあんまりだと思いますけど」


 課長のデスクにやって来たのは長良だった。

 しかしいつものように明るい口調ではなく、冷ややかな声色だ。


「な、なんだ。長良くんまで」


 まさか長良が政木をフォローに来ると思わなかったのか、課長が慌てる。


 そして同時に政木も驚いていた。

 長良が課長に直接文句を言うのは、政木も見たことがなかったからだ。いつも課長に対して政木の代わりに怒ってくれてはいるが、政木が注意をして本人の前では言わないようにしていた。


 しかもいつものような元気な声ではなく、静かな声だったので余計に驚いた。


「せんぱ……汐留しおどめさんが役に立たないと思うのなら、休ませてもいいじゃないですか。役立たずなら一人くらい居なくても変わらないですよね?」

「そ、それはそうだが……」


 冷や汗をかく課長。まさか長良がこういう形で自分にズバズバ言ってくるとは思わなかったのだろう。


「だ、だがなぁ、そう簡単に休まれても困るのだが……」

「だから何で困るんですか? 役立たずだと思ってるなら、別に困ることもないでしょう」

「そういう問題ではなくてだな! 下の者が休むと、会社としてよくないのだよ‼」

今時いまどき、上司が部下を怒鳴って休みも取らせないなんていうことが平然と行われている方が、会社としては良くないと思いますけど」


 理路整然と課長を責め立てる長良。

 その恐ろしいまでに冷徹な雰囲気に、政木も鳥肌が立った。


 そして長良が課長に直訴するという滅多にないことに、周りにいた会社の人間も注目し始めている。

 課長にとっては分が悪くなってきただろうか。


「むぅ……仕方ない。その日だけだからな‼ あと仕事が滞らないように、ちゃんと片付けてから休めよ!」

「はい、わかりました」


 課長もただで認めるのはプライドが許さない。事実上の残業宣言を出してから、「さ、さっさと仕事に戻れ!」と政木たちをデスクに帰した。


 政木は恭しく一礼をして、長良とともに自分の場所に戻る。


 政木と長良はデスクが隣同士。

 終わった後、政木から耳打ちで声をかけた。


「悪い、長良。助かった」

「いえいえ、休みも取れない会社は最悪ですから。普通です普通」

「すまんな長良にも迷惑かけた」

「大丈夫ですよ」


 これで長良の評価が下がったのは間違いない。そう思うと、政木はとても申しわけなくなった。


 しかし長良と言えばどことなく満足げだった。


「それに……」

「それに?」


 長良が妙に溜めるので、政木も耳を近づける。


 するとその耳元で長良が囁くように言った。


「先輩には会社を辞めてほしくないですし。先輩と離れるのは……嫌ですからっ」

「――っ⁉」


 ともすれば違う意味に聞こえる言葉。政木にはもちろん、大ダメージ。


 それを見て長良もにやぁっと意地悪な笑みを浮かべ、それからふせんを一枚とって何かを書き込んだ。


 それを政木の机に置くと、長良は自分のデスクに向いた。


『お返し、期待しておきます♡』


 政木はどくどくと血流が速くなるのを、体全体で感じていた。

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